鼻持ちならぬお上意識~五輪説明会から [社会時評]
鼻持ちならぬお上意識~五輪説明会から |
あらためて意見を聞きにおいでください。たくさんの意見を聞いてたくさんの質問をしたいとおっしゃっているので、あなたの意見も良く分かります。多岐にわたっているのでここで一つ一つにお答えすることは…(質問者から「○○してください」=聴取不能)。(略)納得いただけなければ話をしましょう。(会場から「それならもっと説明会をしろ」)。それは会場やおカネ等もあるので何回もというわけにはいきませんが。お宅様がお訪ねいただければ私は何回でも分かっていただくまでお話しいたします。(質問の男性が怒りを抑えながら「アンケートに住所も電話番号も書いておきますから」)
普通の市民はこれを聞いてなんとも思わないのだろうか。そもそも、市民が必要だとも思っていないオリンピック構想を昨年の10月に秋葉市長が突然言いだしたのである。それから1年、市民は何の声も聞かれてはいない。ようやく1年たって、市側が計画の説明をするから来い、というので市民は所定の日時、場所に従って集まったのである。そして意見を言えば、上のような言い草なのだ。慇懃な言い方をしているが、その場では質問に答えずに、要は「文句があれば俺のところに来い。分かるように説明してやるから」である。五輪構想に異論を言う市民を説得したいなら、市のほうが出向くべきであろう。市側は別のところでは「聞く耳を持っていただけない方もいるので」とも言っていた。これも失礼な話だ。「聞く耳」を持たなければならないのは市のほうであろう。これではまるで明治のころのお役人意識だ。
もはや、このような行政を野放しにするわけにはいかない。市民は立ち上がらなければ、これは市長や市役所の恥だけではなく、市民の恥になってしまう(もうなっているのかもしれない。他都市の市民は五輪構想を聞いて「なんでこんな市長でみんな納得しているの?」という感じなのだ)
広島市佐伯区の五日市公民館であった五輪説明会 |
ついでに言っておけば、この問題に関して地元新聞は全く頼りにならない。何を遠慮しているのだろうか。ただ、その中で「広島五輪 競技団体に聞く」という連載を走らせている。これは出色である。別段、書き方や手法や構成が優れている訳ではない。単に五輪計画の評価をスポーツ団体に聞いただけの話である。それが光を放つ理由は、言い換えればどれだけスポーツ競技団体やアスリートを無視した議論が続けられてきたか、ということでもある。そうなのだ、平和だの核廃絶だのと言いながら、肝心の競技団体はカヤの外なのである。そのことを浮き彫りにしたという意味で、この連載企画は出色なのである。そこでは何が書かれているか。
まず目立つのは「何の説明も受けていないので評価のしようがない」というものだ。これはほとんどの団体が言っている。つまり広島市は五輪基本計画を作るにあたって、競技団体とは接触していない。東京や福岡の計画を取り寄せて素人職員が額を突き合わせ、広島の都市に見合うようにダウンサイジングしたという安易な作業光景が見えるようだ。
次にあるのは、競技日程、競技場のずさんさを指摘する声。例えば広島陸競名誉会長の指摘。サッカーの決勝と陸上競技が同じ日に同じ場所で行われるのだ。観客の入れ替えを含め、それは可能なのか。名誉会長は「すべての考えが甘い」とコメントしている。8月7日から炎天下で連日あるテニスはどうなるのだろう。関係者は「出場を見合わせる選手も出る」と言っている。ヨット会場では漁船の操業を控えてもらわなければならない。そのための漁業補償は?というのもあった。
寄付金の趣旨に疑問を持つ声もある。「平和や核廃絶のために集めた金はその方面で使うのが筋」というもので、至極ごもっとも。
その他、仮設会場に対する疑問。オリンピックを開くなら、最高の環境をつくらなければならない。それを仮設で、というのは予算を気にする役人の発想だろう。競技団体からすれば、最高水準の競技場は残してほしいのだ。それが今後の競技力の向上につながる。アジア大会でビッグアーチを作ったから今日のサンフレッチェがあるという言い方もできよう。市民球場を作ったから今日までカープ球団を抱えることができたということもある。「仮設会場で」というのは予算ありきの役人の冷徹な論理に見える。
要は、スポーツをする側から見た大会像が全く貧弱なのだ。そして、商議所だって「聞いてないから知らん」と言っている。寄付金頼みの構想なら、財界ぐらいはあたっておいてほしいね。
2010-10-25 13:28
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