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「ニュース」はなくならない~濫読日記 [濫読日記]

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「新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか」アレックス・S・ジョーンズ著


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「新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか」は朝日新聞出版刊。1800円(税別)。初版第1刷は2010年4月30日。

 アレックス・S・ジョーンズは1946年、テネシー州の地方紙を経営する一族に生まれる。ニューヨーク・タイムズ記者などを経てハーバード・ケネディスクールの研究機関ショーレンスタイン・センター所長。




  









 国を問わず、新聞業界は目の前の危機的状況を受けてパニックに陥っているようだ。ネットの隆盛と、不況による広告収入の落ち込み。ゴールドマン・サックスのアナリストによれば「新聞アナリストでいるのは、故障続きの家電メーカーの修理工でいるようなもの」なのだ。

 20世紀に起きた新聞経営の大きな問題は、技術革新だった。19世紀的な印刷技術がカラーのオフセット印刷に変わっていく。編集システムは鉛の活字からコンピューターに変わっていく。しかし、1990年代後半から起きた変化は、明らかに違っていた。

「インターネットを肩越しに振り返り、これまで長いあいだ隆盛を保ってきた新聞業界に、それがどんな意味をもたらすだろうかと恐れている」のである。「迅速」な行動が求められている。しかし、迅速な行動とは何か。紙の新聞で減っていく収入をオンラインで補うことなのか。

 著者はここで、米国マスコミの一つの潮流を取り上げる。「超ローカル」という路線である。名門の新聞が海外支局を閉め、ローカルニュースで1面トップを作る。読者参加型の紙面を増やして記者の人件費を下げる。こうしたコンテンツを増やすことでウェブサイトへの訪問も増える。しかし、これは何を意味するか。

 「ほかのより重要なニュースから人材や資金を奪ってしまう。大半のニュース編集室では、スタッフが増えるのではなく、減少する」(第7章 崖っぷちの新聞)

 たしかに、今の新聞業界はひどい状況なのだ。著者自身が書いている。「いま解雇されているのは、贅肉のような余剰人員でなく、新聞や他の報道機関の最大の宝ともいうべき、日々熱烈にジャーナリズムに身をささげている人たち」である。

 こうした状況に突破口はないのか。ここで一つの言葉を紹介する必要がある。「鉄心のニュース」。ゴシップや論評、エッセーは含まない。これらは鉄心のニュースから派生したものである。鉄心のニュースとは「政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としている」ものをさす。「検証のニュース」と呼ばれることもある。民主主義に欠かせない糧。プロのジャーナリストでなければ、ものにすることができない。この「鉄心」の周りを、さまざまな議論が取り巻いている。

 新聞がなくなった日に、この「鉄心」は誰が引き継ぐのか。ウェブなのか。ブログでは主張の多い「ニュース」が流れている。

 著者は、「鉄心」を守るものは新聞しかない、と言っている。ウェブが新聞にとって代わる日が来るのか。この問いに、著者の答えは否定的である。ウェブは独自の文化を育てるだろう。テレビは新聞にとって代わることはなく、独自のスタイルを育てた。車の登場によって鉄道は滅びたわけではなく、共存している。ニュースを扱う伝統的な手法はウェブには役立たない、と言っているのである。

 この考えに、全面的な賛意を示したい。あらためて「ニュース」とは何かを考えてみる必要があるのだ。読者が望む「ニュース」ではなく、読者に必要な「ニュース」。ときにそれは、読者にとって苦いニュースであるかもしれないのだ。それを担うメディアは新聞よりほかにあるのだろうか。機能的でスピードのあるメディア―ウェブサイトとは違うところにある文化的土壌ではないかと思うのだ。

 いわゆる業界事情を書いてはいない。メディアの専門家が米国ジャーナリズムの源流を探った研究書である。

 

新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか

新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか

  • 作者: アレックス S. ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2010/04/20
  • メディア: 単行本





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