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市民が蘇らせた作家~濫読日記 [濫読日記]

市民が蘇らせた作家~濫読日記


「狂伝 佐藤泰志 無垢と修羅」(中澤雄大著)

 芥川賞に五度ノミネートされながら、ついに光の当たる道を歩めず自死した作家の名を知ったのは、川本三郎著「言葉の中に風景が立ち上がる」によってであった。文学作品を通して風景論を模索した一冊。2006年に出版され、比較的早い時期に目にしたと記憶する。
 作家の小説は生前に3冊、死後に3冊が出版されたがいったんすべて絶版になり、2007年に「佐藤泰志作品集」がクレイン社から出された。2009年に出身地函館で、長期連作「海炭市叙景(未完)」の映画化へ向けて実行委が結成され、翌年公開された。この二つの事実が作家としての復活を印象付けた。
 川本は、復活の少し前に佐藤に注目している。なぜだろうか。何が心に引っかかったのか。
 作品はいずれも、行間から風景が立ち上がってくる。映画好きの作家が、映画から多くのものを学んだことがよくわかる。映画評論家でもある川本が、そうした作家の特性にいち早く注目したのは、当然だったのかもしれない。
 だが、このことは必ずしも作家の利点とは受け止められなかった。「コラージュが多い」(554P、佐伯一麦)と辛辣な批評もあった。こうした、既存の作品のシーンを「盗用気味にとりこ」む例は早い時期からあったようだ(127P)。一方で「活字が立っていない」とする短編小説の「名手」の意見もあった(468P、開高健)。
 文壇では不幸にも過小評価され、しかし、函館の市民からはあたたかく迎えられた佐藤泰志とはどんな人物だったか。それを、一人の全国紙記者が退路を断つため社をやめて10年600㌻の大部に仕上げた。 
 何が彼をそうさせたのだろう。佐藤という作家の何にひかれたのか。そうした問いの答えも含めて、読み応えのある一冊である。

◆「東京物語」
 作家になるためには東京で勝負しなければならない。そう考えた佐藤は二度の受験失敗をへて国学院大哲学科に入学した。1970年。安保闘争が急速に退潮していったころである。1967年の羽田闘争に触発され「市街戦のジャズメン」を書いた佐藤はその後、三里塚闘争への連帯感を強めていく。そんな彼の前に現れたのは、静岡から上京して同じキャンパスに通う漆畑喜美子だった。学園を吹き荒れた闘争の衰退とともに「同棲」に小さな幸せを見出す若者が多かったころ。二人は同棲生活に入った。以来、喜美子は原稿用紙に向かう作家の背中を見て生活を支えた。

 悪戦苦闘の佐藤とは全く違うコースで同時期に函館から文壇に出た女性がいた。直木賞作家・藤堂志津子(熊谷政江)である。彼女の佐藤観はとても的を射ているように思える。


 ――私からすれば、描いている世界が狭いのね。読んでいても心配になったわ。こんな風に書いていたら、どんどんどんどん、それこそ鶴が羽を抜いたみたいにわが身を削って織っていくことになって、いずれ駄目になってしまう、という予感をさせたのね(以下略、250P)」

 佐藤が思いを寄せた女性は、冷静に彼の作家としての限界を見ていた。

◆二重掲載と安岡章太郎への電話
 「もう一つの朝」が1980年「作家」賞を受けた。「作家」は名古屋を中心にした商業的同人誌だった。同じタイトルの小説が6年後「文學界」に新人競作の一編として掲載された。編集部に作品の来歴は伝えていなかった。菅野昭正が「ひとまず小ぢんまりとまとまっている」と評した。「作家」を主宰する小谷剛の怒りは、容易に想像できる。酒と薬におぼれ、想像力が干上がった作家の苦し紛れの行為だった。
 痛恨の出来事はもう一つあった。安岡章太郎への偽電話事件である。「オーバー・フェンス」が5回目の芥川賞候補になったとき、佐藤の知人を名乗る人物が佐藤をよろしく、と電話してきたというのだ。安岡は激怒、この回だけでなく以降もノミネートはむつかしくなったという。情報の出所は文春編集者である。電話の主はもちろん本人であろう。佐藤春夫にあてた太宰治の手紙のような話だが、追い詰められた気分がよくわかる。中澤が入手した芥川賞の社内選考資料によると「オーバー・フェンス」は2位の評価だったという。本選考で受賞してもおかしくない位置にいた。

◆死んで花実が咲いた人
 中澤は、作家の「明」の部分だけを書いてはいない。「暗」の部分も、これでもかというほど書き込んでいる。そうしなければ評伝としての価値はない、と信じているからだろう。喜美子ら遺族もまた、こうした筆致を信じて見守っている。佐藤がやりとりした手紙は、未発送分も含め段ボール箱に入れてそっくり提供されたという。よほどの信頼がなければできないことだ。そうした確固とした人間関係だけでないものが、この一冊には込められている。
 それは、「海炭市叙景」をはじめとする作品群が、何かあたたかいもの、希望を絶やすことなく生きることの大切さを読んだものの心にもたらすことを、多くの人が知っているからではないか。菅野昭正が「文藝」の鼎談で語った言葉が、作品の特性をよく表している。

 ――管理社会の中で抑圧された生とか、都市生活の中でアトム化された生活とか、そういう問題を考える立場で書いていると思いました。(略)抒情的な喚起力のある文体で、この文体が全体として、淀みなく、凸凹なしに、均質にうまく貫かれている(略)

 こうした文体を引っ提げて、架空の地方都市を舞台に住民のさまざまな生き様を描き切ろうとしたのが「海炭市叙景」だった。構想の半分で終わったことが、今にして惜しい。

 映画「そこのみにて光輝く」(2014年)の試写を見終わって喜美子はこういったという。

 ――死んじゃあおしまいと言うけど、死んで花実が咲く人もいるんだねぇ。(中澤雄大、「佐藤泰志」=河出書房新社から) 


狂伝 佐藤泰志-無垢と修羅 (単行本)

狂伝 佐藤泰志-無垢と修羅 (単行本)

  • 作者: 中澤 雄大
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2022/04/19
  • メディア: 単行本

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プーチン体制の政治的メッセージ~映画「親愛なる同志たちへ」 [映画時評]

プーチン体制の政治的メッセージ~
映画「親愛なる同志たちへ」


 1962年6月1日、ソ連(当時)南部のノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが発生。社会主義政権は武力弾圧に乗り出し、多くの労働者が死亡したという。事件は長く闇に葬られたが2020年にアンドレイ・コンチャロフスキー監督で映画化され、日本でも公開された。
 半世紀以上たって、ロシア文化庁がソ連時代の巨匠の手を借り映画化したことの意味は何か。その謎を解くため、映画館に足を運んだ。
 まず、1962年とはどんな時代だったか。1953年にスターリンが死去。56年2月の党大会でフルシチョフがスターリン批判を行い、東西冷戦にデタント(緊張緩和)の機運が訪れた。10月にはハンガリー動乱が起き、ソ連支配体制に抵抗を示したが、圧倒的な軍事力で圧殺された。「プラハの春」が戦車によって蹂躙されたのはさらに6年後、1968年である。

 ノボチェルカッスクの労働者蜂起は、物価高の中の賃下げを契機とした。リョーダ(ユリア・ビソツカヤ、おそらく架空の人物)は党員で市政委員を務める、いわば体制派で事件の対応を話し合う場でも強硬意見を述べる。
 彼女には18歳の娘スヴェッカ(ユリア・ブロワ)がいたが、事件以降、行方知れずとなった。当初は軍による威嚇射撃だけと思われた鎮圧策も、何者かの狙撃によって相当数の死者が出ていることも分かった。事件隠ぺいのため、死者は秘密裏に葬られているという。リョーダはスヴェッカがどこかに埋葬されたのではと、探索に向かう。党の調査委員会で述べた強硬意見など、どうでもよくなっていた…。
 リョーダに手を差し伸べる人物がいた。KGBの一員ヴィクトル(アンドレイ・グセフ)。リョーダの行動を監視する役回りだったが、途中から彼女を助けるほうに回った(よくわからないがそうなっている)。二人はスヴェッカが埋められているらしい市郊外の墓場にたどりつく。悲嘆にくれて自宅に戻ったリョーダを待っていたのはスヴェッカだった。彼女は生きていた。

 真面目な党員であるリョーダは、スターリン時代への郷愁を口にする。「あの時代はよかった、敵も味方もはっきりしていた…」「スターリンが恋しい。彼がいなければ革命なんて無理…」。一方でヴィクトルはKGBでありながら血も涙もある人物として描かれる。
 映画が描いたこの二つの側面を、現代のロシアで矛盾なく受け入れる人物はプーチンであろう。強権政治と秘密警察が幅を利かす社会を背景に、フルシチョフ時代の「汚点」を明るみにした。そんな政治的メッセージが、汲み取れなくもない。
 一つ付記すれば、ウクライナとの戦争でプーチンが領有権にこだわるクリミア半島をウクライナに割譲したのは、フルシチョフだった。1930年代のホロドモール(飢餓ジェノサイド)を招いたスターリンの政策に対する贖罪の意味もあったといわれる。
 フルシチョフのデタント路線の否定、スターリンの強権的官僚政治の復活。そうしたメッセージをこの映画から読むことはできそうだ。
 2020年、ロシア。


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安定感はさすが~映画「モガディシュ 脱出までの14日間」 [映画時評]

安定感はさすが~映画「モガディシュ 脱出までの14日間」


 「アフリカの角」と呼ばれるソマリア。1991年に内戦が起き、今も動乱の中にある。米軍が事態収拾に動いたが、ソマリア民兵によって軍用武装ヘリが撃墜され搭乗米兵が惨殺された1993年の事件は記憶に残る。1999年にノンフィクションが出版され、2001年に映画化された。
 内戦の初期、1991年の混乱の中を生き抜いた韓国・北朝鮮の外交団がいた。分裂国家の現実の中で一時は共同行動をとり、間一髪の脱出口を決行した。その模様を描いたのが「モガディシュ 脱出までの14日間」である。ユーモアを基調に全編、緊迫感と疾走感あふれるつくりは「さすが韓国映画」と感嘆させられる。
 韓国、北朝鮮とも、国連加盟は1991年。韓国は1998年にソウル五輪を成功させ、国際的な認知も得ていた。国連議席数で言えばアフリカは最大勢力である。国連加盟のためのロビー活動は欠かせない。北朝鮮も同じ思いで、すでに20年前からアフリカで活動していた。
 そんな両国外交団はある日、突如混乱の中にいた。武装した反政府勢力が首都モガディシュで支配地域を拡大してきたのだ。
 韓国大使のハン(キム・ユンソク)は、ソマリア政府の上層部と関係を築くため、奔走していた。ライバルは北朝鮮の大使リム(ホ・ジュノ)だった。ところが、反政府軍に大使館を追われたリムらが、韓国大使館に助けを求めてきた。北への反発と人道主義のはざまで揺れるハン。反政府軍の狂乱は時を追って強まり、時間的な猶予はなかった。「転向書を書けば」と持ち掛け、反発する北側。それぞれ国に救援機を要請するが、正式な国交がないため派遣に消極的である。
 ここから後は反政府軍と南北朝鮮外交団の、息もつけないカーチェイス。後年、米軍武装ヘリさえ撃墜した反政府勢力の狂乱、喧噪、ある種の無政府主義的なエネルギーが展開される。
 最終的にはイタリア政府の仲介で赤十字の救援機に乗り国外脱出するが、待っていたのは両国の政府機関。転向を装って救援機搭乗がかなった北の外交団は、治安当局らしき一団に連れられて…。と、最後は全面ハッピーエンドとはいかず、現実政治のビターな一面も見せて終わる。うまいなあ。
 2021年、韓国。監督は「韓国のタランティーノ」リュ・スンワン。「チェルノブイリ」と違って」見る価値あり。
 2021年、韓国。


モガディシュ.jpg



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描かれていない放射線の脅威~ 映画「チェルノブイリ 1986」 [映画時評]

描かれていない放射線の脅威~
映画「チェルノブイリ 1986


 ソ連体制末期の1986426日深夜、チェルノブイリ原発が暴走、原子炉と建屋の屋上が吹き飛んだ。この事故を軸に男女のドラマを絡ませたのが「チェルノブイリ 1986」である。見る価値があるのか迷ったが、ロシアという国が事故をどう見ているのか知りたく、映画館に足を運んだ。結論を言えば、「やっぱりね」というところだ。
 ▽事故や災害を軸に男女のドラマを絡ませる手法は、ハリウッドが常套的に使ってきた(代表例「タワーリングインフェルノ」。高層ビルの火災に立ち向かう中で、なぜか離婚しかかった男女がよりを戻す)。今回もロシア映画も、いやになるほど路線を踏襲した。
 ▽チェルノブイリ原発事故は、福島第一原発事故と並んで世界に例を見ない核災害である。そのことの意味、重大性がまるで伝わってこない。
 以上の二つの側面を重ねると、この映画は「放射線の脅威の描き方が甘い」の一言で終わるのではないか。そのことを内容に踏み込んでみてみよう。

 原発から直線距離で2.5㌔にあるプリピャチ(原発関係者が住み、当時はソ連最先端の都市と喧伝された)でオリガ(オクサナ・アキンシナ)は理容師として働いていた。そこへ消防士のアレクセイ(ダニーラ・コズロフスキー、監督も)が現れた。かつての恋人で、10年ぶりの再会だった。アレクセイはよりを戻そうとするが、オリガにはわだかまりがあった。10歳の子には、アレクセイと同じ名がつけられていた。それを知ったアレクセイは自分の子と直感した。
 ある日、数人の子とともにアレクセイ(オリガの子のほう)は、目前で爆発を見た。それは多量の放射線被曝を意味した。
 プリピャチの住民に避難が支持された。バスの乗るオリガとアレクセイ母子。原発の消防隊長を務めていたアレクセイはバスを降りた。呆然と見送るオリガ。
 原子炉の暴走は止まらず、直下には冷却水プールがあった。原子炉が落下すれば水蒸気爆発が起き、欧州全土が放射能で汚染される。プールの水を抜くため決死隊が募られた。原発の内部構造を熟知したアレクセイは参加した。
 一度目は目的を果たせず撤退。迎えたオリガは「なぜ私たちを見捨てたの」と怒りを爆発させた。このシーン、彼女のわだかまりが何かを物語っているのだろう。
 決死隊には、帰還後にスイスで最高の治療が受けられること、多額の報奨金が約束された。アレクセイは、被曝した息子に高度治療の権利を譲ると決めていた。
 バルブ開放のための二度目の決死行動。水は抜かれたが、多量の放射線を浴びたアレクセイを救う手立てはなかった。そんなアレクセイに寄り添うオリガ。息子は3か月後に元気に退院した。

 放射線の脅威があまりに軽く見られてはいないか。男女のドラマと核被害の恐怖という異質のものをくっつけた時点で製作意図は怪しいが、こうした点はほかにもある。原発事故の脅威が火災と高熱に重きを置いて描かれていること。原子炉直下のプールに潜った決死隊の行動が悠長であること【注1】、スイスで治療したアレクセイがたった3か月で帰国し、後遺症の懸念などが描かれていないこと―などである。
 このほか、プリピャチ住民の避難は事故後36時間もたって開始されたことに批判があったが【注2】、全く触れられていない。
 残ったのは「リクビダートル(清掃人)と呼ばれ、決死行動に赴いた人々の英雄譚とメロドラマだけである。今日、米国と並ぶ核超大国のロシアの認識がこの程度でいいのかと暗然とする。2020年、ロシア。

【注1】 原子炉直下の水を抜く決死行動は事実に即している。ただ、実行者は民間防衛軍の大尉と部下二人で、放射線量から考えて行動時間は15分に限定された。排水用ホースを引いた、とされる(七沢潔著「原発事故を問う)。
【注2】 当時進められていた情報公開との兼ね合いが問題視された。当局が情報を小出しにしたことで、キエフ市民にパニックが起きたという(同書)。


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戦間期の甘美なひととき~映画「帰らない日曜日」 [映画時評]

戦間期の甘美なひととき~映画「帰らない日曜日」


 不思議な映画である。甘美なラブストーリーであり、不穏さを秘めた時代を語る作品でもある。「ラブストーリー」の部分は見た通りなので説明は省くとして「不穏さを秘めた時代を語る」とは―。

 最初に出てくる時代は1924年。第一次大戦が終わって6年後、「マザリング・サンデー」と呼ばれるある日曜日。舞台は英国上流階級の三つの家。大戦の死者が60万人という統計記録を大見出しにした新聞のカットがさりげなく挿入され、遠い海鳴りのような、時代が抱える痛みをにじませる【注】。三つの家でも5人の後継者が戦死、残るはシュリンガム家のポールだけになった。
 マザリング・サンデーには、メイドは里帰りを許された。ニヴン家のジェーン(オデッサ・ヤング)も、丸一日自由に過ごすことを許された。しかし、孤児院に育ち天涯孤独のジェーンに行く当てなどなかった。そこで、シュリンガム家のポール(ジョシュ・オコナー)から声がかかった。二人は「秘密の恋」の関係にあった。
 ポールは、ボブディ家のエマ(エマ・ダーシー)と婚約関係にあった。この日も二人を祝うため、シュリンガム家、ボブディ家、ニヴン家で川べりのランチ会が予定されていた。会に遅れることを承知で、ポールはジェーンとの情事にふけった。
 やがてポールは館を後にし、車でランチ会に向かった。窓から見送ったジェーンは全裸のまま、邸内を奔放に歩き回る。シュリンガム家に戻ったジェーンを待っていたのは、ポールの事故死の知らせだった。
 1948年。ジェーンは作家に転身、書店を構えていた。現れたのは哲学を研究するドナルド(ソープ・ディリス)だった。二人は結婚するが、ドナルドは脳腫瘍に冒されていた。ジェーンは愛する人との二度目の死別を経験した。
 1980年代。ジェーン(グレンダ・ジャクソン)は押しも押されもせぬ作家になっていた。著名な賞を受け、メディアの取材攻勢を受ける。なんてことはないわ、と言いたげな表情。取材陣の背後に、若いころのジェーンが立っている。彼女と目を合わせ「あの時代はよかったわね」とつぶやく。受賞作は、あの一日を描いたものであろう。

 映画が描いたのは、戦間期英国のあやうくて甘美な平和である。それを一人の女性の心象に重ね、その後の第二次大戦、冷戦の時代をこの女性はどのように生きたのか、と思わせるところが、冒頭書いた「ラブストーリー」に収まらない部分であろう。
 こうしてみると、この映画は映像化されていない部分に核心があり、観るもののの心をそそる。
 面白いシーンがあった。ドナルドに作家になった契機を聞かれ、一つは生まれた時、二つ目はタイプライターをもらったとき(書店の店主からタイプをもらうシーンがある)、三つ目は秘密と答える。三つ目の答えはもちろん、ポールとの情事と死である。このとき「プロの観察者になる」(ジェーンのセリフ)と決意した。
 2021年、英国。原題「Mothering Sunday」。監督エヴァ・ユッソン、原作グレアム・スウィフト。

【注】現在の統計では、英国の戦死者数887千人、ちなみに仏が1398千、ロシア181万~235万、ドイツ205万、ハンガリー110万人とされる。「戦争から6年」という感覚は、全く同じではないが、日本の戦後6年の時代状況を考えれば、ある程度想像がつく。「傷が完全に癒えた」とは考えにくく、登場人物もそうした心的状況をうかがわせる。例えばポールがジェーンとの情事の後でベッドの精液を指さし「自分の種だ」というシーン。かなり詳細に描かれるが、それだけ演出上のこだわりが見てとれる。家系の後継者が死んでいったことへの切迫感がにじむ。


帰らない日曜日.jpg


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