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なぜこの国はこうなってしまったか~濫読日記 [濫読日記]

 なぜこの国はこうなってしまったか~濫読日記

「格差社会という不幸」(神保哲生・宮台真司)

 格差社会という不幸.jpg  ★★★★

 「格差社会という不幸」は春秋社、1900円(税別)。初版第1刷は2009年12月25日。討論者は神保、宮台のほか山田昌弘(大学教授)、斎藤貴男(ジャーナリスト)、本田由紀(大学教授)、堤未果(ジャーナリスト)、湯浅誠(社会活動家)、鎌田慧(ジャーナリスト)、小林由美(エコノミスト)。2000年に開局した「ビデオニュース・ドットコム」の「マル激シリーズ」7冊目。
 神保哲生は1961年生まれ。コロンビア大大学院修了。AP通信記者などを経て1993年独立。ビデオジャーナリスト。宮台真司は1959年生まれ。東京大大学院博士課程修了。首都大学東京教授。専門は社会学。















 社会の「セーフティネット」がなくなった、と言われて久しい。間違いなく小泉純一郎―竹中平蔵の単純自由主義がきっかけとなっているが、それだけだろうか。ただ社会保障的な受け皿があればいいのか。生活保護を充実させれば、この国の危機は乗り切れるのか。何がなくなったのだろう。日本的な共同体の喪失を嘆くのは懐古趣味なのか。
 この「格差社会という不幸」を読むと、見えてくるものがある。なにせ当代の論客が並ぶ。もともとは神保哲生が主宰する「ビデオニュース・ドットコム」の「マル激トーク・オン・ディマンド」の討論内容を抜粋した。こんな掘り下げた議論が読みたかったのだ。
 無権利状態に置かれた派遣労働者。彼らを、法制的な意味合いだけでなく経済、および社会の観点からとらえる。なぜ、解雇された労働者はそのままホームレスに直行するのか。なぜ、帰るべき場所を失ってしまったのか。
 「日本では『経済回って社会回らず』の状態だ」(宮台)―。
 戦後の高度経済成長の中で、日本では経済を「回す」ために社会が浸食され続けてきた。それでも経済が回るうちはよかった。経済が沈み始めたら「金の切れ目が縁の切れ目」。宮台は、山一や拓銀が倒産した1997年をその切れ目とみている。モノ、カネは既にグローバルな規模で自由化が進んでいる。その先に、企業活動の自由化が始まっている。資本移動の自由化である。極端にいえば、企業は国境を越えて安い労働力を求める。本社だって自由に動かすことができる。その結果、企業の経常利益は増えても労働者の給与の合計額は増えない。われわれは日本国内だけで労働力としての価値を競っているわけではないのだ。世界的な規模で労働力としての価値を計られているわけだ。宮台によれば1997年以来、企業の経常利益は28兆円から53兆円に増えたが労働者の給与は147兆円から125兆円に減った。こうしたグローバル化を見ない竹中の新自由主義的思考を、宮台は「ポンチ絵」と批判する。
 ここから生まれる先進各国の政治的課題は、したがって「『社会の自立』を国家が支援する」ことだという。小泉・竹中的「小さな国家と小さな社会」でなく「小さな国家と大きな社会」が目指すべき道―というのが宮台の視点である。
 マルクスが資本論で書いたのは、資本家が合理的なものの考え方をする限り、市場ゲームは社会を破壊し、侵奪する―ということだった。残念だが、このマルクスの見通しは現時点でなお有効だと言わざるを得ない。自由主義経済は共同体を破壊し、結果として多くの労働者は帰るべき場所を失っているのだ。ではどうすればいいか。湯浅誠たちが取り組んでいるホームレスの人たちへの救済活動は有効なのか。たぶん、それを可能な限り広げてみても、正しい社会の在り方には結びつかないだろう。
 「ベーシック・インカム」ないしは「マイナスの所得税」という考え方がある。市場主義によって共同体に大穴があいてしまった以上、それを埋める手立てを考えなければならない。その直接の当事者は国家である。企業が無関心である以上は国家が富の再配分に手を貸すしかないのだ。「ベーシック・インカム」は国民のすべてに無条件で一定の額を給付する制度。「マイナスの所得税」とは、一定の収入を持たない人には逆に一定額を給付する制度。道徳的な問題をどうクリアするかという大きな課題があるが、これから先進国で議論になるだろう。日本の現状を見ても分かるが、もはや「頑張れば報われる」という時代ではないのだ。むしろ「頑張る」機会さえ与えられないのが、現代社会になりつつある。
 壊れているのは、村落的な共同体だけではない。今、ホームレスとなっている人たち(若い人も結構いる)は、家族を持たないわけではない。親も兄弟もいるはずだ。しかし、そこへ帰ることがかなわない。つまり「家庭」も壊れつつあるのだ。1960年代の団地化で地域が壊れ、1980年代のコンビニ化で家族が壊れ、非正規雇用で労働組合が壊れた。宮台の言い方を借りれば「社会的なバッファ」がなくなっている。この本に登場する湯浅の言葉でいえば「社会保障の含み資産」が消失しつつある。「社会的なタメ」という表現も使われているが、要するにそうした機能が社会から消えつつあるのは、あらためて指摘するまでもないだろう。
 このほか、湯浅がいう若者への五重の排除(教育、企業、家族、公共福祉、自分自身からの)は、自身の体験に基づいた貴重な指摘であり、鎌田慧がいう「日本の労働組合の特殊性」も今日の社会に対する労組の限界を浮き彫りにしている。
 この本で大きなテーマとなっている「経済と社会」は実は日本固有の問題ではない。ではなぜ、この問題が日本で顕在化したか。例えば欧州では古来の階級的共同体が今も生き続けており、米国では宗教的な共同体意識が社会を支える。中国やユダヤでは地縁、血縁関係を基礎としたグローバルなネットワークがある。これに対して日本は今も生き続ける共同体がないのではないか、というのが神保や宮台の見方である。モノやカネは既にグローバルな流動性を獲得した。資本が今、流動化しつつある。次に来るのはヒトの流動化であろう。このとき、世界的なネットワークを持つ中国、ユダヤ社会に日本人は「100%勝ち目はない」(宮台)。
 一つのテーマを、複数の論客がこれほど掘り下げた例を他に知らない。神保が主宰する新しいメディアとともに、注目の書である。 

格差社会という不幸(神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドVII)

格差社会という不幸(神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドVII)

  • 作者: 宮台真司
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2009/12/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

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