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問題提起はあるが…~映画「由宇子の天秤」 [映画時評]

問題提起はあるが…~映画「由宇子の天秤」


 あるテレビドキュメンタリー制作者の眼を通した事実と真実。真実の追求に情熱を傾けるが、新たな事実の登場によって裏切られる。それでも真実を追うことは、人々を不幸にするだけかもしれない。そんなとき、真実を追う意味とは。そんなことを考えさせる。意欲的な問題提起はあるが、全体に舌足らずであったり、消化不良であったりするため分かりにくさが付きまとう。

 木下由宇子(瀧内公美)はテレビ局の下請け制作会社のディレクターをしていた。追っているのは、教師と女子高生の自殺事件だった。二人はメディアによって関係が社会にさらされ命を絶った。由宇子は教師が無実との情報を得て二人の遺族にあたり、ドキュメンタリー番組に仕上げようとしていた。
 由宇子の周辺でもう一つ「事件」が持ち上がった。父(光石研)が経営する学習塾の生徒・小畑萌(河合優実)が妊娠した。彼女から「(由宇子の)父の子」と告げられた由宇子は父親を問い詰め、事実だと確信する。このことが社会に知られることの影響の大きさにたじろいだ由宇子は、いったんは事実を隠すことに奔走する。
 ドキュメンタリー制作は大詰めを迎えたが、テレビ局の反応は良くなかった。メディア批判につながるからだ。そうしたとき、自殺した教師の母親が証言を翻した。事件の発端は、教師によるレイプだった。「事実誤認があった」と由宇子は報告、放映は中止された。一方、男友達の証言で、妊娠した萌には売春という裏の顔が明らかになった。
 しかし、二つの新事実は由宇子の胸にしまい込まれ、公にされることはなかった。

 この結末は何を語っているのか。二つの新事実は、明らかに当事者を不幸にする。だから、公表されなかったのか。それなら、由宇子が掲げた「真実の追求」とはなんだったのか。「事件の真相を追う」理由で他人のプライバシーをのぞき込んだドキュメンタリー制作者が身内の「事件」に際し「失うものが大きすぎる」と、いったん公表を渋ったことの功罪は問われないのか。そんなことを考えさせる。
 ただ、決定的に弱いのは、そうした塀の上を歩くような極限の判断を迫られた由宇子の心理的な葛藤がほとんど見えない(描かれない)ことだ。そのためタイトルの「天秤」が重みを持たず、ひとりよがりの印象さえある。
 2020年、監督・脚本・編集は春本雄二郎。


由宇子の天秤.jpg


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