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いま問うべきは地域の自立~オキナワを考える [社会時評]

 いま問うべきは地域の自立~オキナワを考える

 *揺れる政府
 *オキナワの位相
 *アイデンティティーの問題
 *戦略と自立の狭間

 オキナワが気になっている。沖縄でなくオキナワである。日本という国の多くの負の遺産を抱えた地域。そのオキナワ、普天間基地移設問題で政府が揺れている。首相、外相、防衛相がそれぞれの立場で発言し、腰が定まらない。「普天間」は安全保障、日米同盟の問題であり、地域の問題ではない。だから岡田克也外相が沖縄を訪れた際に表明した「(1月の市長選で)名護市民一人一人に成否を問う形はあってはならない」【注①】との認識は基本的に正しいと言える。だがそれだけで語ってしまうには、沖縄は歴史的、文化的に影の部分を背負いすぎている。オキナワを考えてみなければならない。
 ではオキナワは今、どんな位置にあるのか。
 一つは文化的な位相。日本の文化とも違い、大陸の文化とも違う。沖縄オリジナルの文化かといえば、それも違う。インド、中国、日本の文化を取り入れ、発酵させた独自文化圏、というのが正しいのかもしれない【注②】
 次に歴史的な位相。400年続いた琉球王朝は明治以降本格的に日本に組み込まれ、文化的な同化策が取られている。つまり、日本そのものではなく「日本´(ダッシュ)」の意識が双方にある。太平洋戦争では国内で唯一の地上戦の舞台になった。本土=加害者、沖縄=被害者の意識の構図が生まれることになる。そして戦後27年間、米国政府の統治下に置かれる。
 こうした歴史は地域社会としての特殊性をもたらす。返還された1972年度以降、2008年度までに沖縄に落ちた税金は9兆4056億円に上るという。これに、防衛省経由で流れる基地関連を含めると08年度は4393億円、県の自主財源の3倍近い規模だという【注③】。この予算のほとんどが公共工事に流れる。そして基地依存を恒常的な構造とする地域経済。
 3番目には地政学的な位相。東アジアの文化的交流拠点であったことからも逆に分かるように、アジアをにらむ戦略拠点としては極めていい位置にある。このことが戦後、常に米軍の重要な戦略的拠点であったという事実につながっている。
 これらの遺産を抱える「沖縄」をいま、単に地名にとどめず「オキナワ」と呼びたいのである。政府の対応が揺れているのは、これら負の遺産が腑分けされず雑然と語られているためではないか。そうした中で各政党の主張やメディアの論調を見ると、日米同盟=沖縄戦略拠点論と、沖縄自立論のせめぎあいのように見える。この二つをきちんと整理した論はいまだ目にしていない【注④】
 ではどうすべきなのか。最終的には沖縄という地域の自立を考えるべきだろう。「海を意識するということは、その海の外にある西洋近代文明と日本の関係を意識することであった」【注⑤】と書いた評論家・松本健一氏は海岸線がパトリ(原郷)を形成してきたとする。では、近代的ネーション(国家・民族・国民)のアイデンティティーは、沖縄の海岸線でどのように形成されてきたのだろうか。この問いかけは、とくにオキナワというエリアでは重いものがあると思っている。そうした課題を踏まえた未来像を、政党やメディアは提示すべきだろう。
 オキナワに今、2012年問題というのがあるのだという。返還以来40年を経て税制などの特別措置が期限切れになる。現状のオキナワは点滴と薬漬けでベッドに縛り付けられている重症患者のようにも見える。日米同盟をどう考えるか、安全保障をどうとらえるか、という純粋に国家的な命題だけでなく、地域の自立を正面から見据えたロードマップを作るべきだろう。まずそのことをメディアはきちんと報道してほしい。ただ日替わりの政治家発言を報じるだけで事足れりとするのはいかがなものか。何かが違う気がするのだ。

 【注①】1116日付読売新聞。自民党の石破茂政調会長も同趣旨の発言をしていた。言うまでもないが、名護市には普天間の移転先として日米が合意したキャンプ・シュワブがある。
 【注②】奥野修司「沖縄幻想」
 【注③】大久保潤「幻想の島 沖縄」
 【注④】1114日付朝日新聞「日米関係第三の道を」(藤原帰一・東大教授)がこの点に触れている。ちなみに日米同盟に対する見方は朝日が重要性を前提にした見直しを提言、読売が同盟の深化を主張している。藤原論文は朝日の論調よりさらに見直し論を進めている。
 【注⑤】「海岸線の歴史」


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