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広島と沖縄 死者との対話 A・ビナード×三上智恵㊥ [社会時評]

広島と沖縄 死者との対話

A・ビナード×三上智恵㊥

 

白水の戦争マラリア

 

 A・ビナード)それで何か起きた時に、ありえない、想定外、そんなことになっていたんだという。6年前の3.11もそう。日本に54基も原発があったの、知らなかったって。軍事衝突、相手が中国なのか北朝鮮なのか分からないが、それが起きた時、沖縄で何が起きているか全く注目してこなかった人たちはまたオタンコナス状態になる。そういう状態になって市民が何かやるのは不可能。僕は日本国憲法第21条「言論の自由」が唯一の足場なので、これから憲法までつぶされた時、市民の抵抗は、大日本帝国に抵抗するのと同じぐらい難しい。

 三上智恵)映画の中で、沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが、まだ我々には憲法があるんですから、というシーンがある。憲法があって表現の自由があるんだから、その自由を治安維持という名目で警察権力が押しつぶしていくとしたら、それはもう憲法なき社会だし、そんなことはあり得ないといいながら、結局その通りのことが起きた。博治さんは有刺鉄線一本1500円ぐらいのものを切っただけで5カ月勾留され、家族の接見も認められず、差し入れも制限された。何の罪で5カ月もこんなに人権を奪われた状態でいなければならないのか。しかし、日本国民は何の関心も示さなかった。治安維持法が機能しているような社会なのに、それに対する反応は鈍かった。次は自分だとどうして思わないのだろうかと思った。その間にネット上では、山城博治さんがひどい人だという嘘八百の情報が、過激派だとかカネをもらっているとか中国共産党の一員とか、流された。

 ビ)そうして市民の力を削ぐ。

 三)山里節子さんという「とぅばらーま」の歌い手がいる。沖縄本島の民謡歌手のプロでも、とぅばらーまだけは八重山に生まれ育っていないと無理というぐらい敷居の高いソウルソング。楽しいとか美しいとかを歌う歌はいっぱいある。とぅばらーまは恨みとか哀しみとか嘆きとか慟哭をそのまま詠み込んでいく。即興で。音楽の並びがだいたい決まっていて合いの手が決まっているぐらいで歌詞はまったくフリー。でも小さいときから聞いて育っていないとそのボキャブラリーがない。あれこそ口承文芸の遺産。自衛隊が来るのが嫌なんですとインタビューで言うのと、あれを歌うのとでは、人の心に届く深さが違う。この映画で一番大事な部分だと思っているのは、私たちの島は金もないし力もないけれども歌や踊りがあって、それでおなかを満たして心を洗われて生きてきたんです、その力を結集することで何とかこの危機を乗り越えていけるんではないかと確信を持っているんです、と節子さんがいうところ。権力者側に対抗して歌や踊りでどうするのって、その言葉だけ聞いたら思うかもしれないが、この映画を見たら離島が持っている力、権力側が持っていなくて大地の上に根を張って生きている島の人たちが持っている力って確かにあると思う。沖縄は今、崖っぷちに来てしまっているが、それでもあきらめない力が沖縄の人たちにはある。

 ビ)三上さんが海中カメラで撮った映像がある。サンゴが産卵するシーン。その力が節子さんの歌。山に向かって草原に向かって、これから基地が造られようとしているところに立って草木や風に言葉を発する。詩人は言葉を出すのが仕事で、人前で朗読したり活字にしたりする。でも、風に対して何か言えるか、山に対して何か意味のある言葉を出せるか、と言われたら出せない。でも節子さんには先祖から引き継いでいる意味のある言葉、風に向かっても力を持っている言葉がある。サンゴは海の中で流れる海水の中でこれだという年に一度の瞬間を見つけて産卵する。

 三)あのサンゴが出した卵の塊はつぶれるかもしれないが、でも出した卵はどこまでも遠くに行って着床して海の再生のために頑張ると思う。節子さんが、雨を含んだ黒い雲を見て、戦雲(いくさぐも)がまた湧き出たみたいだってあの場で歌う。白水というところが尾根の向こう側にあって、そこに閉じ込められて、かからなくてもいいマラリアにかかって沖縄の人たち3700人も、弾に当たってではなく日本軍の命令で死んだ。節子さんのお母さんもおじいさんも。節子さんが私に言ってくれたが、山の向こうの、命を奪われた人たちが背中を押したような気がするって。この歌を歌って三上監督のスクリーンに映ったら大変なことになるってどこかで分かっていたけど、でもあの時白水の方から私の背中を押したのよねって。だから彼女は山中で亡くなった人たちの声とかを聴いて、山に向かって空に向かって大地に向かって自分の覚悟をあの瞬間に響かせた。

 

死者とどう向き合うか

 

 ビ)映画で「死者に対して申し訳ない」って(島袋)文子おばあが言う。その力が何より強い市民の力になると思う。広島の街は、本当はものすごく力があるはず。ここでどれほどの命が72年前の夏に奪われたか。昨年、賞味期限が切れたおじゃま(オバマ)大統領が広島に来た。1時間足らず来て、17分間のおためごかしを並べて帰った。あの大統領が来た時、謝罪しなくていいという人が多かった。72年前の地獄を体験した人たちの中にも謝罪しなくていいという人がいた。その気持ちは分かる。和解したほうがいいという気持ちは分かるが、でも私たちは謝罪しなくていいといえない。言えるのは殺された人たち。でも、殺された人たちは、謝罪せよというはずだ。核開発を続け原発も作り続け、オバマ大統領の核廃絶も実現していない。それでは謝罪してもらわないと困る。この映画に出てくる死者とつながっている人たちは、たやすく「謝罪しなくていい」とか「水に流す」とか「関係ない」とかいえない。過去とつながっていれば、死者に問いかけてから行動する。でも沖縄を今まで支えてきた人たちは、翁長雄志知事も含めて、死者と向き合うパイプを持っている。そのパイプをなくしたら広島も力が出ない。そのパイプをつなぎとめ死者と相談できる、そこが大事だ。

 三)沖縄では後生(ぐそう)という言葉がある。私は民俗学をやっているが、他界観、私たちに見えてる世界とは違う、天国とか後生とかを想定しない民族はいない。同じ他界観を共有している強さというのを描きたいと思っている。沖縄戦を体験したお年寄りから話を聞いて、代表的なのは99歳で亡くなった1フィート運動の会の中村文子先生のこと。沖縄戦で教え子を二人ひめゆり部隊に出してしまった、日の丸を振って子供たちに軍国教育をした、そういう軍国教師としての反省を戦後貫いてきた人だが、その先生がいつもひめゆりの資料館に行くと「のぶこ、はるこ、会いに来たよ」という。そののぶこさんとはるこさんはおさげ髪のままだけど、文子先生は後生に行った時「もう基地はなくなったのよ」って言いたい、「私が頑張ったからもう戦争の島でなくなった」って言いたい、でもそう言えないから私はまだ死ねないんだって言われていた。まだ基地があるの、また戦争になるかもしれないのと、だからセーラー服姿ののぶこ、はるこに会うことができないから頑張るって沖縄戦を体験したお年寄りはみんな言う。生き残った罪悪感は広島でもあると思うが、沖縄でもなぜか自分は生き残ってしまったと自分を責める人が多い。後生に行って72年前別れた人たちと再会する時、自分は生き残って何をしたのって考えると居ても立ってもいられないからみんな辺野古、高江に来る。

 ビ)アメリカから広島に26歳の時に初めてきて、それまでは原爆が投下されたことが犯罪だったという意識はなかった。広島に立って自分の母国を見つめて、アメリカから受けた教育を少し見抜くことができるようになって広島の人たちとつながった時に、自分が被爆(曝)していないことが単なる偶然だということに気づいた。僕はミシガンで生まれ育って、ミシガンは約100基あるアメリカの原発の中でワースト3に入る原発の風下で、しかも母親の胎内にいた時に近くのエンリコ・フェルミ原発がメルトダウン事故(1966年)を起こしてそれが隠ぺいされ、その放射性物質はエリー湖に漏れ、小さいころそこで泳いでいる。いまカナダが最終処分場をヒューロン湖のほとりに作ろうとしていて、これからまた五大湖の水が汚染される。アメリカ人こそ一番汚染させられている。全部泣き寝入り。そのことに自分が目覚めていくと、自分が今、健康被害に苦しんでいない、生活が成り立っていることは単なる偶然で、自分は次だと常に感じるようになる。

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