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政党政治の原点を考える~濫読日記 [濫読日記]

 政党政治の原点を考える~濫読日記


「評伝 斎藤隆夫 孤高のパトリオット」松本健一著

 評伝斎藤隆夫_001.JPG ★★★☆☆

「評伝 斎藤隆夫」は岩波現代文庫。
1200円(税別)。初版第1刷は2007年6月15
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松本健一は1946年生まれ。北一輝研究で知られる。「評伝北一輝」をはじめ、昭和の思想史を主なフィールドとする。最近では「海岸線の歴史」(ミシマ社)で新境地を開いた。

 











 昨今の政治状況を見て痛切に感じること、それは政党政治の脆弱性である。冷戦下の日本はイデオロギー対立を軸にした各政党の成立があり、それはそれで意味をなしたのだが、冷戦が終わってみると政党は存在意義を見出しにくくなっている。国家とは何であり、個人とは何であるか。政治のよって立つところは…。いま、それを考えてみなければならない時代ではないか。

 思えば、冷戦が終わって以降の日本の政治は漂流しているかに見える。宰相は次々と、巨大なポピュリズムの中で消費されていく。この状況を昭和初期、天皇制と軍部が台頭する時代、それは一方で政党政治が崩壊していく時代でもあるが、この時代と重ね合わせている評論家がいる。松本健一。彼は4月24日付朝日新聞「オピニオン」の面でこう書いている。

 ――こういう戦争直前の経緯をたどってみると、政党政治を必死にたたかった斎藤隆夫を国会から除名していった政治過程こそ、政党がみずから崩壊していった歴史にほかならない。
 ――こう考えてみると、二十年ちかく前から漂流しはじめた政党政治のなかで、そのポピュリズムゆえに人気の高かった細川護煕氏、小泉純一郎氏、そうして鳩山由紀夫氏は、みなそれぞれ祖父が昭和戦前の政党政治の解体にふかく関わっていたことがわかる。
 ――いま、政党政治を外から歪める軍部や天皇制の力は、ない。代わってあるのが、テレビをはじめとする、マスコミという新たな権力によって煽動された世論だろう。

 細川、小泉、鳩山の祖父とは近衛文麿、小泉又次郎、鳩山一郎である。彼らによって「粛軍演説」「反軍演説」で知られる斎藤が除名―排斥されていった経緯こそが、天皇制と軍部の台頭=政党政治の崩壊過程にほかならない、というのが松本の見立てである。
 俗に「一世一代の」という形容詞がある。斎藤もまた、そうした形容詞で語られがちである。「一世一代の」「粛軍演説」「反軍演説」をした政治家・斎藤隆夫―というとらえ方である。はたしてそれは正しいのだろうか。答えを先に言ってしまうと、松本はこのように書き、斎藤へのレッテル貼りを否定している。

 ――斎藤隆夫は「粛軍演説の」、もしくは「反軍演説の」とレッテルを張られることで、戦後は絶大な評価を受けているようにみえながら、その死のあとはほとんど研究の対象とされず、また評価をめぐって論争が白熱することもなかった。

 念のために言っておけば「粛軍演説」とは1936年、二・二六事件の際の軍部独裁に対する批判、「反軍演説」とは40年の中国との戦争処理を巡っての軍部批判である。
 斎藤は兵庫県の山間の寒村に生まれた。そこから学問で身を立てる決心をし、東京に出て法律を学ぶ。さらに米国へ留学してエール大学で研さんを積む。松本は、こうした足跡を丹念に追っている。斎藤の「パトリオティズム=松本によれば<愛国主義>より<愛郷主義>に近い」の源泉と、「優勝劣敗」の思想=政治的リアリズムの原型を見るためである。「反軍思想」のレッテルによって斎藤は改革派、もしくは理想主義の政治家と見られがちだが、松本はそうは見ていない。例えば1943年に斎藤が発表した「大東亜共同宣言の将来」をめぐってこのように書いている。
 ――強国が興って弱国が滅び、強国は弱国を侵略し弱国は強国に侵略せらる。此の必然の理法(略)
 さらに、米英による東亜侵略の歴史を事実として認めながら、斎藤はこのように言う。
 ――侵略せらるゝのを厭うならば、なぜに強くならないか。
 では、斎藤はダーウィンの進化論に基づく理詰めの世界ばかりを信奉したかといえば、それも違う。
 ここで、松本は面白いエピソードを紹介している。同郷の帝大博士・和田垣謙三との「大和桜」をめぐる論争である。和田垣は「日本の桜は花ばかりで実を結ばず役に立たない」と演説する。これに対して斎藤は「美の観念がない」と逐一反論を加えている。松本はこれに斎藤の「洋行帰り嫌い」であり、「ナショナリスト」に対する「パトリオット」の反発であると付け加えている。
 ――三日見ぬ間に散って無くなる大和桜が、どれだけ日本人を感化したか。
 ここで斎藤は間違いなく、日本精神の非合理性をも見ている。
 そのような政治家・斎藤がどんな政治状況にいたか。昭和初年、鳩山一郎が政府攻撃を行う。統帥権干犯批判である。天皇の統帥権は海軍軍令部長が参画して責任を負い、統治の大権は内閣が輔弼する。したがって内閣が軍令部長の意見を無視して国防計画に変更を加えるのは「統帥権干犯」である―。
 1時間25分にわたる粛軍演説で斎藤が行ったのは二・二六事件を引き起こした軍部の責任追及であり、軍部の横暴を許す政党政治の堕落への批判であった。松本によれば「陸軍大臣に言葉を失わしめた」演説であったという。しかし、時代は破滅的な方向へと向かう。政治的な実力を持たぬ近衛文麿に政権が移って大衆迎合がおこなわれ、無責任政治が横行する。象徴的なエピソードを紹介しよう。
 近衛は内閣を放り出し、後継に東条英機を奏請する。帰りの車で秘書官・細川護貞に「戦争をしないという条件で組閣させる。名案だろう」と言う。細川は「戦争をするのが軍人の商売。戦争をするなといって軍人に組閣を命じるのは本末転倒」と答える。これに近衛は「それは書生論だよ」とどなりつけたという。
 だれがみても、書生論は近衛のほうである。日本が破滅へと向かう道筋が確定した瞬間だろう。
 昭和20年8月に斎藤が書いた「大東亜戦争終わる、日本敗れたり」を、松本は2度にわたって引いている。その中にこのようなフレーズがある。
 ――人間の生命は短いが、国家の生命は長い。
 ――国民が失望落胆して気力を喪失したる時は、其の時こそ国家の滅ぶる時である。
 「大衆」ではなく「国民」を見る。「ナショナリズム」ではなく「パトリオティズム(愛郷主義)」を見る。今一度、見直してもいい政治家・斎藤隆夫がそこにいる。


評伝 斎藤隆夫―孤高のパトリオット (岩波現代文庫)

評伝 斎藤隆夫―孤高のパトリオット (岩波現代文庫)

  • 作者: 松本 健一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2007/06
  • メディア: 文庫


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智太郎

 トラックバックをさせて下さい・・・今日も暑いですねー?異常気象のせいか?暑いのに災害も多いですね~?。 共通するキーワード=「小泉純一郎」を含むブログ記事:我が家の実家が神奈川県横須賀市三春町って所で小泉元首相の実家から歩いて3分程の所だったんです。・・・トラックバックをさせて戴きました。<m(__)m>
by 智太郎 (2010-07-23 11:57) 

asa

≫ 智太郎 さん
トラックバックありがとうございました。
by asa (2010-09-12 20:41) 

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