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ヒロシマ五輪を開く根拠はなくなった [社会時評]

ヒロシマ五輪を開く根拠はなくなった

 「ヒロシマ五輪」について先日、地元紙が世論調査をした。広島、山口の読者が対象で、賛成29.5%に対して反対34.7%だった。広島市内に限定すると反対が50.8%で賛成22.8%を大きく上回った。反対の最大の理由は「財政負担が心配」だった。賛成の最大理由は「核兵器廃絶を進めるため」だが、広島県内に限定すると「経済効果」だった。面白いのは、山口県内では賛成が35.6%で反対20%を大きく上回ったことだ。
 つまり、こういうことだろう。「核兵器廃絶」という崇高? な理念で五輪を開くこと自体は賛成である。しかし、財政負担が心配だから、隣町で開催するのはOK。ちゃっかりした住民の心理がのぞいている。
 予想される財政難に対して、構想をぶち上げた広島市はローコストの大会を模索している。「平和」の理念を掲げて簡素な施設での開催。しかし、こうした路線は明らかに近年、五輪が歩んできた道とは違う。国家間の競争意識を刺激し、放映権料やスポンサーシップによる収入で運営費を賄う。ロス五輪(1984年)のピーター・ユベロス組織委員長が始めた路線にIOCがのっかって今日の五輪の姿はできている。これを変革しようというのなら、志をよしとしたい。しかし、それなら五輪による経済効果など期待しないことだ。整備された競技場も、コンパクトな施設配置も、後回しにできるのだろうか。ショーアップされない五輪に、テレビの放映権がつくだろうか。商業化を排除すれば、逆に財政負担を増やすことになるのではないか。
 「ヒロシマ五輪」の議論を見ていると、「核兵器廃絶」という理念は出てきても五輪の姿をどうするか、という議論はほとんど見えない。だから「核兵器廃絶」と「経済効果」が相前後して共存するというトンチンカンなことになる。この点、スポーツライターの玉木正之氏は4月1日付毎日新聞で「秋葉市長はスポーツや五輪のありかたについて何もしゃべっていない。核兵器廃絶を訴えるのに五輪招致を政治利用するのは、スポーツへの侮辱で残念だ」と話している。
 そのとおりだろう。五輪としてのあるべき姿を議論しなければならない。しかしそれはどれだけの実現性を持つだろうか。
 ヒロシマ五輪を開く根拠が、もうひとつ崩れつつある。それは、そもそものスローガンである「核兵器廃絶を記念する」という前提が揺らいでいることである。5月に米国ニューヨークで開いた核拡散防止条約(NPT)再検討会議で広島市は、2020年の核兵器廃絶をうたったヒロシマ・ナガサキ議定書採択を目指した(これが「2020年核兵器廃絶」の唯一の根拠である)。しかし、提案国さえなかった。だれが考えても非現実的な提案に乗る国はなかったのである。「核なき世界」のビジョンを打ち上げた2009年4月のオバマ演説でさえ「私の生きているあいだには核兵器はなくならないであろう」としている。1961年8月4日生まれのオバマ大統領は2020年8月でまだ60歳にもなっていない。米国人男性の平均年齢を考えれば、大統領自身が2020年には核兵器はなくならないと言っているに等しいのである。
 秋葉市長はNPT会議から帰国した直後の記者会見(5月12日)で「国連は国連、広島市は広島市」と、五輪の招致活動をなお続ける意思を示した。核兵器をめぐる国際情勢の現実も顧みず、市民の意向も無視する市長の独走。これはいったい何だろうか。

  
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