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安定感はさすが~映画「モガディシュ 脱出までの14日間」 [映画時評]

安定感はさすが~映画「モガディシュ 脱出までの14日間」


 「アフリカの角」と呼ばれるソマリア。1991年に内戦が起き、今も動乱の中にある。米軍が事態収拾に動いたが、ソマリア民兵によって軍用武装ヘリが撃墜され搭乗米兵が惨殺された1993年の事件は記憶に残る。1999年にノンフィクションが出版され、2001年に映画化された。
 内戦の初期、1991年の混乱の中を生き抜いた韓国・北朝鮮の外交団がいた。分裂国家の現実の中で一時は共同行動をとり、間一髪の脱出口を決行した。その模様を描いたのが「モガディシュ 脱出までの14日間」である。ユーモアを基調に全編、緊迫感と疾走感あふれるつくりは「さすが韓国映画」と感嘆させられる。
 韓国、北朝鮮とも、国連加盟は1991年。韓国は1998年にソウル五輪を成功させ、国際的な認知も得ていた。国連議席数で言えばアフリカは最大勢力である。国連加盟のためのロビー活動は欠かせない。北朝鮮も同じ思いで、すでに20年前からアフリカで活動していた。
 そんな両国外交団はある日、突如混乱の中にいた。武装した反政府勢力が首都モガディシュで支配地域を拡大してきたのだ。
 韓国大使のハン(キム・ユンソク)は、ソマリア政府の上層部と関係を築くため、奔走していた。ライバルは北朝鮮の大使リム(ホ・ジュノ)だった。ところが、反政府軍に大使館を追われたリムらが、韓国大使館に助けを求めてきた。北への反発と人道主義のはざまで揺れるハン。反政府軍の狂乱は時を追って強まり、時間的な猶予はなかった。「転向書を書けば」と持ち掛け、反発する北側。それぞれ国に救援機を要請するが、正式な国交がないため派遣に消極的である。
 ここから後は反政府軍と南北朝鮮外交団の、息もつけないカーチェイス。後年、米軍武装ヘリさえ撃墜した反政府勢力の狂乱、喧噪、ある種の無政府主義的なエネルギーが展開される。
 最終的にはイタリア政府の仲介で赤十字の救援機に乗り国外脱出するが、待っていたのは両国の政府機関。転向を装って救援機搭乗がかなった北の外交団は、治安当局らしき一団に連れられて…。と、最後は全面ハッピーエンドとはいかず、現実政治のビターな一面も見せて終わる。うまいなあ。
 2021年、韓国。監督は「韓国のタランティーノ」リュ・スンワン。「チェルノブイリ」と違って」見る価値あり。
 2021年、韓国。


モガディシュ.jpg



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描かれていない放射線の脅威~ 映画「チェルノブイリ 1986」 [映画時評]

描かれていない放射線の脅威~
映画「チェルノブイリ 1986


 ソ連体制末期の1986426日深夜、チェルノブイリ原発が暴走、原子炉と建屋の屋上が吹き飛んだ。この事故を軸に男女のドラマを絡ませたのが「チェルノブイリ 1986」である。見る価値があるのか迷ったが、ロシアという国が事故をどう見ているのか知りたく、映画館に足を運んだ。結論を言えば、「やっぱりね」というところだ。
 ▽事故や災害を軸に男女のドラマを絡ませる手法は、ハリウッドが常套的に使ってきた(代表例「タワーリングインフェルノ」。高層ビルの火災に立ち向かう中で、なぜか離婚しかかった男女がよりを戻す)。今回もロシア映画も、いやになるほど路線を踏襲した。
 ▽チェルノブイリ原発事故は、福島第一原発事故と並んで世界に例を見ない核災害である。そのことの意味、重大性がまるで伝わってこない。
 以上の二つの側面を重ねると、この映画は「放射線の脅威の描き方が甘い」の一言で終わるのではないか。そのことを内容に踏み込んでみてみよう。

 原発から直線距離で2.5㌔にあるプリピャチ(原発関係者が住み、当時はソ連最先端の都市と喧伝された)でオリガ(オクサナ・アキンシナ)は理容師として働いていた。そこへ消防士のアレクセイ(ダニーラ・コズロフスキー、監督も)が現れた。かつての恋人で、10年ぶりの再会だった。アレクセイはよりを戻そうとするが、オリガにはわだかまりがあった。10歳の子には、アレクセイと同じ名がつけられていた。それを知ったアレクセイは自分の子と直感した。
 ある日、数人の子とともにアレクセイ(オリガの子のほう)は、目前で爆発を見た。それは多量の放射線被曝を意味した。
 プリピャチの住民に避難が支持された。バスの乗るオリガとアレクセイ母子。原発の消防隊長を務めていたアレクセイはバスを降りた。呆然と見送るオリガ。
 原子炉の暴走は止まらず、直下には冷却水プールがあった。原子炉が落下すれば水蒸気爆発が起き、欧州全土が放射能で汚染される。プールの水を抜くため決死隊が募られた。原発の内部構造を熟知したアレクセイは参加した。
 一度目は目的を果たせず撤退。迎えたオリガは「なぜ私たちを見捨てたの」と怒りを爆発させた。このシーン、彼女のわだかまりが何かを物語っているのだろう。
 決死隊には、帰還後にスイスで最高の治療が受けられること、多額の報奨金が約束された。アレクセイは、被曝した息子に高度治療の権利を譲ると決めていた。
 バルブ開放のための二度目の決死行動。水は抜かれたが、多量の放射線を浴びたアレクセイを救う手立てはなかった。そんなアレクセイに寄り添うオリガ。息子は3か月後に元気に退院した。

 放射線の脅威があまりに軽く見られてはいないか。男女のドラマと核被害の恐怖という異質のものをくっつけた時点で製作意図は怪しいが、こうした点はほかにもある。原発事故の脅威が火災と高熱に重きを置いて描かれていること。原子炉直下のプールに潜った決死隊の行動が悠長であること【注1】、スイスで治療したアレクセイがたった3か月で帰国し、後遺症の懸念などが描かれていないこと―などである。
 このほか、プリピャチ住民の避難は事故後36時間もたって開始されたことに批判があったが【注2】、全く触れられていない。
 残ったのは「リクビダートル(清掃人)と呼ばれ、決死行動に赴いた人々の英雄譚とメロドラマだけである。今日、米国と並ぶ核超大国のロシアの認識がこの程度でいいのかと暗然とする。2020年、ロシア。

【注1】 原子炉直下の水を抜く決死行動は事実に即している。ただ、実行者は民間防衛軍の大尉と部下二人で、放射線量から考えて行動時間は15分に限定された。排水用ホースを引いた、とされる(七沢潔著「原発事故を問う)。
【注2】 当時進められていた情報公開との兼ね合いが問題視された。当局が情報を小出しにしたことで、キエフ市民にパニックが起きたという(同書)。


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