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戦後ドイツ刑法の闇と沈黙の迷宮 ~映画「コリーニ事件」 [映画時評]

戦後ドイツ刑法の闇と沈黙の迷宮
~映画「コリーニ事件」


 しばしば日本では「ナチスの犯罪に時効はない」とされるが、そんなことはなかった。戦後ドイツの法律の変遷をみると巧妙な戦犯隠し、あるいは「裏口からの恩赦」が行われてきたと分かる。舞台裏で動いた人物の一人がエドゥアルト・ドレ―アーだった。連邦司法省刑事部長として刑法改正作業に取り組み、刑法近代化の一つとして正犯と幇助犯の切り分けを唱えた。ナチ戦犯の場合、住民虐殺は本来、謀殺(計画的殺人)とされ、時効はなかった。ここに幇助犯の概念を持ち込み、幇助犯は故殺(故意殺人)としてしか裁かれないとして時効20年とした。ナチ戦犯の場合、最も遅くて起点は1945年。したがって1965年には時効が成立した。悪名高き「ドレーアー法」(秩序違反法に関する施行法)は1968年に施行され、日本でいうBC級戦犯は、ドイツではこの時点で罪を問われないことになった。
 なぜこんなことになったか。
 信じられないことだが、絶滅収容所アウシュビッツで何があったか、敗戦直後のドイツ国民はほとんど知らなかったという。そのことを浮き彫りにしたのが映画「顔のないヒトラーたち」(2014年、ドイツ)である。あまりに残虐な行為があったため、ナチス兵士として行動した多くは善良な市民の仮面の下、口をつぐんだのだ。明らかになったのは1960年代になってからという。戦犯行為を告発する動きと、過去のこととして隠そうとする動きのせめぎあいの中で、ドレ―アー法も生まれた。

 さて、映画「コリーニ事件」。冒頭、あるホテルで会社社長ハンス・マイヤー(マンフレート・ツァパトカ)が殺される。2001年のこと。ロビーに降りてきた犯人ファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ)は逮捕後、動機について完全黙秘を貫いた。国選弁護人として弁護士3カ月のカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)が指名された。
 動機不明のまま公判が始まった。審理で凶器はワルサーP38と判明する。ドイツ軍の制式拳銃だったが、今は市場に出回っておらず入手が難しいという。なぜワルサーだったのか。ライネンはコリーニの生地イタリア・トスカーナ地方のモンティカティーニを訪れ、コリーニの父の没したのが1944年と知る。さらにコリーニは「6月19日に何があったか、調べてくれ」と話した。この日何があったのか。
 反ナチ・パルチザンの仕掛けた爆弾で2人のドイツ兵が死んだ。報復として住民20人が殺されたのが、この日だった。幼いコリーニは父が銃殺されるのを見た。とどめに使われたのがワルサーだった。指揮したのは武装親衛隊員ハンス・マイヤーだった。
 マイヤーは戦後、模範的市民として生きた。ライネン自身、父が失踪し貧しい家庭に育ったが、支援してくれたのはマイヤーだった。そんな彼に、半世紀以上たって復讐の銃弾が浴びせられた。
 法廷で事実が明らかになり、コリーニもようやく口を開いた。呻くように語ったのは「なぜ彼は裁かれないのか。どんな法律によって罪を免れているのか」だった。実はコリーニは1968年、法的処分を求めて告発したが翌年却下されていた。彼の言葉に衝撃を受けたライネンは、猛然とドイツ法の歴史を調べた。行きついたのはナチ戦犯を捜査の手から逃れさせたドレ―アー法だった…。
 前出「顔のないヒトラーたち」の原題は「Im Labyrinth des Schweigens(沈黙の迷宮)」。「コリーニ事件」が描いたのもまた一つの「沈黙の迷宮」であり、その先にあるドイツ刑法の闇だった。
 2020年、ドイツ。弁護士で作家のフェルディナント・フォン・シーラッハによるベストセラー小説を映画化した。残念ながら未読。


コリーニ事件のコピーのコピー.jpg


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