人間には触媒が必要だ~映画「バグダッド・カフェ」 [映画時評]
人間には触媒が必要だ~映画「バグダッド・カフェ」
約20年ぶりにニュー・ディレクターズ・カット版が作られ、公開されたのを機に「バグダッド・カフェ」を見た。1987年制作。気になりながら、これまで見逃していた。
ドイツ映画である。不思議な作品だ。この不思議さは何だろう。背景にある荒涼たる砂漠。見事な映像処理。人物の確かなつくりこみ。舞台は米国、それももっとも「アメリカ」らしいロケーションだが、映画の手法とテイストはヨーロッパなのだ。それが魅力になっている。
ラスベガスに近いモハベ砂漠にある「バグダッド・カフェ」。モーテル兼ガソリンスタンド。つまり砂漠の中のオアシス的存在だが、女主人ブレンダ(CCHパウンダー)はいつも不機嫌。映画俳優崩れの画家や下手なピアノを弾いている息子、働かないバーテン。「はみだしもの」たちがたむろする店内は陰惨な雰囲気が漂う。そこにドイツ人観光客ジャスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)がふらりと訪れる。砂漠に似合わない大きな旅行カバンにハイヒール。太った体型。どこにでもいそうなおばさん。だが彼女は不思議な魅力を持ち、バグダッド・カフェを変えていく。いつしか店には客があふれる。
ストーリーは極めて単純。最後にはほっとするシーンもある。冒頭、いきなり対角線を使った映像が印象的。砂漠に飛ぶブーメラン、店名が書かれたタンクと青い空。この映像感覚はまさしく「ヨーロッパ」なのだ。砂漠やカフェや荒涼とした人間関係-という極めて「アメリカ」的な素材をヨーロッパ感覚で作ったところに、この映画の価値がある。
そして人物像の作りこみも。米国映画ならこうは作らないだろう。筋立てからすれば「シェーン」か。日本映画なら伊丹十三監督の「タンポポ」。だが味わいはどちらでもない。ジャスミンの魅力が店を明るくし、人々に働く気を起こさせ、客を呼ぶ。それがなぜなのかは、分からない。だがジャスミンの存在はまったくの絵空事に映るかと言えば、それも違う。ジャスミンは「触媒」であり、人間集団に「化学反応」を起こす。このあたりを米国的自由社会とヨーロッパ的感性の融合、と言えば言い過ぎだろうか。
そして人間、生きていればどこかにはまる場所があるものだ、と思わせる展開。多くの人が引かれるのはこの一点だと思う。
脇役で出てくるジャック・パランスやクリスティーネ・カウフマンが懐かしい。
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