前半の映像がなかなかいい~映画「ライオン」 [映画時評]
前半の映像がなかなかいい~映画「ライオン」
私はどこから来てどこへ向かおうとしているのか。だれしもそのことを気に掛ける。アイデンティティへのこだわりである。これをなくすと単なる根無し草になる。昔「デラシネの旗」(五木寛之)という小説があったが、よほどの熱い季節をくぐり抜けてこないと、なかなかそんな気にはならない(注:デラシネはフランス語で根無し草)。
映画「ライオン」は、自分はどこからきたかを見失った青年が、現代の情報ツールを使ってルーツを探り当てる話である。
2012年、あるニュースが世界を駆け巡った。オーストラリアに住む青年が、インドの母のもとへ25年ぶりに帰ってきたという。
1987年のインド。5歳のサルー(サニーパワール、成年後はデブ・パテル)は、兄とともに仕事を求めてある駅のプラットホームに立った。兄はそこから一人でどこかへ向かった。ベンチに残された少年は、たまたま来た列車に乗り込んだ。乗客のいない列車だった。少年の叫びを無視してひたすら走った。
着いたのは西ベンガルのカルカッタ。少年は保護されたが、どこから来たのさえ分からない。少年はオーストラリア・タスマニアの夫婦(デビッド・ウェンハム、ニコール・キッドマン)のもとに引き取られた。そして25年。
アイデンティティへの渇望から、青年はかすかな記憶を頼りに自分のルーツを探る。乗った列車は2、3日走り続けた。当時の列車の運行速度を調べれば、自分の出生地を割り出すための範囲を特定できる。そのエリアをグーグルアースで徹底的に調べて、見覚えのある景色を発見できれば、自分がいた場所はわかるはずだ…。
25年という時間を区切りとして、映像は前半と後半でくっきり分かれる。少年の視線を通して描かれるインドの大地と貧困と人口爆発。それに、帰るべき家を見失った少年の孤独な叫びが重なる。その映像美は、不在の父を追ってドイツへと向かう姉弟の列車の旅路を描いたテオ・アンゲロプロス「霧の中の風景」の孤独感漂う叙事詩を思い起こさせる。
しかし、グーグルアースによる「検索」を描いた後半はむしろ淡々としていて物足りない。映像的には、前半の重さと後半の軽さがアンバランスだ。
タイトルの「ライオン」は、いただけない。ストーリーの展開と全くかみ合わず、最後のナレーションを聞くまで、なぜこのタイトルなのか理解できなかった。
2016年、オーストラリア製作。
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