SSブログ

「決めればいい」ってもんじゃない [社会時評]

「決めればいい」ってもんじゃない

□■

 6月10日の朝日新聞。主筆の若宮啓文が「『決められる政治』見せる時」と題して書いていた。自公民三党合意による消費税率引き上げに反対する小沢一郎元民主党代表の動きを「『民主主義を踏みにじる公約違反』と叫ぶのはどんなものか」と批判している。そこから、橋下徹の「維新の会」に国政を委ねるのは「疑問がぬぐえない」として、民主と自民が党首会談で道を開き「政党政治の力を示せ」と結んでいる。

 この論旨はとても危うい。だれが何と言おうと選挙の際の公約をないがしろにすれば、間違いなく「民主主義を踏みにじる」ことになる。これが「民主主義を踏みにじることにならない」とする大義とはどのようなものか。ぜひ教えていただきたい。その意味では、マニフェストにないことをやり、マニフェストにあることをしない野田佳彦首相は「民主主義の敵」であると言わざるを得ない。

 その文章の後段。「民主と自民が党首会談で道を開け」という。これは「談合政治」と批判されている政治のメカニズムの肯定につながるといえないか。さらにいえば、読売の渡辺恒雄がフィクサーとなって企んだ「大連立」への道を肯定するものではないか。極論すれば、若宮の論理展開は、消費税率さえ上げられれば政治の枠組みなど崩壊してもいい、とさえ読める。

 良し悪しは別として、日本の政治は小選挙区制度による2大政党制を選択した。このことの重さを、もっとかみしめたほうがいい。この政治システムを導入した際の最大の動機は「政権交代を可能にする」ことだった。自民党が制度疲労を起こしていた時代的背景を考えれば、これは正当だったと思える。問題は、導入された小選挙区=2大政党制が、その根拠を掘り下げて考えられることなく、また制度として定着させられることなく「消費税」政局によって破壊されていくことにある。こんな形で消費税率上げが成立した場合、「決める政治」のあるべき姿と称賛されるのか。大いに疑問である。

 すでにメディアで報じられているが、野田首相は、官邸を取り巻く「原発再稼働反対」のデモに「大きな音だね」と感想を漏らしたという。これまで長い間、政治が体をなさないできたために永田町は「貧すれば鈍す」状態に陥っているのかもしれないが、庶民の声を聞く耳をもたない為政者がいくら「決断力」を振り回しても、内実を伴う政治にはつながらない。

□■

 「決断の政治」は、国民の支持があればこそ成り立つはずだ。6月29日の毎日新聞。「消費増税 今国会成立『望まぬ』63%」とある。3党合意「評価せず」は55%だ。こうした世論調査は、新聞によってバイアスがかかる。そこで、同じ日の読売。消費税率引き上げ法案の衆院可決を「評価する」45%、「評価しない」48%。少なくとも、国民の多数が消費税率引き上げを望んでいないことは確かなのだ。これに対して衆院の採決結果。賛成363、反対96、欠席・棄権19。しかも民主の賛成は219で衆院の過半数240を下回った。これは何を意味するか。

 一つは、国民の意思と賛否の比率があまりにかけ離れていること。たしかに、税の引き上げなどは国民の不人気を押し切ってでも決めなければならない局面はあるだろう。それにしても、この数字はかい離が激しい。

 もう一つは、消費税が政党対政党の対立軸になっていないことだ。国民的な議題が2大政党の真ん中にないのであれば、拙速に決めてはならないだろう。「決めればいい」ってものではないのだ。

 このことは「原発」についても言える。6月14日付毎日。大飯原発再稼働の再考を求めて民主の衆参議員393人のうち119人が署名、官邸に提出された。民主議員の3分の1近い。この10日ほど前、毎日の世論調査では「大飯再稼働『急ぐな』7割」とあった。

 これらを総じて言えば、もはや民主対自民の政党構図は、実際の政治課題に対応できないことを物語っている。だから、次期衆院選での投票先として「維新の会」28%などという数字が出る(6月4日、毎日新聞全国世論調査)。自民16%、民主14%が束になってようやく対抗できる数字だ。ちなみに読売は、近畿ブロック限定の調査だが24%だ(6月18日)。

 こういう政治状況下で主筆自ら筆をとり「『決められる政治』見せる時」などとは、新聞メディアも、もはや人心からかい離したことを痛感させる。

 一方の小沢は、最近「オリーブの木」構想を言い始めているらしい。第3極の小政党を統合するための方便である。「方便」という根拠は「オリーブの木」構想の発祥地がイタリアであることによる。イタリアは完全比例代表制である。民意が正確に反映される半面、多数派が生まれにくい。それは政権の不安定につながる。一方、日本が選択した小選挙区は死に票が多い分、選挙結果に「バイアス」がかかる。一定の偏りが生じても、政権の安定=多数派の形成をもたらそうというのが小選挙区制であろう。

 そう見ると、比例代表と小選挙区では、政権の形成過程は全く違うはずである。比例代表は、民意が正確に議席に反映される代わり、その後の連立工作で政権の方向性を定めることをよしとする。しかし、小選挙区制度ではパッケージとしての政権構想が2大政党によって争われ、権力を握った政党が誠実に構想を実現する。その結果をみて、時には政権交代によって国の行方を軌道修正する。「オリーブの木」構想は、いまの日本の選挙制度を考えると、初めから合致しないものだと分かる。

□■

 ではどうするか。消費税率引き上げが成立しようがしまいが、解散・総選挙を早期に実施することである。いまの民主対自民の構図では、本当の意味での政治的決断はできないことは明らかだからだ。政党の枠組みが事実上瓦解してしまった以上、今の日本の民主主義ではそれしか民意が生かされる道はない。

 考えてみれば消費税率引き上げも、原発再稼働も、早晩急いで決めなければならない議題とは思えない。いまはそれより、100年の大計こそが必要な時なのだ。そこで橋下政権ができたのではどうにもならないではないか、という声も聞こえてきそうだ。しかし、そのときは日本の民主主義のレベルがそんなものだと諦めるしかない。民主主義の理想を実現する道筋は迂遠であり、コストは高くつく。それをとことん、思い知ることから始めなければならない(実を言えば、どこも過半数をとりきれない「ハング・パーラメント」状態になるのではないかと見ているのだが)。

 もっとも、今の小選挙区はダメだから中選挙区に戻すとか、あるいは全く別の選挙制度にするとかというのなら話は別だが。

(文中敬称略)


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

bun

いまさら、朝日の記事をどうのこうのといっても始まらない。NHKや朝日のインチキは多くの書籍で確認済みではないか。マスコミは基本的に真実を語れない。福島原発が爆発したとき、「直ちに命に別状ない」という政府とマスコミ。すぐ死ぬレベルかどうかではないが、危険に決まっていた。
「津波で原発は爆発した」という東電。津波でも建屋は無事なのに? 。浸水で電源を失っている。津波でなくても電源喪失の危険はあった、と指摘されている。そもそも電源がすべて失われる想定がなかった。人間が作ったものは、被害を与えれば、すべて人災に決まってる。危険を予測する学者もいたが、無視されていた。腹立たしいが、この国の知的レベルなので仕方ない。
by bun (2012-07-06 00:51) 

たんたんたぬき

>100年の大計こそが必要な時なのだ.
おっしゃるとおりです。国の進むべき道筋、明確な将来イメージを見せて貰いたいです。そして、願わくばそれは明るいものであって欲しいとも思います。
by たんたんたぬき (2012-07-23 22:46) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0