SSブログ

ワイダ監督の心に潜むナイフの切っ先~映画「カティンの森」 [映画時評]

ワイダの心に潜むナイフの切っ先~映画「カティンの森」 

 「灰とダイヤモンド」をアンジェイ・ワイダ監督が映画化したのは1958年。30代前半だった。ポーランド労働者党幹部暗殺を企てる若きテロリストの、ぶざまともいえる死にざま。何が「灰」で何が「ダイヤ」なのか。戦火で燃え尽きなかったものは何だったのか。この映画を見て去来したのは、テロリストに心を移しての敗者の美学とでも呼ぶべきものだった。だが、何かしらそうではないものも、この映画に感じ取っていた。それが分からないままでいた。

 映画「カティンの森」は、ワイダ監督の実体験が色濃く投影されている。カティンで虐殺された父。その事実を信じないまま亡くなった母。知られているように、ポーランド将校1万数千人の虐殺はソ連によって行われた。だが戦後、ソ連はそれを否定。敗戦国であるドイツの凶行と宣伝する。ポーランド国民の中に真相を知らないものはない。しかし、本当のことを言うことはできない。1940年の虐殺をソ連が認めたのは実にその50年後である。

 カティンで殺されたポーランド将校の妹二人の対照的な生き方。姉はレジスタンスの志を保ち、妹は体制の中で現実的な生き方を選択する。そしてつぶやく。「自由なポーランドはもうない」―。ポーランドはドイツとソ連によって引き裂かれ、世界地図から消えた経験を持つ国である。「自由なポーランド」―それは米ソ冷戦が終わり、ソ連が崩壊するまで実現することはなかったのだ。

「灰とダイヤモンド」以来、ワイダ監督が描きたかったもの。それは祖国ポーランドの自由ではなかったか。ソ連の衛星国であった第2次大戦直後、それをストレートな映像にすることができずテロリスト・マーチェクに思いを託したのではなかったか。そうだとすれば、この映画「カティンの森」のテーマは極めて直截である。ソ連によってでも、ましてやナチス・ドイツによってでもない祖国の自由。そのためにアンジェイ・ワイダは今日まで戦い続けたのだ。直截であるだけに、心に秘めたナイフの切っ先が鮮やかに見て取れる。80歳を過ぎたワイダがなぜいま、この映画を撮ったか。その意味は重い。

映画の中で、ソ連の宣伝ポスターを破り捨てるポーランドの若者が追われながら車にはねられて死ぬシーンがある。「灰とダイヤモンド」で、技巧のベールで隠さねばならなかったものが何か。ワイダの執念を見る思いがする。ソ連が事実を事実として認めるまでに50年かかったように、ワイダ監督が事実を事実として映像化するにもやはり50年を要したのだ。

 
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(1) 

nice! 1

コメント 2

たんたんたぬき

「それは祖国ポーランドの自由ではなかったか。ソ連の衛星国であった第2次大戦直後、それをストレートな映像にすることができずテロリスト・マーチェクに思いを託したのではなかったか。」
本作の後半部分群像劇は、監督のこんな心情を反映していたのかも知れませんね。とても参考になりました。
by たんたんたぬき (2010-05-17 10:14) 

asa

≫ たんたんたぬき さん
ありがとうございました。80歳を過ぎたアンジェイ・ワイダ監督がなぜこの映画を撮ったか。祖国ポーランドへの愛と執念を見る思いがします。
by asa (2010-05-17 10:32) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 1