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内面のドラマが希薄~映画「アメリカン・スナイパー」 [映画時評]

内面のドラマが希薄~映画「アメリカン・スナイパー」

 米オハイオ州の小さな地方紙「トレド・ブレード」が2003年、ベトナム戦争で1967年にあった住民虐殺事件を米軍犯罪捜査司令部(CID)の調書から暴きだした。その記録をまとめた「タイガーフォース」(WAVE出版、2007年)は、虐殺にかかわった元米兵の自宅を訪ねるところから始まる。ソファーに横たわるその男はやせ細ってうつろな目をし、黄色い顔で無表情だった。「かつての『勇者』とは似ても似つかない」と、著者は書く。戦争は被害者だけでなく、加害者の心も蝕む。

 クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」が公開された。ネイビーシールズ(海軍特殊部隊)としてイラク戦争に4度派遣され、通算1000日で160人以上を射殺したとされる実在の狙撃手を描いた。

 結婚し、家庭ではよき夫・父であろうとするクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)はしかし、戦場では武器を持つと現認すれば、女性であろうと子供であろうと非情に引き金を引く。そうした戦場体験のゆえに、やがて家庭では魂の抜けた存在になっていく…。

 イーストウッドには、朝鮮戦争から帰還した兵士のその後を描いた「グラン・トリノ」(2008年)がある。ウォルト・コワルスキー(C・イーストウッド)は復員後、フォードの工場で働く。製造にかかわった72年製「グラン・トリノ」が彼の宝である。しかし、米国に一時の隆盛はなく、コワルスキーが住む街(デトロイト郊外と思われる)も、アジア系住民が日ごとに増えていた。そんな中で彼は兵士としての矜持とともに戦争での「おぞましい」記憶を抱えて複雑な思いのまま、たたずんでいる。

 たまたま、あるアジア系住民がトラブルに巻き込まれ、解決のため立ち上がったコワルスキーは射殺されてしまう。

 米国の輝かしい時代の象徴である名車と、人種的な偏見を捨てきれない一方で戦場での行為に罪の意識を持ち続ける老人の姿を描いた名作である。ただ、この映画では、戦場そのものは描かれなかった。

 「アメリカン・スナイパー」に戻る。この作品は一転して、戦闘シーンがかなりの比重を占める。前述したように、子どもでさえ標的とされ、戦場の非人間性が描かれる。しかし、その一方で、帰郷したクリスの内面のドラマは希薄である。

 この作品はノルマンディー上陸作戦での一人の兵士の救出作戦を描いた「プライべート・ライアン」(1998年、スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演)を上回る米戦争映画史上最高の興行収入をあげたといわれる。これは、次のような理由であろうと考えられる。

 「グラン・トリノ」に比べ戦争による精神の崩壊という内面のドラマが平板になる一方で戦闘シーンが増えたため、米国の保守派が戦場での英雄的行為を描いたと評価する余地を与えたのではないか。その分、イラク戦争否定派も肯定派も作品を好意的にとらえ、その結果として観客動員が増えたのではないか。

 しかし、「グラン・トリノ」での戦争への視線をみる限り、イーストウッドはこの作品を「愛国的映画」として作ってはいないだろう(本人に聞いてみないと分からないが)。イーストウッドは単純に反戦派の視線で「戦争」を描いたりはしない監督である。だから、もともと一筋縄の解釈では読み解けないのだが、それにしてもこの作品は、彼にしては演出に切れの悪さが感じられないでもない。

スナイパー.jpg 




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