ヨーロッパの自己規定~濫読日記 [濫読日記]
ヨーロッパの自己規定~濫読日記 |
「1492 西欧文明の世界支配」(ジャック・アタリ著)
EUには今、27カ国が参加する。国境を越えた経済交流によって米中と並ぶ経済的な極になりつつある。ヨーロッパはよみがえったのか。しかしその内実は一通りではない。EUの超国家的なあり方に懐疑論も生まれている。
ヨーロッパとは何か。これは実は、なかなか困難な問題だ。このテーマに挑んだのが「1492」だと言える。書かれたのは1992年。アタリの直接的な動機は「ヨーロッパの5世紀を振り返る」ことであったのだろう。だが、そうした動機を越えてこの書は見事な歴史意識を提示している。これに裏付けられて、極めて意図的なこの書の構成がある。「ヨーロッパを捏造する」と題した第Ⅰ部。「歴史を捏造する」と題した第Ⅲ部。そして第Ⅱ部は1492年を月ごとに詳細に追う。1492年「以前」と「以後」とを左右対称に並べた美しさ。そして1492年は歴史の分水嶺となる。
第Ⅰ部で語られるのはユダヤ人とイスラム教徒の排斥である。その背後に中世、すなわち宗教の時代から近世、すなわち人間の時代の台頭がある。産業とは呼べないまでも、一つの技術社会が出現する。この流れの中でヨーロッパはキリスト教の支配と、印刷術の出現による知の普及を手に入れる。そして「哲学は商人から生まれる。学問は商業から生まれる」―。アタリによれば、14世紀ごろから「ヨーロッパ」という言葉が広まってくる。ヨーロッパによる世界支配が予感され始める。
しかし、ヨーロッパは単純ではない。「大陸としての統一性」と「国家としての多様性」という分裂を、以後5世紀にわたって抱き続けるのだ。
1492年が歴史の分水嶺になったのは、言うまでもなくアメリカ大陸の発見があったからだ。大陸としてのヨーロッパは、こうしてグローバルな意識を手に入れる。アタリの表現を借りれば「ヨーロッパの空間と時間が最大値にあるとき」となる。そして「地球は一つの球体として認められる。また人々は自らを放浪者(ノマド)として受け入れる」。「21世紀の歴史」でキーワードとなる「ノマド」の発生が語られる。
第Ⅲ部では、こうして手に入れた新しい土地での、新しい歴史の「捏造」が語られる。この書の表現で言えば、こうなる。
「その土地から邪魔ものたちを追放し、ひとつの歴史、征服に値するひとつの空間、移住させるのに適したひとつの地上の楽園、作りだすのに都合のよい『新しい人間』を勝手に捏造することになる」
この裏側で、忘れてはならない一つの不幸が進行する。
「1492年にナショナリズムという新しい爆発の点火装置が始動し、それは5世紀の間ヨーロッパを不幸にするだろう」―。大時計が時を刻み始めるのだ。ユダヤ人虐殺という人類の不幸もまた、この文字盤の上で起きる。ヨーロッパを「捏造」したヨーロッパは「ヨーロッパ以前」を抹殺するという野望を捨てきれないでいたのだ。
そして今、この書を読むことの意味。日本人による「日本」の自己規定が必要ではないか、と強く思うのだ。
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