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「具だくさん」のわりに~映画「52ヘルツのクジラたち」 [映画時評]


「具だくさん」のわりに~映画「52ヘルツのクジラたち」

 

 クジラには、52ヘルツという通常でない高周波の鳴き声を出すものもいるらしい。鳴き声は周囲に聞き取れず「世界一孤独なクジラ」と呼ばれる。このエピソードが、タイトルの下敷きになっている。

 三島貴湖(杉咲花)は、ある港町で人生の再出発を目指していた。そこで一人の少年(桑名桃李)に出会う。母親に虐待され、心を閉じていた。貴湖も母親に虐待され、義父の介護を押し付けられ精神の限界を感じ、生死の境をさまよった。助けてくれたのは親友の牧岡美晴(小野花梨)。そのとき同行した岡田安吾(志尊淳)が母親から引き離してくれ、貴湖は自立の道を歩み始めた。

 働いていた工場でトラブルに巻き込まれた貴湖は、経営者の息子で専務の新名主税(宮沢氷魚)と知り合う。親密になり、結婚を夢見た貴湖だったが、暗転する。新名には婚約相手がおり、貴湖との関係を密告したものがいた。安吾だった。

 安吾は、ひそかに愛情を抱いていた貴湖に対して、一線を越えようとしなかった。一方で新名には嫉妬めいた手紙を送りつけた。なぜか。安吾はトランスジェンダーで戸籍上は女性だったのだ。愛人としての生活を求めた新名に、貴湖は台所にあった包丁を向けた―。

 物語にはあらゆる不幸の形が盛り込まれ、最後には「トランスジェンダー」という仕掛けまで登場する。主人公・貴湖の人生は上がったり下がったり、エレベーターのよう。それなのに感動がわいてこない。なぜだろう。

 第一に、「不幸の形」が類型的であること。母親の再婚相手に虐待され、介護を押しつけられる。精神に異常をきたすほどのことならさっさと逃げればよいのに「家に縛られている」という意識。いつの時代なのか。若い母が再婚し、少年が邪魔者扱いされる構図も、昨今のニュースで見せつけられている。

 第二に、登場する人物の「彫り」の浅さである。トランスジェンダーである安吾がそのことを貴湖に告げられず、密告の手紙を書くというのも短絡的だ。相手の女性に何らかの思いがあるなら、もう少し打開策を考えるだろう。会社の跡取り息子が愛人を囲みたがった、というのも単純な構図。真相がわかるまで二人は明るくまじめな(そして全うな)人間としか描かれておらず(そういえば安吾が自室で脇腹に注射するシーンがあったが、あれは男性ホルモンだったんですね)、そのことが後の展開に唐突感をもたらしている。

 第三に結論への疑義。貴湖は最終的に少年と暮らす選択をするが、それは少年にとって幸福なことなのか。


 以上のような弱さが重なって物語のリアリティを失わせている。「具だくさん」なのに、それがいちいち胃袋に入って消化されない、つまり満腹感を伴わない作品だった。

 2024年、監督成島出。町田そのこの原作は2021年本屋大賞。


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