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「絆」より「連帯」~2011年が暮れてゆく [社会時評]

「絆」より「連帯」~2011年が暮れてゆく


 由紀さおりとピンク・マルティーニの「1969」が米欧で売れているという。米国で受ける理由はともかく、欧州でのそれは分かる気がする。英語ではなく日本語が基調になっていることから「意味」を踏まえてのものではないだろう。ビブラートのない透き通った高音と確かな音程が「楽器」としての魅力を醸している(少なくとも「夜明けのスキャット」は、由紀さおりを「楽器」と見立てることで成り立っている)。そこに日本語をかぶせることで、オリエンタルな空気が漂う。欧州好みのメローな感覚もある。
ジャズ(ピンク・マルティーニ)と東洋と、西洋的音階の確かさ。生まれるのは「いやし」であろう。さらにいえば「原点回帰」のようなもの。

 ヨーロッパはいま、岐路に立っている。ポスト冷戦で推し進めてきた「欧州統合」は正しかったか。ギリシャに始まりイタリア、スペインに広がる財政危機がかの地を揺さぶっている時代、「引き返す」ことも考えなければと思い始めているのではないか。12月30日のロンドン外為でユーロが10年半ぶりに100円の大台を割ったのもその表れだろう。そんな最近の雰囲気に「1969」がマッチしたと思える。


 アルバムのタイトル「1969」。付けた真意は知らないが、どんな時代だったか。考える手がかりとして、前年「1968」をタイトルにした著書が二つ、手元にある。一つは1948年生まれ、米国のノンフィクションライターであるマーク・カーランスキー。もう一つは1949年生まれ、日本の評論家絓秀美。二つの著書に共通項を求めるとすれば「現代」の源流をこの時代に見いだしていることである。たとえばカーランスキーは「衝撃的なモダニズムの時代」と書き、絓は「六八年は現代へのターニングポイントである」とする。もう一つの共通項は「世界性」。これに関しては、四つの要因を挙げたカーランスキーの分析が参考になる。一つは公民権運動。二つ目は反権力世代の登場。三つ目はベトナム戦争。最後はテレビ放送技術の向上。これらは「行動の直接性」に結び付いていく。1968年は、こうした新時代を前に混沌と不安の中にあった。

 ギリシャやイタリアの混乱は、欧州統合が虚構であったことを見せつけた。そこから広がる不安感に、由紀さおりがぴたりはまったのかもしれない。思えばいまヨーロッパのお荷物と化した先の2国+スペイン、ポルトガルは、古代から大航海時代にかけて世界に覇を唱えた国家であったことは、大いなる歴史の皮肉である。「いま」の不安とかつての栄光が結びつくと何が生まれるか。イタリアのムッソリーニは国民を鼓舞するため、カルタゴの大船団を打ち破ったローマ帝国の再建を訴えた。いまその土壌が生まれつつあるのかどうか。


 翻って日本。この地もまた不安と暗い未来に脅かされている。福島原発の放射能の恐怖は終わりが見えない。そうした国民心理を知ってか知らずか、野田佳彦首相は「原発事故収束」を宣言し、支持率を急落させた。八ッ場ダムや消費税、沖縄基地問題の議論を見ていると、政治システムと課題のミスマッチが見えてくる。


 世の中の仕組みが虚構に見えてくる時、人々は下を向くか、上を向くか。「1968」では上を向いた。しかしいま、人々は下を向いている。それが「絆」という言葉にうかがえる。
1212日、清水寺で発表された今年の漢字。とりあえずは、身近な人とのつながりを大切に。そんな思いかもしれないが、辞書を引いてみよう。

 きずな【絆・紲】馬・犬・たかなどをつなぎとめる綱。転じて断とうにも断ち切れない人の結びつき。ほだし。「恩愛の―」(岩波国語辞典から)

 きずなとはむしろ、しがらみのことである。そして聞きなれぬ「ほだし」。これも引いてみる。するとはっきり「自由を束縛するもの」とある。未来が見えない人たちが、自由の束縛を求めている―。これは、危険な兆候でないか。

 思えば震災直後から「心は誰にも見えないけれど心遣いは見える」とか「こだまでしょうか」とか、ACジャパンによる広告が随分流れた。公共広告の原型は米国にあり、斎藤貴男によれば発祥は戦時広告協議会(WAC)だという。たしかに「日本の力を信じてる」などといわれれば、戦時のプロパガンダに見えてくる。


 こうしたことをうすうす感じてはいたが、他にも同じ思いの人がいた。1211日付毎日新聞「時代の風」の斎藤環。「絆」という言葉がもてはやされる世相を解明している。「絆」に過度によりかかることの問題点として「絆は基本的に(略)プライベートな関係性を意味しており」「『世間』は見えても『社会』は見えにくくなる」と指摘。「束縛としての絆から解放された、自由な個人の『連帯』のほうに、未来をかけてみたい」と結ぶ。

 限りなく「公ではなく私のほうへ向かう」社会的思考にはまりつつある。下を向いたままの大衆をしり目に、公権力が過激な市場原理主義(「ショック・ドクトリン」だ)に走るとき、なにが生まれるか。これこそが最も怖い社会的兆候だと思われる。いま「ハシズム」などと軽薄なレッテルであげつらわれている橋下徹・大阪市長など他愛ない。

 さて「1968」を生んだ四つの要因のうち「テレビ」は「ネット」に、「公民権運動」は「中東民主化」に、「ベトナム戦争」は「イラク・アフガン戦争」に置き換えられる。残るは「反権力世代の登場」である。これは、あるのかないのか。「1968」以降をポストモダンの時代ととらえれば、「ポスト・ポストモダン」の時代は来るのか来ないのか。個人的な見解では、見通しはかなり悲観的である。


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