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この割り切れなさはなんだろう~映画「夏をゆく人々」 [映画時評]

この割り切れなさはなんだろう

~映画「夏をゆく人々」

 イタリア出身の33歳女性監督アリーチェ・ロルヴァケルが2作目でカンヌグランプリをとったという。●●賞受賞作、といった形容詞にあまり関心はないが、ついつられて見てしまった。で、どうだったか。「うーむ」というのが正直なところか。
 ストーリーは単純である。イタリア・トスカーナ地方で養蜂業を営む一家の日常が描かれる。気難しい父親ヴォルフ・ガング(サム・ルーウィック)のもと、4人姉妹が家業を手伝う。長女のジェルソミーナ(マリア・アレクサンドラ・ルング)がまとめ役である。そんな一家の夏のひと時、ちょっとした「事件」が起きる。一つはテレビ番組「不思議の国」の出演が決まったこと。もう一つは、ドイツ少年の「更生プラン」にかかわりができたこと。社会から隔絶された生活を営んでいたかに見えた一家に社会とのつながりができたことで、特に長女ジェルソミーナの心にはさざ波めいた変化が起きる…。

 このドラマの主人公はおそらく、ジェルソミーナであろう。そう割り切ってしまえば、このドラマを理解するのは、それほど難しくはない。しかし、そう言ってしまえない理由の一つに、父親の曲者ぶりがある。カネに価値を見出さず、一方では有り金はたいてラクダを買い、庭で飼うという破天荒ぶり。トスカーナの風土と一体化した精神の自由さがある。そして、ジェルソミーナという少女への命名は、どうしてもフェリーニの名作「道」を連想させる。荒くれの旅芸人ザンバノと、純粋だが少し頭が足りない少女の物語。ジェルソミーナの死を知ってザンバノが悲嘆にくれるラストシーンはヨーロッパ映画の中でも1、2の名シーンである。この作品でもつい、そんなラストを期待してしまったがそんなものはなく、ただ淡々と終わるのみであった。

 すると、この映画の主役は実はトスカーナの風土そのものではないかと思える。原題の「LE MERAVIGLIE/THE WONDERS」はいずれも「不思議」あるいは「驚き」を意味する。テレビ番組名とも重なっており、ある夏、ジェルソミーナが偶然に垣間見た社会への「不思議」感や「驚き」がモチーフになっているのだろう。なんだか、物語のフレームの外側に何かがあるような気がして、「なるほどね」といいえない何かを感じてしまう。そんな映画であった。

夏をいく.jpg


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