漂う不条理感~「あの壁まで」(黄英治著) [濫読日記]
漂う不条理感~「あの壁まで」(黄英治著)
アボジ(父)は1974年、軍事政権下の韓国を訪問中に「北」のスパイ容疑で逮捕され死刑判決を受ける。「わたし」はそのとき中学1年だった。6年後、日本から韓国に渡ったわたしはやっとアボジに会うことができた。大学生になっていた―。
「壁」の向こう側に幽閉されたアボジの奪還を目指す家族を描いた小説である。16年に及ぶ闘いぶりは、ひとりの在日韓国人女性によって語られる。その物語には二つの軸がある。一つは、「在日」ゆえにアイデンティティを容易に確立できないひとりの女性が、救援活動を通して自己を確立していく過程。もう一つは朴正煕政権から光州事件、全斗煥政権へ向かう韓国政治状況の中で響く、軍事政権と民主勢力の「ぎしぎしとぶつかりあう音」である。「わたし」をめぐる小状況と「政治」をめぐる大状況、といってもいいだろう。
「アボジのいない生活」は突然訪れる。その不安感は次のように語られる。
――日中のけだるさが、わたしを宵寝させてしまったようだった。まっくらななかで眼をさましたとき、自分がどこにいるかわからなかった。
描かれた「位置関係の欠如した自分」とは、日本国内で「アイデンティティ」を持ちえない「自己」のことであろう。そんな日常に突如、重苦しい緊張がのしかかる。朴大統領狙撃事件である。このようにして小状況と大状況が絡み合う。
タイトルにある「壁」もまた、二つの意味を帯びてくる。一つは、アボジを死刑囚として閉じ込める「壁」であり、もう一つは、少女の心に築かれ始めた「壁」である。後者は、例えばこんなことだ。
――わたしは、孤独をのぞんでいるわけじゃない。けれど、クラスメイトに、〈在日〉する〈朝鮮人〉であるために引き裂かれている心情や、「死刑囚の娘」であることの悲痛を告白しても、ちゃんと聞き取ってもらえない。(略)そうだ、壁を築こう、堅固に、これから。
こうして少女は〝成長〟する。しかし、彼女はもう一段の成長のために、すべてを吐露した作文を書いて学校に提出する。在日朝鮮人のこと、アボジの事件のこと、救援活動のこと、そして、わたしを民族名で呼んでほしいこと―。
――わたしは、わたしがつくった壁に穴を穿ち、そこからはいだして、いく人かの人びとと、本当の出会いを果たした。
むろん、アボジを救うため、壁に「穴」を穿つ作業も続けられるのである。
J・P・サルトルの初期の短編に「壁」がある。スペイン内戦でとらえられ、「死」の恐怖に怯える人民戦線の兵士。彼は追及される中で、味方兵士の動向をでたらめに漏らすが、偶然それは事実と合致してしまい、彼自身は死刑を免れる。語られるのは人間の存在が持つ限界性=「世界」との亀裂=と不条理性だが、「あの壁まで」もまた、ある種の不条理感を漂わせている。
◇
「あの壁まで」は影書房刊、1800円(税別)。初版第1刷は2013年12月15日。黄英治(ファン・ヨンチ)は1957年、岐阜県生まれ。2004年、小説「記憶の火葬」で「労働者文学賞2004」受賞。
深くお読みいただき、ありがとうございます。
by 黄英治 (2014-04-26 11:55)
黄さん
ありがとうございます
私にはとても心動かされる小説でした
by asa (2014-04-26 15:30)