夏の夜のスリラー~映画「帰ってきたヒトラー」 [映画時評]
夏の夜のスリラー~映画「帰ってきたヒトラー」
「アドルフ」はもともと、日本でいえば「太郎」や「二郎」といった平凡な、どこにでもある名前だったらしい。しかし、戦後ドイツで我が子にこの名前を付ける親はいないという。ヒトラーは戦後ドイツの最大のタブーになったのである。しかし、そのタブーを正面から笑い飛ばす映画が登場した。
ヒトラーは1945年、ベルリンの総統府地下壕で愛人とともに銃で頭を撃ち自殺した。この経緯は「ヒトラー最期の12日間」(2004年、ドイツ・イタリア・オーストリア)が、過不足なく描いている。ところが、この「帰ってきたー」では、ヒトラーが2014年のドイツにタイムスリップする。もちろんありえないことで荒唐無稽といってしまえばそれまでだが、とりあえずそのことは言わない。
戦後ドイツ社会をさまようヒトラー(オリバー・マスッチ)は、まず「そっくりさん」として扱われ、あるテレビ番組に出演する。「今の時代こそ責任ある指導者と変革が必要なのだ」と堂々たる演説で、これがバカ受けする。現代ドイツの状況にピタリとはまっているからだ。一躍、テレビの人気者になったヒトラーはある撮影で、吠える犬に怒り即座に射殺する。どういう経路でか、このシーンが放映されてしまい、ヒトラー人気は急降下。おかげで時間が生まれたヒトラーは「我が闘争」に続く著作の執筆にかかる。インターネッツ(ドイツ風に)の存在を知ったヒトラーは、この上ない政治宣伝の道具であることに気づき、アジテーションを始める。そして、映画化の話が進む。あるシーンで「ヒトラーは怪物だ」と非難されても余裕しゃくしゃく、「選んだのは誰だ、普通の市民だ」「私は大衆ともにある」と答える―。
戦後ドイツは、ヒトラーが不在であるからこそ「戦後ドイツ」たりえた。しかし、ここにヒトラーが据えられたとき、戦後は「戦後」たりうるのか。ひょっとして現代はヒトラーの時代そのものではないのか。そんな問いが投げかけられ、難民が押し寄せて排外主義が高まる現代ドイツの政治状況が映し出される。
と、ここまできて、コメディータッチのこの映画は、実は現代のスリラーであることに気づかされる。猛暑の夏、涼みたい方はどうぞ、というわけだ。それとともに、強権政治と復古主義が不気味な高まりを見せる日本の政治状況にも通じることに気づかされる。2015年、ドイツ。強靭なエスプリがきいた映画だ。
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