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帝国日本の闇を直視する~映画「緑の牢獄」 [映画時評]

帝国日本の闇を直視する~映画「緑の牢獄」


 西表島に暮らす90歳の孤老・橋間良子さんは、台湾語を話す。1937年、養父に連れられ台湾から移住した。10歳だった。島には巨大な炭坑があった。養父は坑夫たちの労務管理をしていた。一時は千人を超したという労働環境は過酷で、落盤事故やマラリアで多くの命が失われた。戦争が終わってもおばあは島に1人で暮らす。日本と台湾が帝国と植民地の関係にあった時代を、はざまといえる地域で生きてきた。彼女の心情を、綿密な取材で掘り起こしたのが映画「緑の牢獄」(黄インイク監督)である。
 全編、ほぼ黄監督と橋間おばあの「対話」で進む。西表炭坑は1886年から1960年ごろまで稼働した。炭坑とともに生き、休止後はおばあの時間も止まった。個人史を通して、西表島炭坑をめぐる近現代史の闇の部分をこじ開けようとする黄監督の姿勢が見て取れる。
 おばあは、台湾風の家の一部を、アメリカから渡ってきたルイスに貸していた。ルイスはやがて自分の居場所を見つけ、去っていった。またも一人残された橋間おばあ。しかし、おばあも2018年に92歳でこの世を去った。
 黄監督は、八重山諸島に住む台湾人の生活を追っている。前作「海の彼方に」(2016年)は戦時中に石垣島に渡った人々を取り上げた。
 「緑の牢獄」は、ジャングルと伝染病の恐怖の中で働いた坑夫の心情を表している。西表炭坑の存在を聞き書きにまとめたジャーナリスト三木健氏が名付けた。今日の日台関係の基礎をなす史実とは何かを考えるためにぜひ一見したい作品だ。
 2021年、日本、台湾、フランス合作。


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ノルウェー政府の「加担」明らかに~映画「ホロコーストの罪人」 [映画時評]

ノルウェー政府の「加担」明らかに~映画「ホロコーストの罪人」


 第二次大戦下の北欧三国は、それぞれ違った道を歩んだ。スウェーデンは軍事力を整備、一貫して中立政策を取った。フィンランドはロシア革命後、深刻な内戦を経て中立政策を取ったが、ソ連とドイツの脅威を前に、親ナチ路線を選択した。ノルウェーは1940年のドイツ侵攻により占領された。
 ナチ占領下のノルウェーで何が起こったか。フランス・ヴィシー政権が加担したユダヤ人虐殺を描く「サラの鍵」は印象に残る作品だったが、「ホロコーストの罪人」はノルウェー政府が加担したユダヤ人虐殺の記録である。「サラの鍵」ほどドラマチックなつくりではなく、オーソドックスにユダヤ人のある一家の暗転した運命を追った。
 ブラウデ家のチャールズ(ヤーコブ・オフテブロ)は非ユダヤ人ラグンヒル(クリスティン・クヤトゥ・ソープ)と結婚。幸せな日々を送っていた。しかし1940年4月のドイツ侵攻によって事態は一変。ブラウデ家の男性は全員、ベルグ収容所に送られ過酷な日々を送った。残された母とラグンヒルは身の安全を図るためスウェーデンへの逃亡を計画する。
 19421126日、運命の日がやってきた。ノルウェー秘密国家警察のクヌート・ロッド(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)指揮のもと、国内に残るユダヤ人が一斉に連行された。母もいったんは逃亡を図ったが逃げ切れなかった。
 こうしてベルグ収容所の大半(一部は残留)と、この日連行されたユダヤ人はオスロ港に停泊する「ドナウ号」に強制乗船させられた。向かった先はアウシュビッツ絶滅収容所だった。
 2012年、ノルウェー政府は国ぐるみでユダヤ人虐殺に加担したことを明らかにし、謝罪したという。政府によると、アウシュビッツに送られたユダヤ人は773人、うち735人が亡くなった。スウェーデンへの亡命者は1200人だったという。ノルウェーの自己批判映画ともいえるもので、それだけの「重さ」は感じる。
 ところで、ノルウェー政府はなぜこれほど簡単にユダヤ人虐殺に加担したのだろうか。ドイツ軍の脅威だけでは説明がつかない、ユダヤ人に対する差別感情がヨーロッパ全体に底流としてあったためではないだろうか。ユダヤ人強制連行を非情に進めたクヌート・ロッドは「凡庸な悪」を体現して、アンナ・ハーレントが描いたアイヒマンを連想させる。

 2020年、ノルウェー製作。監督エイリーク・スヴェンソン。


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戦後保守政治の暗部に迫る労作~濫読日記 [濫読日記]

戦後保守政治の暗部に迫る労作~濫読日記


「ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス」(春名幹男著


 19762月、ロッキード事件が日本で初めて大々的に報じられた時のことを覚えている。地方にいたので、第一報は夕刊だった(朝日が前夜最終版で突っ込んだらしいが、それは目にしなかった)。1面トップ、米上院外交委多国籍企業小委(チャーチ委員会)の公聴会でロッキード献金が日本の複数の人物に渡ったと証言があった、としていた。渡った先は「児玉誉士夫」が最も大きな見出しだった。その後、雪崩を打つように「ロッキード事件」は報じられた。なぜか「児玉」の名は消え「丸紅ルート」「全日空ルート」が取りざたされた。二つのルートの交差するところに「田中角栄」がいた。というより、田中を結節点とする事件の構図が作られたのかもしれない。
 元首相・田中角栄は発覚から半年後の7月27日に逮捕された。しかし、どこか「闇」を感じさせる展開だった。それは誰もが感じていた。だから様々な「陰謀説」【注】が飛び交った。
 ロッキード社が日本にトライスター売り込み攻勢をかけたのは1972年のことである。その時から50年近くを経て、事件の全体像に迫る労作が出た。標題の書である。著者は共同通信の外信畑を長く歩んだ春名幹男氏。
 ロッキード事件では、腑に落ちない点がもう一つあった。報じられ方が、新聞社であれば政治部=永田町目線か社会部目線、そうでなければ「田中金脈」を最初に報じた立花隆目線であることだ。いずれも日本国内から見た「事件の構図」だった。陰謀説が取りざたされた理由もそこにあった。米政権の思惑やアプローチについて実証的な積み上げをせず憶測に頼る、という手法が横行したように思う。最たるものが田中・独自の資源外交→米国メジャーの虎の尾を踏んだ、という説であろう。
 春名氏は、15年に及ぶ日米の取材の中で徹底的に米側文書を洗い出し、陰謀説の真贋を明らかにしながら米側の政策決定プロセスに迫っている。このことを「あとがき」で明瞭に語っている。
 ――ロッキード事件は二つの局面で構成されている。第一に、田中首相在任中の日米関係、第二にロッキード事件発覚後の捜査の展開だ。この二つがどうつながるのか、実は誰も解明してこなかった。
 そうなのだ。田中に対して、ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官はどういうスタンスでいたか。それを踏まえて、事件発覚後に米政権はどう対応したか。それを裏付けのある事実として提示する。それが求められたことであり、春名氏はその答えを出した、といえる。カギは①日中国交回復に踏み切った田中外交を、ニクソン訪中の演出者であったキッシンジャーは好感を持っていなかった②「TANAKA」の名前が入った証拠書類の日本捜査当局への引き渡しに米国務省が関わっていた(このとき国務省トップは補佐官から昇格したキッシンジャーだった)である。キッシンジャーこそ田中逮捕の影の演出者であった(春名氏は「キッシンジャー陰謀説は濃厚」と結論付けている)。
 事件の構図はこれで終わったわけではない。冒頭で指摘した「児玉誉士夫」の存在である。児玉には、田中の5億円を上回る資金が渡ったとみられる。しかし、児玉ルートは早々と幕が引かれた。児玉は戦時中、満州で巨額のカネを手にし、戦後は保守党結成に資金提供したとされる。CIAエージェントであったことも知られている。CIAの巨大な影を前に、日本の捜査当局も手が出せなかったのではないか。ロッキードに続いてダグラス、グラマンの軍用機売込みが疑惑として浮上する中、無傷で生き残ったのが、CIAと関係が深いとされた中曽根康弘であり岸信介であった。
 目前に広がる黒々とした闇に戦後保守政治の暗部、日米安保の暗部を見る思いだ。

【注】春名氏が取り上げた陰謀説は五つ。①誤配説②ニクソンの陰謀③三木の陰謀④資源外交説⑤キッシンジャーの陰謀。このうち⑤以外はすべて否定した。



ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス (角川書店単行本)

ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス (角川書店単行本)

  • 作者: 春名 幹男
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2020/10/30
  • メディア: Kindle版



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火花散らす国家意思と個人の情念~映画「復讐者たち」 [映画時評]

火花散らす国家意思と個人の情念~映画「復讐者たち」


 戦争を始め、終わらせるのは国家の意思である。しかし、戦争によって家族や知人を失ったものたちは、こうした国家のタイムスケジュールに収まり切らない情念を抱え込む。
 高橋和巳の「散華」は元特攻の生き残りで電力会社に勤める男と、彼が用地買収交渉のため訪れた孤島の老人のダイアローグの物語である。老人は戦争を進める立場にいた。しかし、二人の間には戦場に行かせたものと行かされたもの、と割り切ってしまえない何かがあった―手元に原本がないので記憶頼りだが、こんな内容だったように思う。
 言いたいことは、戦争で深い傷を負った者も負わせた者も、引きずる情念は国家レベルでは到底すくいきれない、ということだ。ユダヤ人虐殺の「その後」を描いたイスラエル、ドイツ合作「復讐者たち」もそんな映画だ(イスラエル、ドイツ合作というところがすごい。「虐殺」の加害と被害の直接当事国である)。

 1945年、ベルリン。ユダヤ人のマックス(アウグスト・ディール)は、収容所で生き別れた妻子を捜していた。家族のことを密告したドイツ人を訪れ手掛かりを探るが、暴力的に追い払われてしまう。そうしているうち、偶然にも英国軍傘下のユダヤ人旅団ミハイル(マイケル・アローニ)に助けられる。旅団は密かに元ナチ将校たちを探し出し、拷問・処刑を行っていた。やがて妻子の死を知ったマックスも、絶望の淵の中で加わる。
 旅団のリストをもとに次々「処刑」をしていくうち、マックスは別のユダヤ人組織が存在することを知る。ナチ幹部だけでなく、ドイツ人を無差別に殺害しようとする「ナカム(ヘブライ語で「復讐」)」である。
 旅団はこうした動きに批判的だった。無差別殺害を実行すれば、ナチのユダヤ人虐殺と同じ水準になる。既にこのころ、ユダヤ人国家「イスラエル」建国の動きが始まっていた。こうした中、世界の世論を敵に回す行為はよくない、というものだった。
 そこでミハイルはナカム監視役となり、マックスを組織に送りこむ。マックスはアンナ(シルヴィア・フークス)らと対話するうち次第に共感する。
 組織では、戦争犯罪を裁くため連合国軍が集結していたニュールンベルグを舞台に、驚愕の「Aプラン」が進められていた。水道の水源地に毒を撒き、無差別に市民を殺害しようとするものだった。既に組織のトップが毒を入手するためパレスチナに飛んでいた。未曽有の復讐計画は成功するのか…。
 2020年、監督:ドロン・パズ、ヨアブ・パズ。国家の意思と個人の情念が火花を散らして歴史の歯車を回す。そんな情景が描かれている。


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神にゆだねた真実の探求~映画「最後の決闘裁判」 [映画時評]

神にゆだねた真実の探求~映画「最後の決闘裁判」

 百年戦争の最中、14世紀のフランスが舞台。歴戦の勇士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)は美しい妻マルグリッド(ジョディー・カマー)をめとった。ところがある日、マルグリッドはカルージュの戦友ジャック・ル・グリ(アダム・ドライヴァー)に強姦される。妻の訴えを受けたカルージュに責められ、ル・グリは否定。彼には領主ピエール(ベン・アフレック)がついていた。正当な裁きは期待できないと、カルージュは国王シャルル6世に決闘裁判を上訴した。
 前半は、戦争と3人の関係がそれぞれの視点で語られる。人間関係の機微が微妙に食い違っていて興味深い。芥川龍之介の「藪の中」を原作とした「羅生門」を思わせるが、あれほど180度違ったそれぞれの事実が現出するわけではない。
 圧巻は後半の決闘シーン。最終的に、神の裁きが互いの生死を分けるという思想だ。鎧と槍で身を固め、互いに馬で突撃する。死に至るまで戦うか、それともギブアップするか。途中で敗北を認めても死罪が待つ。カルージュが敗れればマルグリッドの訴えはウソだったことになり、彼女もまた裸にされ火あぶりに処せられる。異端審問にかけられ火刑にされた魔女狩りと同じ発想だ。ちなみに、このようなプロセスで火刑にされたジャンヌ・ダルクは15世紀前半の人である。さて、結末は。
 映画の冒頭、事実に基づくとあるが、「マルグリッドの強姦」については虚言であったとする説もある。しかし、それは女性が虐げられてきたことのあかしであるとして、ここでは取り上げていない。ともあれ、決闘による審判は、フランスではこれが最後となったようだ。

 ここからは余談めくが、ある憲法学者によれば「決闘」の思想は近現代にも生きており、その団体戦こそが「戦争」なのだと聞いたことがある(日常の世界で許されない「殺人」がなぜ戦場では許されるのかを考えればいい)。決闘による決着を神の御託宣とするのは現代から見ればまるで非合理的だが、戦争の思想の底流に今なお「決闘」の思想が生きているとすれば、この映画をいま作る意味もあるだろう。「勝てば正義」という戦争の非合理性を考えるために。
 2021年、英米合作。リドリー・スコット監督。

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自前の政治ができるか~三酔人風流奇譚 [社会時評]

自前の政治ができるか~三酔人風流奇譚


岸田政権、地味なスタート
松太郎 岸田文雄内閣が10月4日、発足した。新聞各紙が実施した支持率調査【注】を見ると、思ったより低空飛行だ。
竹次郎 ただ、数字に微妙な幅がある。それに毎日を除いて不支持の数字が低い。
梅三郎 閣僚の顔ぶれを見ると20人中、初入閣が13人と多く、しかも若手が多い。知名度の低さから地味、薄味、ひ弱の印象がある。その辺をどう見るかが、数字の幅になって表れている。その分、反発を呼ぶ要素もないので不支持率も低いのでは。世論もどう見たらいいのか戸惑っているようだ。
松 それと関連するか分からないが、株価もご祝儀相場とはいかなかった。もっともこれには中国経済や原油高騰など不安定要因が絡んでいるが。
竹 いずれにしても、首相の見た目どおり地味なスタートとなった。
梅 そこであらためて思うが、菅義偉内閣はなんであんなに発足時の支持率が高かったんだろう。いったい何が期待されたのか。
松 うーむ。分からんねえ。
竹 発足時の支持率が低く、後で上がった例はないわけではない。記憶に残るのは小渕恵三内閣。発足時は米国から「冷めたピザ」と酷評された。中曽根康弘内閣も当初は「田中曽根内閣」と批判を浴びたが、闇将軍田中角栄支配から脱却することで支持率を上げた。宮澤喜一内閣は、ずっと低空飛行だったような…。
梅 政権のかたちでいうと、竹下派支配で発足した宮澤政権、田中派支配の中曽根政権あたりが、今度の岸田政権に近い。宮澤政権は竹下派支配を脱却できないまま竹下派自体が分裂したことで55年体制の幕引き内閣となった。中曽根政権は田中派支配から脱却したが、そのために「死んだふり解散」など壮絶な権力闘争を仕掛けている。要は、最終的に自分の足で立てるかどうか。

「甘利幹事長」の意味
松 自民総裁選で派閥の論理が言われ、内閣発足時も安倍晋三、麻生太郎、甘利明の3Aの影響が強いとされた。その辺をどう見るか。
竹 甘利幹事長は岸田、安倍、麻生の間を取り持ったことへの論功行賞。高市早苗政調会長、萩生田光一経産相、松野博一官房長官あたりが安倍氏の影響かと思われるが、安倍氏から見れば微妙にストライクゾーンから外れている。その辺は岸田氏の抵抗力と思いたいが。麻生副総裁は、これからの運用を見ないとわからない。中二階に上げたということなのか…。少なくとも、波風立てずに財務省から麻生氏を外すにはこの方法しかないとは思う。はじめからケンカを売るつもりなら話は別だが。
松 岸田政権のかたちは、かつての田中派、竹下派支配に似てはいるが、当時ほど派閥の圧力が強いとは思えない。背景にあるのは選挙制度の違いだろう。
竹 甘利幹事長については、いろんな見方が可能だ。政治とカネの象徴的人物で野党が手ぐすね引く中、火中のクリを拾う必要があったか。もう一つは、萩生田経産相とセットで考えると、強力な原発推進ラインが見えてくる。
梅 自民総裁選は、河野太郎という原発廃止論者対安倍を筆頭とする原発推進論者のせめぎあいだった。そう見ると、政権を制したのも甘利―萩生田という原発推進論者ということになる。

核政策のねじれと新・資本主義の行方
竹 それほど簡単に物事が動くだろうか。原発推進論が政権の中枢を押さえたからと言って、原発再稼働は容易ではないだろう。まして新増設など不可能だ。核燃サイクルも、どんどんやりましょうとはならない。世界の大勢を見てもそうだ。
梅 岸田氏は戦後初の被爆地選出国会議員だ。その点からも、核兵器廃絶に言及せざるを得ない。菅首相が「読み飛ばし」事件を起こした平和祈念式典にも出る。核兵器廃絶と原発推進を同時に唱える首相、という批判は避けられない。
松 いずれにしても10月中に総選挙がある。それを乗り切ったとして来年夏には参院選。その後は、よほどの失政がない限り3年間は選挙をしなくていい。その間に、自分の色を出した政治ができるか。
竹 麻生副総裁の間は、財務省の公文書改ざん問題は手を突っ込まない、というメッセージ。それと歩調を合わせてモリカケ・桜問題も棚上げ、ということになる。その辺りを国民がどう見るか。「自前の政治」と「疑惑棚上げ」の連立方程式の中で、岸田政権の命運が定まる。
松 8日には所信表明演説があった。
竹 衆目の一致するところでは、目玉は「新しい資本主義」を打ち出したところだ。大風呂敷を広げたなあ、というのが第一印象。
梅 確かに。野党はさっそく「美辞麗句ばかりで内容はない」と突っ込みを入れた。
松 「新しい資本主義」は近年、哲学者や経済学者から言われ始めた概念だ。社会主義の自壊によって資本主義の一人勝ちかと思いきや、ナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」で書いたように、新自由主義自体が資本主義の行き詰まり形態であることが明らかになってきた。脱・資本主義か新・資本主義かは問われるべき課題ではあるが、そこに手を突っ込むのは容易ではない。
竹 所信表明を素直に見れば、税制改革などで企業や金持ち階級から資産を供出させ、中間層や下級層に再配分とも読めるが、岸田政権にそんな体力、腕力があるとは思えない。
松 その辺はお手並み拝見、ということ。もし国民に失望感が広がれば、政権は短命かも。
梅 総裁選で言っていた所得倍増は姿を消したようだ。さすがに、当時の池田勇人内閣は高度経済成長下でなしとげたが、今の時代にとても現実的とは思えない。
竹 宏池会の創始者である池田のほか、大平正芳、宮澤らが掲げた政策目標がちりばめられている。田園都市構想とか生活大国とか…。
松 まさに「美辞麗句」政権に終わらないことを願いたい。

【注】共同通信55.723.7 朝日4520 毎日4940 読売5627 日経5925(単位%、支持・不支持の順)


 


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「日常」を引きずるボンド~映画「007ノータイム・トゥ・ダイ」 [映画時評]

「日常」を引きずるボンド~
映画「007ノータイム・トゥ・ダイ」


 ダニエル・クレイグが演じる5作目の、そして最後のジェームズ・ボンド。彼のシリーズはアクション重視の傾向が強く、今回も「まあ、派手な立ち回りが楽しめればいいか」ぐらいの気持ちで観たが、いい意味で予想が外れた。意外に人間ドラマ、ラストはメロドラマの要素が絡んで(「007」シリーズではなかったこと)それなりに厚みを感じた。

 前作「007スペクター」のラストで、引退したボンドとアストンマーチンに乗り、どこかへ去ったマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)が今回もヒロイン。彼女が幼いころ、母が殺されるシーンから始まる。殺害者はなぜか、能面をかぶっている(その謎は最後まで回収されず)。目撃したマドレーヌは凍った湖面を逃げるが、氷が割れ絶体絶命。しかし、なぜか能面の男に助けられる。この冒頭のシークエンスは印象的ではあるが、ドラマ全体でどのような意味を持つのかが若干不明。
 場面は変わり、ボンドはジャマイカでマドレーヌと平穏な生活を送っていた。ある日、かつての女性を忘れるため訪れた墓が爆破され、間一髪生きのびる。なぜ行動が事前に漏れたのか、ボンドはマドレーヌを疑い、別れを告げた。
 優雅な引退生活を送るボンドのもとへ、CIAの旧友フェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が現れ、ロシア科学者ヴァルド・オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)の救出を依頼する。彼が開発したDNAナノロボ「ヘラクルス」が、ある組織に悪用されようとしているというのだ(この兵器がどんな仕組みでどんな効果があるのか、よく分からず)。
 ボンドは当初断ったが、兵器開発にMI6が絡んだ節があり、結局引き受ける。部長のMらを問い詰めたところ、兵器はMI6がスペクターに対抗するため開発を指示したが、リューツィファー・サフィン(ラミ・マレック、「ボヘミアン・ラプソディ」のフレディ・マーキュリーが印象深い)の組織に横取りされたことが判明。サフィンは、かつての能面の男だった。
 こうして役者がそろい、以下はアクション、アクション。そしてなぜか、別れたはずのマドレーヌと彼女の子マチルドが加わる。

 ストーリーの詳細は避けるが、最終的にマチルドはボンドの子であることが判明。何とボンドは子持ちだったのだ。さらにボンドはサフィンとの死闘の中で「ヘラクルス」に感染。マドレーヌと我が子に触れることができなくなったボンドは、傷心の中でこの新兵器開発プラントである孤島へのミサイル攻撃を指示する。島に仁王立ちで爆風を浴びるボンド。
 前作に引き続いて一人の女性への愛を貫くボンド。しかし、それは実ることはない。
 と、最後はメロドラマで終わる。この展開は、これまでの007シリーズにはなかった。日常を引きずらないからこそボンドはボンドだった。だからこそ、スパイが思いっきり日常を引きずるジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」やスマイリーシリーズが生まれたといえる。「ノータイム・トゥ・ダイ」で、ボンドはほんの数ミリ、ジョン・ル・カレに接近したのかもしれない。
 で、「007」の次作はどうなるか。「ノータイム・トゥ・ダイ」の中に伏線があった。「007」の後継を名乗る女性が登場したことだ。「007」は永久欠番ではない、といっている。ここにヒントがありそうだ。
 2021年、米国。監督はキャリー・ジョージ・フクナガ。今村昌平や是枝裕和に影響されたらしい。少し分かる気がする。


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