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問題の根源を共有しよう~濫読日記 [濫読日記]

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「ユーゴスラヴィア現代史 新版」(柴宜弘著)

 初版が出たのは、ボスニア和平が成立した1996年だった。今年はユーゴ解体(1991年)から30年に当たる。内戦が終わり、ひとまず落ち着いた各国がどのように歩んだかを入れて版を新しくしたのが本書である。ところが昨年5月、著者は校正作業の中で急逝した。残る作業をかつての教え子が引き継ぎ刊行に至ったという。著者のユーゴ研究の集大成であり、遺言ともいうべき一冊であると、あらためてとどめておきたい。(刊行の経緯は巻末の「新版追記」によった)

 ユーゴスラヴィアとは「南のスラヴ」の意味だが、もともと南スラヴ人がいたわけではない。民族、宗教、言語が入り組む地域を人工的にまとめた国家であり「南のスラヴ」は目指すべき共通のアイデンティティーだった。それだけに「二度生まれ二度死んだ」という歴史には悲劇性が付きまとった。特に第二次世界大戦後に生まれた、いわゆる「チトーのユーゴ」は非同盟を貫く社会主義国家として、極めて実験的な存在だった。それだけに、絶対的な存在を失った後は分裂、解体、凄惨な内戦と地獄の歴史を歩んだ。
 いくつもの民族、宗教、言語がパズルのように入り組んだ地域の現実は、島国に暮らす我々日本人(一時期、道を誤ったが)には理解しがたいところがあり、つい問題の複雑さを通り過ぎてしまいがちだ。そんなとき、最新データを入れ、分かりやすい記述で政情を解き明かした書は、極めて貴重である。もちろん背後に著者の並々ならない力量と情熱があることは言を俟たない。

 ユーゴは「はざまの国」だという。この言葉ほど、ユーゴの本質を表しているものはない。サミュエル・ハンチントンは、冷戦後の世界は7~8の主要文明に分かれるとしたが、ユーゴを形成するバルカン半島にはうち三つの文明の辺境地帯がある。一つはカソリック(西欧)が多数を占めるスロヴェニア、クロアチア。一つは東方正教が多数のセルビア。もう一つはムスリムのボスニア・ヘルツェゴビナである。これらの国々が、経済格差を背景としたナショナリズムの台頭のなかで対立を先鋭化させた。特にチトー亡き後、その傾向は顕著となった。代表例がユーゴの最貧地域といわれたコソヴォ(アルバニア人が多数)であり、ボスニア・ヘルツェゴビナ(ムスリムが多数)であった。これにユーゴの多数派だったセルビアとクロアチアの長年の対立が絡んでいた。荒っぽい言い方をすれば、バルカンをおさめるには強力な中央集権型を主張するセルビア(大セルビア主義、サラエボ事件もこの思想の持ち主が起こした)と西欧型の緩やかな連邦制を説くクロアチアという根深い手法の対立があった。

 こうしてみると、今進行しているロシア・ウクライナ戦争と構造が似ている。東方正教をバックボーンとした大ロシアとカソリック(西欧志向)のウクライナ。ユーゴでは、東方正教のセルビアとカソリック(西欧志向)のクロアチア。ムスリムという3番目の勢力が絡んでいるだけ、ユーゴの方が複雑といえるかもしれない。

 ユーゴの内戦は凄惨だった。では、今後このような戦争が起こらないためにどうすればいいか。著者はこういう。
 ユーゴの紛争にとって民族、宗教は副次的な要素にすぎない。主要因は政治エリートたちが民族や宗教の違いを際立たせ、そのことで第二次大戦期の流血の記憶を煽り立てたからだ。「なぜ、あれほど暴力的だったのか」という疑問に対しては、例えばナチス・ドイツの暴力性を見れば分かるように、ヨーロッパ近代史に共通の問題だ。著者はさらに「日本の近代史にも潜む現象」とも指摘する。おそらく、ウクライナでのロシア軍の振る舞いにも通じるのではないか。
 ユーゴ内戦の凄惨さはユーゴ特有ではなく、私たちにも通じる問題として考えなくてはならない。これが、筆者の最も言いたいことであろう。
 岩波新書、900円(税別)。

ユーゴスラヴィア現代史 新版 (岩波新書 新赤版 1893)


ユーゴスラヴィア現代史 新版 (岩波新書 新赤版 1893)

  • 作者: 柴 宜弘
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2021/08/31
  • メディア: 新書


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