ありふれた日常こそ輝く~映画「PERFECT DAYS」 [映画時評]
ありふれた日常こそ輝く~映画「PERFECT DAYS」
「百姓が侍を雇う?」
「そうだよ」(中略)
「出来たな」
黒澤さんが低くズシリという。
映画「七人の侍」の構想が走り出した瞬間である。(橋本忍著「複眼の映像」から)
黒澤明は時代劇をつくろうとしていた。まずあったのは、ある「侍の一日」を完璧なリアリズムで仕立てることだった。細部で躓き、次に剣豪列伝をオムニバスで。これも行き詰まった。そんなとき、武者修行の兵法者の生態を話す中で冒頭のエピソードに行き当たった。完全主義者は「侍の一日」に至らず、そのことが歴史的名作を生んだ。
「PERFECT DAYS」は、あるトイレ清掃員の一日を追った映画である。描いたのは奇想天外でも、波乱万丈の人生でもない。ぼろアパートに住み、決まった時刻に起き、布団の畳み方も歯の磨き方も寸分違わない毎日。そんな彼にも、人生や生活への揺らぎがある。
軽自動車で仕事場(公衆トイレ)へ向かう平山(役所広司)は、70年代の洋楽をカセットテープで聞くのがお気に入りだ。冒頭、車内に流れるのは「朝日の当たる家」。同僚のタカシ(柄本時生)は、仕事はいい加減だ。ガールズバーで働くアヤ(アオイヤマダ)にぞっこんで、平山の軽を借用したりする。
鎌倉に住む姪のニコ(中野有紗)が10数年ぶりにアパートを訪れた。数日後、平山の妹ケイコ(麻生祐未)が娘を連れ戻しにきた。運転手付き、黒塗りセダンだ。「お父さんは認知症でホームにいる。昔と違うから、お見舞いに行ってあげて」と告げる。平山はそんな妹を黙って抱きしめる。平山という人間の裏側(もしくは捨てた人生)が垣間見える。
判で押したように、仕事を終えると銭湯へ行き浅草駅構内の飲み屋で一杯だけ酒を飲む。休日は居酒屋でママ(石川さゆり)と雑談する。ある日、店に入る見知らぬ男(三浦友和)を見かけた。ドアの隙間から覗くと、ママと抱擁していた。気持ちを静めるため川べりで酒を飲んでいると、男が来た。ママと離婚、ガンで余命を知り、無性に会いたくなったという。
「影って重なると濃くなるんですかね」と謎の問いかけをする。平山は「じゃあ、やってみましょうか」と、二人で影踏みをする。
無粋を承知で言えば、このシーン「人生が重なり合えば情も濃くなるでしょうか」と暗に問いかけている。
平山はトイレ掃除を終えると、公園のベンチでコンビニのおにぎりをほおばる。見上げると葉陰が揺れ、木漏れ日。胸のポケットから小さなカメラ(フィルムカメラ)を出し、撮る。ありふれていて、しかし一様でない光景に人生を重ねている。
平山は終始無口である。しかし、ひとかどの知性と気品を持ち合わせていることは、たたずまいからわかる。そんな危うい立ち位置を表現できるのは、役所広司しかいない。さりげない日常を通して人間の哀歓、孤独、無常観を描くヴィム・ヴェンダース監督の手法も尋常ではない。小津安二郎に通じている。そういえば「平山」という役名(「東京物語」で笠智衆が演じた)に、小津へのオマージュを感じる。名作である。
2023年製作。