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日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」 [映画時評]


日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」


 「ほつれる」。意味深なタイトルである。国語辞典(岩波)によると「端からほどけ乱れる。『縫い目が―』」とある。簡単すぎて疑問が残る。冒頭、意味深と感じた裏側には「ほどけ乱れる」ことから生まれる「うっとおしさ」があるが、そのニュアンスがにじみ出てこない。国語大辞典(小学館)によると「編んだり束ねたりしてあるものの、端の方が解けて乱れる」。十分ではないが、こちらが近いか。「編んだり束ねたり」という「意思」の存在が前提になっているからだ。積み上げたものが崩れ去る虚しさ。それがこの言葉の裏にある。
 スクリーン上で女性を描かせたら当代一といわれた成瀬巳喜男監督の作品に「流れる」(1959年)、「乱れる」(64年)があった。前者は柳橋芸者の消えゆく美しさを、後者は思いがけぬ告白に揺れる戦争未亡人の心を、こまやかに表現した。ともに昭和の名作である。

 これらを想起させたタイトルを持つ「ほつれる」。これもまた、女性の揺れる心の内を描いた。束ねた髪が乱れるように、積み上げた日常がふとしたことで足元から崩れていく。
 綿子(門脇麦)と夫・文則(田村健太郎)の関係は冷え切っていた。日常的な会話は交わすが、どこかよそよそしくぎごちない。そんな彼女には友人(黒木華)の紹介で交際していた木村(染谷将太)がいた。文則との関係が冷めるにつれ、木村への傾斜が強まった。
 ある日、彼女は泊りがけで木村と旅をする。別れ際、彼は交通事故にあい、死んでしまう。木村の妻と会い、「結婚したら一人の人としかセックスしちゃダメでしょ」と真正面から非難される。そうした事実を受け入れられない綿子は旅をする。木村との思い出の地へ。
 帰ってきた綿子は冷たい視線の夫に非難され反論するが、もはやそれは意味を成してはいなかった。
 そして彼女がとった行動は…。

 成瀬作品ほど大作ではなく、淡色の短編小説を読む味わい。日常生活にひそむ危機-行き違いから生まれる関係の空洞・冷却化をこまやかに描いた。
 2023年、監督加藤拓也。

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集団の暴走にどう向かう~映画「福田村事件」 [映画時評]


集団の暴走にどう向かう~映画「福田村事件」


 100年前の関東大震災直後にあった、香川から来た薬の行商人一行の虐殺事件を映画化した。9月6日、千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)で15人が襲われ、9人が落命した。妊婦が一人おり、胎児を含めると犠牲者は10人になる。
 震災直後に流れた「朝鮮人が暴動を企てている」という流言が発端だった。井戸に毒を入れ、放火をして回っているというデマが広がり、不安に駆られた地域の自警団が朝鮮人狩りを行い、さなかに福田村事件も起きた。

 監督は森達也。これまでオウム事件や佐村河内事件をドキュメンタリーの形で映像化した。姿勢は一貫していた。善悪の色が簡単につけられ、流される世論に異議を申し立てた。オウム信者は全員が極悪非道なのか、佐村河内守氏は本当に詐欺師なのかを問いかけた。今回は劇映画だが「流される世論」「集団の狂気」に異を唱えるという姿勢は変わらない。
 事件については、辻野弥生氏の優れたノンフィクション「福田村事件 知られざる悲劇」(五月書房)があり、森氏も寄稿した。

 映画でまず目に付くのは、澤田智一(井浦新)、静子(田中麗奈)夫婦をオリジナルに造形、配置したこと。智一は朝鮮で教師をしていたが日本軍の朝鮮人虐殺を目にし、帰国した。当時の軍国主義に疑問を持っている。静子は性を含め自由奔放な性格。こうした二人の目を通して事件はどう見えたか。ここに森の意図(意思)が見てとれる。集団の内側にいては見えないものを、外から見ることで形を得ようとしている。集団から自立することで、狂気に流されない道を探る。
 在郷軍人を先頭に、先陣争いをするかのように朝鮮人狩りが行われる。四国弁があやしい日本語とされ、朝鮮人では、と疑われた。一行の親方、沼部新助(永山瑛太)は「朝鮮人なら殺してもいいんか」と抵抗するが、集団の暴走は止まらない。約100人が手を下したという事件は、8人が罪に問われたが、大正天皇が没した際の恩赦で全員が釈放された。この事実も、時代の雰囲気をよく物語っている。
 辻野の著作と森の映像。100年後にようやく明らかにされた事件の全貌。貴重な収穫である。
 2023年製作。


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薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」 [映画時評]


薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」


 沢木耕太郎の、おそらく唯一の小説「春に散る」を映画化した。原作では4人のボクサーたちが「世界」をとる夢を果たせず、挫折したまま老境を迎える。ひょんなことから4人は共同生活を始め、偶然出会った若いボクサーに「世界」への夢をかける…。

 沢木には「クレイになれなかった男」「一瞬の夏」「リア」というボクサー三部作というべきノンフィクションの名作がある(自身「ノート」という形でそれぞれ第一部、第二部、第三部と位置付けている)【注】。アウトボクシングをスタイルとするカシアス内藤をモデルにした三作が「春に散る」の下敷きになっていることは、いうまでもない。

 4人のうち、広岡仁一(佐藤浩市)を軸に物語は展開する。ボクサーとして挫折した広岡は米国西海岸でホテル経営者として成功、40年ぶりに帰国する。心臓発作という爆弾を抱えた彼は、昔通ったボクシングジム(真拳ジム)を訪れ、先代を引き継ぎ経営する真田令子(山口智子)に会い、寝起きを共にした3人の消息を探る。ジム経営に失敗、借金を抱えた佐瀬健三(片岡鶴太郎)、つまらぬことで喧嘩し、傷害で刑務所に入った藤原次郎(哀川翔)、同棲していた居酒屋の女将に死なれた星弘…。人生のどん底を見た男たちだった。
 居酒屋で飲んでいた広岡は若いグループに絡まれ喧嘩沙汰に。一人はボクシングの心得があるらしかった。かつてリングに輝かしい戦績を残し、突然消えた黒木翔吾(横浜流星)だった。「やめておけ」という広岡のクロスカウンターで倒された翔吾は「もう一度ボクシングがやりたい」と弟子入りを志願する。
 広岡はジム近くに事故物件の一軒家を借り、3人と共同生活を始める。それは、若いころをなぞっただけなのか、それとも新しい何かを始めるためなのか…。

 以上は原作の大筋だが、映画ではかなりの省略が行われている。小説と映画というメディアの特性の違いを考えると、宿命といえる。最大の違いは「四天王」が「三羽ガラス」に置き換えられ、藤原と星のキャラクターが合体されたこと。原作で造形された人物像が多少粗雑に扱われたか、という思いもするが仕方ないところか。広岡が家探しをする中で知り合った若い娘・佳菜子(橋本環奈)の天涯孤独な出自も、広岡の姪という形でカットされた。真拳のライバルジムに育てられた翔吾も、まったく違う境遇に置き換えらえた。

 沢木は、広岡がなぜ40年も暮らした米国から帰国する気になったのか、翔吾はなぜ、いったんリングから去ったのか、など丹念に書き込んでいる。これらをカットした結果として原作にあった、果たせなかった夢を抱えて晩年をどう生きるのか、という人生ドラマの側面が薄くなり、広岡、佐瀬、翔吾が前面に出て「若いころの夢を再び」という単純なボクシング映画になった。時間という「尺」の問題があり、良し悪しは分からない。ただ、佐藤浩市、片岡鶴太郎、哀川翔、横浜流星は、はまり役であったと思う。
 2023年、監督・瀬々敬久。

 ところで、この一文を書くために原作をぱらぱらと読み返すうち「あとがき」でこんな言葉に出会った。

 ――私がその一年で描きたかったのは、彼(広岡)の「生き方」ではなかったような気がする。(略)鮮やかな「死に方」でもない。あえていえば「在り方」だった。

 未来のために現在をないがしろにしたり犠牲にしたりしない。「いま」を誠実に生きる―。
 ふかく共感する。
【注】「沢木耕太郎ノンフィクションⅤ かつて白い海で戦った」(2003年、文藝春秋社)所収。


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春に散る(上)

春に散る(上)

  • 作者: 沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2023/05/31
  • メディア: Kindle版


春に散る(下)

春に散る(下)

  • 作者: 沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2023/05/31
  • メディア: Kindle版


 



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旅は人生、いや人生は旅~映画「658㎞、陽子の旅」 [映画時評]


旅は人生、いや人生は旅~映画「658㎞、陽子の旅」


 「人生は敗者復活戦」といった高校野球の監督がいた。昨年は「青春って密」とコメントし、流行語大賞の特別賞に輝いた。いつもキャッチーな言葉を出すなあ、と感心するが、個人的な思いとしては、人生は「勝つ」「負ける」の二つしかないわけではない。むしろ、高校野球のようにはっきりしていれば、人生はもっと簡単なはずと思う。それはともかく。

 東京の片隅でひっそり生きてきた女性が、図らずも600㌔先の故郷を目指す旅を強いられる。当然ながらさまざまな人間とかかわりあう。そこで得たものと失ったもの。旅の終わり、彼女は変わったのか、変わらなかったのか。冒頭のひそみに倣えば、旅は人生だ。いや、人生は旅だ。そんなことを思わずにいられない映画である。

 陽子(菊地凛子)は24年前、青森・弘前の家を出てきた。何かを夢見ていたらしいが、今は一人アパートでPCと向かい合っている。何かの在宅勤務らしい。チャットらしい画面。そこへ、しつこくドアをたたく音。物憂げに開けると、従兄の茂(竹原ピストル)が、陽子の父・工藤昭政(オダギリジョー)の死を告げる。出棺は明日正午。一家で帰る途中、寄ったという。陽子を乗せ、車は青森へ向かった。
 どこかのサービスステーション。従兄の子が遊具で負傷し、病院へ行くドタバタ騒ぎの中で陽子は置き去りに。財布には2000円ほど。仕方なくヒッチハイクの旅。周囲とうまく折り合う性格でない陽子には、故郷への旅はこのうえなく過酷に思えた。

 ここからさまざまな人物が登場する。自分の人生を勝手にしゃべるシングルマザー(黒沢あすか)。「自分探し」をしているらしいヒッチハイクの女性(見上愛)。胡散臭いライター(浜野謙太)には、車に乗せる「対価」を要求された。朴訥な人のよさそうな老夫婦(吉澤健、風吹ジュン)。ロードムービーである。

 陽子は父と対立して家を出たらしいが、何が原因かは語られない。従兄の話では、陽子がいなくなって父は「亜麻色の髪の乙女」をよく歌っていたらしい。年齢を逆算すると、家を出たのは18歳の時である。このあたりに「夢」のヒントがあるかもしれない。
 気になるのは、物語に「母」の存在がないこと。普通、こうしたケースで仲を取り持つのは母親である。早くに亡くなったか、離婚したのか。
 しかし、こうした枝葉をつければつけるほど、作品の骨格は見えにくくなる。その骨格、旅が与えた試練が陽子を変え、彼女と父の関係(=父の記憶)をも変えた、と読むのが自然であろう。余計な説明をしない、原理的な映画と思う。それだけ賛否は分かれるかもしれない。
 2022年製作。監督は「海炭市叙景」「夏の終り」「私の男」の熊切和嘉。


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頑固おやじと看板娘~映画「高野豆腐店の春」 [映画時評]


頑固おやじと看板娘~映画「高野豆腐店の春」


 松下竜一は高校の成績も悪くなく進学を希望したが、家庭の事情から豆腐屋を継いだ。身体が弱かった竜一は豆腐作りに没頭できず、ため息をつくように短歌を作った。新聞の短歌欄で取り上げられ、人生が一変。「豆腐屋の四季」を書いた。作家人生が始まった。

 尾道の「高野豆腐店」は頑固一徹の辰雄(藤竜也)と看板娘の春(麻生久美子)の二人三脚で営まれていた。駅ナカのスーパーにも納めた豆腐は定評があった。辰雄は心臓に持病があり、先を心配する近所の取り巻きは、結婚したが離婚して戻った春の再婚相手を探し始めた。辰雄は複雑な心境で見守った。やがて有力候補が見つかった。イタリアンシェフの村上ショーン務(小林且弥)。
 病院に通ううち、辰雄にも親しい女性・中野ふみえ(中村久美)ができた。春はある日、村上とは違う男性を辰雄に紹介した。納品先のスーパーの担当者・西田道夫(桂やまと)だった。風采は上がらず辰雄は気に入らなかった。父と子は喧嘩別れし、春は家を出た。
 ここまでだと、小津安二郎のシリーズものを思わせる。笠智衆と藤竜也では、持っている味がずいぶん違うが。ところが後半、がらりと変わる。辰雄が、ふみえとの会話の中で、かつて職場を共にした親友が事故で死に、残った母子を引き取り、それが今の春だと明かしたからだ。果たして春は戻ってくるのか…。辰雄とふみえの関係は…。

 藤竜也はアクション俳優として売り出したがパッとしなかった。世間の注目を浴びたのは芦川いずみの夫としてだった。中年になると渋みを増し、テレビドラマで虚無的な感じが受けた。そして今、頑固一徹の老人は、はまり役である。豆腐は大豆と水とにがりでできている。それが天下一品になったり、ならなかったりする。冒頭にある竜一の豆腐も絶品と言われたらしい。さてこの映画、素材はシンプルだが、結果は。
 一つだけ言えば、板につかない広島弁(厳密にいえば備後弁)は若干気になる。
 2023年、監督三原光尋。


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魅力的な3点セットだが~映画「リボルバー・リリー」 [映画時評]


魅力的な3点セットだが~映画「リボルバー・リリー」


 関東大震災の翌1924年の秋。秩父で謎の一家惨殺事件が起きる。ただ一人、少年が生き残った。彼は、東京・玉野井でカフェを営む小曽根百合(綾瀬はるか)を頼れ、と父から聞いていた。

 この時代、日本は帝国への道を歩んだ。日清、日露、第一次大戦が成功体験としてあり、191011年の大逆事件と朝鮮併合は、内外にわたる帝国化の動きだった。震災では、そのあおりとして朝鮮人、社会主義者・無政府主義者の虐殺事件が起きた。ほぼ同時代を描いた「菊とギロチン」(2018年、瀬々敬久監督)は女相撲一座とアナーキストという体制外の二つのグループを通して時代の空気を伝えた。

 事件が気になった百合は秩父の現場を訪れ、少年を追う陸軍の動きを知る。少年を救う百合の手には大型リボルバーSWM1917が握られていた。
 百合はかつて台湾で活動した幣原機関で16歳から訓練を受け、最高傑作と呼ばれた。組織の長、水野寛蔵と愛人関係にあり子供ももうけたが、内部のいさかいの中で死なせ組織を抜けた。
 百合は店に出入りする弁護士岩見良明(長谷川博己)と事件の背後を探った。その結果、分かったのは―。
 少年・慎太(羽村仁成)は、父・細見欣也(豊川悦司)が陸軍の資金を元手に蓄えた巨額のカネ(当時の国家予算の10分の1と言われた)の口座番号メモと暗証番号の手がかりを託されていた。欣也を殺害した陸軍の狙いもそこにあった。
 リボルバー・リリーと呼ばれた百合と陸軍、さらに海軍を巻き込んだ戦いが始まった。

 元殺し屋が他人の子を連れ組織に立ち向かうという構図は、少し古いが「グロリア」を思い出す。「子供嫌い」の主人公(ジーナ・ローランズ)の不器用な優しさが印象に残った。「どうして私に押し付けるのよ」と死者に愚痴を言うシーンがリリーの人間味を感じさせるが、それ以外は、ただ気丈な女スパイである。かといってアンジェリーナ・ジョリーのイヴリン・ソルトほどのアクションもない。「ダークヒロイン」というキャラクターの輪郭は不明瞭だ。

 ラストは東京・日比谷の海軍省前での陸軍部隊とリリーの銃撃戦。霧の中の戦いは戦時下の孤独を描いたベルナルド・ベルトルッチ監督「暗殺の森」、満州を舞台にしたチャン・イーモウ監督「崖上のスパイ」を思わせる。だが、そこまで美しくない。それより、白昼の公道で元特務機関員と陸軍が軍資金目当ての銃撃戦、という構図自体が現実離れしていないか(原作通りかもしれないが)。「崖上のスパイ」のような工作員同士の争いとした方がリアルに思う。
 帝国、女スパイ、軍部の主導権争いーと、魅力的な3点セットだけに、作品の立て付けの弱さが残念だ。
 2023年、監督行定勲。この監督は、甘さのある物語を手掛けたら追随を許さない。少し勝手が違ったか。


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遺灰が引き起こす騒動の背後にイタリアの戦後史~映画「遺灰は語る」 [映画時評]


遺灰が引き起こす騒動の背後にイタリアの戦後史
~映画「遺灰は語る」


 「虎は死して皮を留め 人は死して名を残す」(十訓抄)という。その通りだが、人は普通の社会に住む限り、もう一つ残すものがある。遺灰(遺骨)である。死後、遺灰がもたらした騒動を、畏敬を込めて描いた。

 ルイジ・ピランデッロはイタリアの小説家、脚本家、詩人。1934年にノーベル文学賞受賞。193612月に69歳で死去した。そのころのイタリアはエチオピアを併合した直後で、ムッソリーニが頂点にあった。当然ながら、ノーベル賞作家の死の政治利用をたくらむ。「黒シャツ党」による葬儀を提案したが実現しなかった。死者が、生地シチリアに戻ることを遺言として残したからだ。
 結局、遺灰は10年間ローマに置かれ、大戦が終わってシチリアに戻る。映画の前半は、シチリアへの旅に割かれる。米軍機で運ばれる予定だったが、同乗者が降りたため取りやめに。やむなく列車で運ぶが、いつの間にか行方不明。さんざん探した末に、暇つぶしのポーカーの台になっていた。
 シチリアに着いた遺灰は、彫刻家が15年かけて彫り込んだ岩石群に安置される。騒動が終わり、死者は永遠の眠りにつく。だが、ピランデッロの遺言はまだあった。「遺灰は海にまいてくれ」。キリスト教では許されないらしい。そこで遺灰の一部だけがシチリアの海にまかれた。

 後半は、ピランデッロの最後の短編小説「釘」を映像化した。オマージュである。イタリアからアメリカに移住して6年の少年の「さだめ」としての殺意。不条理劇といえる。レストランで働く少年は休み時、広場で少女のいさかいに遭遇する。荷車が通った後に20㌢ほどの釘。少年は少女の頭を刺す。取り調べの大人に「さだめだった」と答え、困惑させる。

 パオロ・タヴィアーニ監督。全編、ストーリーはあるようでない。ただ、それぞれのシーンはイタリアの風土を取り込んで美しい。この作品に限らないが、イタリア語は映画向きだと思う。前半はほぼモノクロでシャープな美しさが際立つ。「釘」はカラー。
 わずか90分だが、遺灰の数奇な運命を描く中でイタリアの戦中、戦後の歴史が浮かび上がる。
 2022年、イタリア。


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創作意欲はどこから生まれるか~映画「小説家の映画」 [映画時評]


創作意欲はどこから生まれるか~映画「小説家の映画」


 書けなくなった小説家が、書店を営む後輩を訪れる。そこから人の輪が転がり、小説家の原作の映画化に挫折した監督夫婦、売れなくなった女優、詩人へとつながり、最後に偶然にも書店経営の後輩に行き着く。そうしたローリングストーンズの中で、小説家は女優と映画を撮ることを思いつく。

 小説であろうと映画であろうと、創作意欲は人のつながりの中でかきたてられる。そういっている。例えば、詩人(小説家の古い飲み友達だった)と「物語の力を信じるか」が議論になり、小説家は否定する。「映画をつくる」話なのに、製作過程は出てこない。とりとめのない会話と人のつながりをモノクロ画面で見せる。監督の意思が感じられる。

 ラスト近くで出来上がった短編が流れる。一部カラー。ストーリーは見当たらず、ただ女優の表情だけが印象的。この後、試写を見て戸惑う女優の表情が映し出される。

 監督は「逃げた女」など多数の話題作を持つホン・サンス。小説家ジュニにイ・ヘヨン。女優ギルスにキム・ミニ。私生活に目を転じると、ホン・サンスは離婚訴訟の末に敗訴、キム・ミニとの不倫関係を解消できずにいる。国内はともかく、海外では夫婦として振る舞っている。
 この微妙な関係が作品に影を落としている。作中の映画も、ストーリー上は女優の夫の甥が撮影担当だが、ホン・サンス自身が撮っているようだ。そのためか、女優は自然でいい表情をしている(公園で小説家が見かけた時とは随分違う)。この表情は二人の関係が引き出したのではないか。

 シンプルで抑揚がない。読み方は10人が10人違う。そんな作品である。冒頭の口論シーンを除いて、韓国映画には珍しく感情が表に出ていない。映画というより私小説を読んでいるようだ。モノクロを基調にしたのも、そうした味わいを計算してのことだろう。
 2022年、韓国。

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ウソの日常と格闘する初老の男~映画「逃げきれた夢」 [映画時評]


ウソの日常と格闘する初老の男
~映画「逃げきれた夢」


 定年目前の教師が主人公。仕事はそつなくこなす。周囲への気配りも怠らない。しかし、妻や娘から一定の距離を置かれ、旧友から胡散臭がられる。ウソの日常を泳いでいるようで、耐えられなくなる。「オレ、仕事辞めようか…」。そんな初老の男の心理を追った。

 タイトルの意味、実はよく分からない。この日常から逃げたいと思い、ついに逃げ切れたという意味なのか。それともそれはただの夢だった、という意味なのか。ほかの意味なのか。見終わった後も謎は解けなかった。作品自体も、何を言いたかったかよく分からなかった。ただ、「だからダメ」とはならない気がする。

 封切り初日ということもあり、予想以上に席は埋まっていた。ほとんどが高齢者だった。定年近い男の悩み多き日常、というあたりが気にかかるらしい。

 北九州市の定時制高校で教頭の末永周平(光石研)は、台所に立つ妻の彰子(坂井真紀)の腰に手を回し「なに?」と嫌がられ、スマホいじりに夢中の一人娘・由真(工藤遥)に「彼氏がいるなら紹介しろ」と軽口をたたいて嫌われる。出勤前の定食屋では清算せずに店を出て、教え子だった店員の平賀南(吉本実優)に呼び止められる。記憶に障害が出始めたのか。自転車屋を営む旧友・石田啓司(松重豊)にも、如才なく嘘くさい態度に切れられてしまう。
 本当の自分が出せない。そんな日常を延々と描く。
 ある日、周平は「学校を辞めたい」と妻と娘に告げる。「何かやりたいことがあるの?」と問われ、口ごもる。やりたいことなどない。ただ逃げたいだけだ。周平はそう思っている。

 平賀南から相談を持ち掛けられた。店を辞めて中洲で働くという。金をためて外国で暮らしたいらしい。思いとどまるよう言うと「退職金を頂戴。それならやめる」という。結局、そのまま別れた。

 周平は学校を辞めたのだろうか。南は中洲の繁華街に行ったのだろうか。答えは出てこない。ただ、周平は「これからは正直に、あるがままに生きよう」と思っているらしいことは伝わる。それ以上は作り手ではなく、見るものが考えること。そう言っているようだ。でもやっぱり気になる。この映画のタイトルの意味するところ。
 監督・脚本二ノ宮隆太郎。2019フィルメックス新人監督賞グランプリ受賞とある。新鋭の作品。


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悔恨と復讐~映画「カード・カウンター」 [映画時評]


悔恨と復讐~映画「カード・カウンター」


「タクシードライバー」(1976年)のマーティン・スコセッシ監督が総指揮をとり、脚本のポール・シュレイダーが脚本・監督。25年ぶりタッグを組んだ結果は…。

 カード・カウンターと呼ばれるウィリアム・テル(オスカー・アイザック)はギャンブラーらしからぬ日常を送る。カジノを回り安ホテルに泊まる。持参のシーツで家具を覆い、壁の絵も取り外す。小さくかけて小さく勝つ。勝負は堅実だ。カードの出た目と出ていない目を脳裏に刻み、確率を計算する。
 その能力はどこで養われたか。自ら「自分に合っている」という10年近くのムショ暮らしで身に着けた。イラクのアブグレイプ収容所で捕虜拷問の特殊任務に就いたが、虐待が問題になり軍刑務所へ送られた。命令したジョン・ゴード少佐(ウィレム・デフォー)は不問だった。
 寡黙で目立たず、修行僧のような男に二人が近づいた。一人はギャンブル・ブローカーのラ・リンダ(ティファニー・ハデッシュ)。彼女はポーカー世界大会参加を持ちかけた。一人はカーク(タイ・シェリダン)。彼の父親もゴードの部下で、捕虜虐待を問われ自殺した。カークは父の復讐をもくろんでいた。
 ウィリアムはある町で偶然、セキュリティについて講演するゴードを見かけた。復讐を達成するため一転、ポーカー世界大会へ参加を決める。3人のチームが成立した。
 ウィリアムがカークに、ギャンブラー生活の感想を聞く。「毎日同じことの繰り返しだ」とカーク。「そうだ。ひたすら回っている」とウィリアム。修行僧の顔がのぞく。結局、カークには学生ローン(大学を中退していた)や母親の借金返済にと15万㌦を渡し、家に帰るよう促す。しかし、向かったのはゴードの自宅だった。
 ニュースでカークが射殺されたことを知ったウィリアムは、ゴードの自宅を訪れ「再現ドラマをしよう」と、あの時のように拷問を仕掛けた。

 刑務所に戻ったウィリアムに、リンダが面会する。このシーン、どう読むか。私には、刑務所を出て再び舞い戻り、リンダと再会するまでが輪廻の一回りのように思える。「ムショ暮らしが合っている」というウィリアムは服役を終えると、さらに腕を磨いたカード・カウンターとして全米のカジノを「ひたすら回る」のではないか。
 「タクシードライバー」では、ベトナム帰りの元兵士(ロバート・デ・ニーロ)が街の退廃と堕落を見かね、一人のテロリストとして怒りをぶつけるが「カード・カウンター」では自らの過ちへの悔恨を内に秘め、寡黙にひたすら生きる。静かな中に社会悪を浮き彫りにしたスコセッシのカラーは健在。
 2021年、アメリカ、イギリス、中国、スウェーデン合作。


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