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老人と少女の寡黙な旅~映画「葬送のカーネーション」 [映画時評]

老人と少女の寡黙な旅~映画
「葬送のカーネーション」


 トルコ南東部。老人と少女が黙々と歩く。あたりは荒涼とした冬景色。遠く雷鳴が響く。こんなシーンが延々と続く。時折、付近の住民の好意で車やトラクターに乗る。洞窟を見つけ、雨をしのぐ。棺桶を引きずっていた。老人はトルコ語を話せないが、少女は少し分かる。住民との会話や二人のやり取りの中で、最小限のことが分かってくる。
 少女の名はハリメ(シャム・セリフ・ゼイダン)。老人はムサ(デミル・パルスジャン)、祖父である。ハリメは隣国の内戦で両親を失った。トルコで難民生活を送るうち、ムサの妻も亡くなった。故郷に埋めてほしいという願いをかなえるため、二人は棺桶とともに国境に向かっていた。
 隣国とは、おそらくシリアであろう。しかし、そんな説明はない。原野を、老人と少女が歩く。

 テオ・アンゲロプロスの作品に「霧の中の風景」(1988)があった。アテネの幼い姉弟がドイツにいる父に会うため、バルカン半島を旅する。詩を思わせる幻想的な風景が印象的だった。「葬送の…」の映像は、絵画的であるが荒々しい。最近では「コットンテール」が、亡き妻の願いをかなえるため英国を旅する。「葬送の…」に似た設定だが、同行する家族との関係は修復され、見るものに温かみを覚えさせる。「葬送の…」にそれはない。ただ荒涼としている。

 二人はついに国境に着く。遺体は発見され埋葬される。少女が描いた似顔絵と赤いカーネーションが添えられる。老人は国境を越え故国に戻るが、内戦の記憶がいえない少女は、国境を越えることができない。
 痛ましい結末が、紛争の絶えない地域の民の悲惨を伝える。ハリウッドなら、背景にある国際情勢を含めてさんざん「説明」を費やすが、そんなものはない。痛みを痛みとして寡黙に提示する。少女の怯えて刺すようなまなざしが記憶に残る。
 監督ベキル・ビュルビュル。2022年、トルコ・ベルギー合作。
 監督はあるインタビューで小津安二郎への敬意を語っていたが、この作品にも、小津らしい「行間の語り」がある。


葬送のカーネーション.jpg


 


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