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「まなざし」の中の鬱屈~濫読日記 [濫読日記]

「まなざし」の中の鬱屈~濫読日記

 

「『働く青年』と教養の戦後史 『人生雑誌』と読者のゆくえ」(福間良明著)

 

 いわれてみれば遠い昔、そんな雑誌があったな、と思う。「人生雑誌」あるいは「人生記録雑誌」と呼ばれた一群。「読書を通じた人格陶冶」を目指し、時事問題や社会批評も扱った。1950年代後半に高揚期を迎え、代表格の「葦」や「人生手帖」はそれぞれ約8万部発行したという。「中央公論」が12万部、「世界」が10万部の時代である。けっして無視できない規模であるが、いまや影も形もない。なぜそんな雑誌が売れたのか。そしてなぜ消えたのか。その謎を丹念に追った。

 もちろん、これらの雑誌の背景を探るには、戦後の一時代を切り取り、分析する必要がある。つまり、この書は雑誌の盛衰にとどまらず、「戦後を考える」うえでの重要な視点を示している。

 「戦後を考える」という大テーマへのアプローチの一つとして、著者はまず当時の経済的貧困をあげる。1950年代、雑誌の主な読者層は、集団就職などで職を得た勤労青少年だった。しかし、彼らは初めから「勤労青少年」を目指したわけではなく、中学卒業後に家庭の事情などでやむなく就職したものも多かった。進学の道を断たれた鬱屈が、彼らを学歴エリートとは違うある種の教養主義へと向かわせたのである。

 ここで著者は、日活映画「キューポラのある町」(1962年)をとりあげる。学業優秀なジュン(吉永小百合)は父親が解雇されたことで進学の道が絶たれそうになる。周囲の助言で、定時制で学ぶ決意をするが、父親が復職し経済的な見通しが立ったことで志望校進学がかなうことになるが、ジュンはあえて定時制進学を選択する―。

 この映画は、吉永の魅力もあり、当時の映画賞を総なめにした。時代的背景として、学歴エリートとは別の教養主義の広がりがあり、それが人生雑誌の読者層を支えたといえる。教養へのあこがれと、エリート知識人に対する反発。そうした複雑な心情が雑誌の成立をもたらした、と著者は分析する。

 1950年代には「戦争への悔恨」も影を落とした。それは必然的に内容の左傾化につながった。朝鮮戦争、松川事件、サンフランシスコ講和条約への批判的視点が、雑誌を特徴づけた。

 しかし、60年安保という政治の季節をへて、「思想の科学」(1946年創刊)などが注目を浴びると、人生雑誌の中途半端さが目立つようになる。「戦争への悔恨」も、時代とともに薄れていく。一方で時代は高度経済成長期に入り、家庭の貧困で高校進学が絶たれるというケースがそれほど目立たなくなる。「葦」は60年に廃刊、「人生手帖」も63年に約3万部にまで落ち込み、衰退は明らかだった。

 この問題を取り上げるにあたって、著者が見田宗介著「まなざしの地獄」を手掛かりにしたのは興味深い。「青年の主張 まなざしのメディア史」を書いた佐藤卓己と同じ視点である。集団就職した若者が、せめて高卒の肩書を手に入れようとするが、職場はそれを許さない。表相で否定しようとする都市のまなざしの地獄の中で、教養主義にあふれた(その一方で知的エリートへの反感を込めた)人生雑誌を手にするとき、なにがしかの「希望」や「勇気」を感じ取ったとしても不思議ではなかっただろう。

 濫読日記でも取り上げた佐藤の前掲書と合わせて読めば、戦後史の中で見過ごされてきた側面が見えてくることは間違いない。見田宗介の「まなざしの地獄」も、一読を勧めたい。

 筑摩書房、1800円(税別)。著者は立命館大教授、歴史社会学、メディア史。


「働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ (筑摩選書)

「働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ (筑摩選書)

  • 作者: 福間 良明
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2017/02/13
  • メディア: 単行本

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