SSブログ

学ぶべきは「楕円の理論」~濫読日記「茜色の雲」(辻井喬著) [濫読日記]

 学ぶべきは「楕円の理論」~濫読日記

「茜色の空」(辻井喬著)
 茜色の空_001のコピー.jpg

★★★☆☆

 「茜色の空」は文芸春秋刊。
2048円(税別)。初版第1刷は2010年3月10日。

 著者の辻井喬は1927年生まれ。元セゾングループ代表・堤清二としても知られる。「抒情と闘争―辻井喬+堤清二回顧録」など。

 

 

 











 現職の首相が急死するという驚愕のニュースが駆け巡ったのは
1980年だった。そうか、あれからもう30年たつのか。

 大平正芳。田中角栄と福田赳夫という二人の領袖の間で、自民党がもっとも激しい権力闘争を繰り広げていたころ首相となった。福田の同調者による大量欠席で不信任案が可決され解散・総選挙へと突入。最中に壮絶な死を遂げた。「戦死」と言ってもいい。

 独特の雰囲気を持つ。口下手で「アーウー宰相」とも呼ばれたが、その「アーウー」を除くとそのまま筋の通った文章になっていたという【注①】。哲人宰相とも呼ばれた。道半ばで倒れたが、その保守思想は後の日本政治の礎であったとも思える。それは辻井がこの「茜色の空」で、大平がクリスチャンであったことを踏まえて聖書から引用した「一粒の麦もし死なずば」を地で行くところがある。大平は死して多くの「麦」を残したのである。

 小説として描いた大平の人生は、高松高商時代に始まる。決して裕福ではなかった生活。東京商大へ進み、自分の実力は7割ぐらい評価されればいいと思っていたという逸話が明かされる。いかにも大平らしい、政治家らしからぬ風貌が立ち上がる。

 その政治家としての軌跡は、吉田茂との出会いから始まると言ってもいい。大平は大蔵官僚だった。そして後に派閥を引き継ぐことになる池田勇人との出会い。蔵相に抜擢された池田は秘書官として黒金泰美、宮沢喜一を起用する。ともにカミソリのような切れ者だ。3人目の秘書官として大平を指名する。だが大平はとても「カミソリ」とは言い難い。

 大平は、一度はこの任を断ろうと思う。それに対して池田は「君が秘書官をやるのは道理だよ。じっと隣の部屋で座っていてくれたらそれでいい」

引き受けざるを得なくなった秘書官を3年半務める。これが、大平の政界入りの機縁となる【注②】。このころ、戦後日本の進路について「いつまでも米国の言いなりになるべきではない」とする財界から「一斉辞職」の動きが出る。池田は、当時の財界の大立て者ともいうべき宮島清次郎のもとに大平を送る。結局「一斉辞職」は朝鮮戦争の勃発で取りやめになる。その話し合いの中で宮島はこう語ったという。

「若くて頭が良くても利に聡すぎる者は危うい、最近はそういう小才子が増えた」

当時の財界人へ向けて発した言葉ではあったが、当然それは政治家、官僚に向けた言葉でもあったろう。

辻井はこの書で、当然のことながら吉田茂の思想の源流にも、多くの紙数を費やしている。戦後保守政治思想の骨格は吉田の手になるものであり、その流れの中に大平も位置づけられるからであろう。大平が香川県の出身であると聞いた吉田が「そうか、わしの裏山の産だな」と答えたというエピソードは、いかにも吉田らしい。

そうした大平の保守思想の象徴的な概念として、辻井は「楕円の理論」を挙げている。日米核密約を毎日新聞記者がすっぱ抜いた事件(小説では記者名が変えてある)。大平は対応に苦悩する。

「この際、正芳は持論である楕円の理論が使えそうになかった。外交上の必要と知る権利という二つの核をまとめる大きな円を自分が持っていないからである」

 このときは不幸にして決定的な対応策が見つからなかったものの、大平の政治哲学は常に、対立する二つの「核」を包み込む「円」を見出すことにあったといえよう。

 

 なぜ小説家・辻井喬は大平正芳を書かなければならなかったか。この「楕円の理論」までたどり着いてようやく明らかになってきたように思う。小粒で包容力のない政治を辻井はいま、見てしまっているからではないか。

 辻井は大平を小説として取り上げたが、壮絶なノンフィクションとしては、元朝日新聞記者による「権力の病室 大平総理 最期の14日間」(国正武重著)【注③】がある。福永の「大平正芳」(【注①】参照)も労作である。

 

【注①】福永文夫著「大平正芳」(中公新書、初版第1刷は200812月)から、日本共産党議長・不破哲三の証言。

【注②】日経新聞「私の履歴書」で大平自身が回想。「茜色の空」からの孫引き。

【注③】文芸春秋刊。初版第1刷は2007年4月。

茜色の空

茜色の空


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0