つくられた世論への違和感~濫読日記 [濫読日記]
つくられた世論への違和感~濫読日記
「民意のつくられかた」(斎藤貴男)
「民意のつくられかた」は岩波書店刊。1700円(税別)。初版第1刷は7月27日。著者の斎藤貴男は1958年生まれ。新聞、週刊誌記者を経てフリージャーナリスト。著書に「いま、立ち上がる」「安心のファシズム」など。 |
「まつり」が終わってさめてみれば、なんてことはない。なぜあのとき、疑問に思わなかったのか。なぜ、あんなにたやすくだまされたのか。
そう思うことが、たびたびある。最近のいい例が、原発神話である。見事にだまされた。原発が抱えるリスクは、完全に視野の外にあった。そのことに懲りもせず、いま、我々は同じ轍を踏もうとしている。「TPP」をめぐる議論である。
「バスに乗り遅れるな」という。しかし、バスに乗ってみれば、事実上の客といえるのはアメリカだけだった。韓国も中国も、最近経済成長著しいインドネシアも乗ってはいない。そんなバスに急いで乗る必要があるのか。
「平成の開国」という。では今の日本、経済鎖国の状態にあるのか。関税はどんどん引き下げられ、国内企業は円高に悲鳴を上げて海外へと生産拠点を移している。現地の労働力を使って現地で売る。翻って国内は、と見れば高齢者ばかりが目立ち、若年者はまともな仕事さえない。長いデフレのトンネルは続く。これで平成の開国とは―。「日本よ、おまえはマゾヒストか」と言いたくもなる。
サブプライムローンからリーマンショックの地獄を見たアメリカは、オバマに何を期待するか。かつての米国民はけた外れの消費意欲の塊だった。それが住宅ローンで破綻した。消費大国から生産大国へ向かうには、巨大な輸出市場を見つけ出す必要がある。だから中国に秋波を送るが中国は知らん顔だ。こんなとき、飛んで火にいる日本よ、である。
それはともかく、踊らされ続けたこの国・日本の世論を斜めに見たのが、この「民意のつくられかた」である。
第1章と2章は「つくられた原子力神話」。この中で、著者の斎藤貴男は電通―共同通信―全国地方紙の世論誘導プロジェクトをあぶりだしている。むしろこれは「世論誘導装置」と言った方がいい。ここで扱われた素材は「パックニュース」という名で「市場」に出される。斎藤はこれを「編集権をカネで売り渡すのにも等しいメディアビジネス」と断じる。もちろん、ここでは原発も例外ではなく、資源エネルギー庁をクライアントとして「エネキャラバン」なるものが企画される。そこで斎藤は、関係者から信じられない言葉を聞く。「国がスポンサーになる広告は、掲載する媒体側の責任は問われるべきでない」というのだ。このことによって、多少はいかがわしいと思われるパンフレットも、日本中の学校に持ち込むことができる。
「3・11」後、耳についてしまったAC広告。この原型は米国のWAC=戦時広告評議会にあるという。震災後のAC広告に、非常時意識⇒「日本よ頑張れ」プロパガンダの権力性を見出した人は多いのではないか。この点、斎藤も同様の認識に立っている。
このほか、ここにはさまざまな世論形成過程における斎藤の「違和感」がつづられている。事業仕分けに五輪招致。森田健作の千葉県知事選。斎藤からすればこれは本筋の仕事というより「サイドワーク」に近いものであろう。しかし、こうした「違和感」をつづり続けることは、とても大切なことだと思う。次回はぜひ、TPPにまつわる「違和感」をときほぐし、深めてつづってほしい。
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