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思考を理解するための「六つのペルソナ」~濫読日記 [濫読日記]

思考を理解するための「六つのペルソナ」~濫読日記


「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」(フィオナ・ヒル、クリフォード・G・ガディ著)


 「プーチンの戦争」が止まらない。そもそも、なぜ戦争を始めたのかも明確ではない。安全保障上の理由ともいい、ロシア民族の統一国家を目指すともいう。あるときは軍事戦略家であり、あるときは超保守的な民族主義者である。複数の仮面を持ち、西側世界とは交わることがないように見える世界はどこから来てどこへ向かうのか。その問いの答えの一つともいえるのが「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」である。著者の二人は、米国のリベラル系シンクタンク、ブルッキングス研究所のスタッフである。

 二つの章からなる。第1章は、ソ連崩壊から大統領就任までの足取りと、その間に築いた独自のシステム。その二つから見えるプーチンの特徴的な六つのキャラクターを取り上げた。第2章は、描かれたプーチンの思想的なアウトラインに基づいたケーススタディ。大まかに言えばこうした構成である。
 内容を細かくは取り上げないが、印象に残ったことをいくつか。ロシア史を見る時、我々は近代の帝政時代、革命以後のソ連、ソ連崩壊後のロシアをそれぞれ別の国としてとらえるが、プーチンは三つを串刺しにして「ロシア」とみる。ソ連もまた「ロシア」なのである。では「ロシア」とは何か。ロシア史、ロシア語、ロシア正教の三つからなる共同体を指し、ルースキーミール(ロシア世界、322P)と呼ぶ。そこに国境はない。ロシア語の話者を保護する目的で軍事行動を起こすプーチンの行動の論理が見えてくる。
 ベルリンの壁崩壊時に、プーチンが東独ドレスデンにKGB要員として駐在していたことは知られている。大衆の反乱を目撃し、後々まで心理的脅威となった。そうした体験に立脚して何を求めるか、といえば答えは単純ではない。ソ連時代のイデオロギーには無関心だが、東欧諸国を従えた権威には関心がありそうだ。KGB時代の最大の標的はNATOと米国だった。ソ連崩壊後に権力の頂点に立ったプーチンの標的もまたNATOと米国である。
 本書では、プーチンのキャラクターを「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「ケース・オフィサー(工作員)」の六つのペルソナとして紹介する。前半の三つはロシア国民に共通するものとして、後半の三つは個人に属するものとして。
 プーチン自身はロシアの変化を外部から見た。ベルリンの壁からソ連崩壊に至る過程をソ連内部からではなく、東独の人口50万、第三の都市ドレスデンから傍観者として見ていた。そのため、プーチンはゴルバチョフの政策に批判的な立場に立つ。これを「アウトサイダー」の原点とした。「工作者」については、説明の要はないだろう。国内世論へのプロパガンダ、組織内の裏切りに対する容赦ない対応、チェチェンの学校占拠事件にみられる強硬措置。工作者の手法である。
 1999年、大統領になる前年にプーチンはミレニアム・メッセージを発表した。マニフェストである。国家の再建がうたわれた。ソ連崩壊時の屈辱的な体験を踏まえた「大国の復活」が含意である。国家主義者としての顔がある。
 第二次大戦の独ソ戦さ中、レニングラード包囲戦で900日に及ぶ攻防の末、住民150万人が死亡した(多くは餓死)が、プーチンの両親、兄もその中にいた。両親は生きのび兄は亡くなった。「サバイバリスト」としてのペルソナには、そうした体験が含まれる。そのためであろう、プーチンの安全保障システムには必ず戦略的備蓄という概念が含まれる。
 プーチンお気に入りのジョークが紹介されている。人類に愛想をつかした神が、洪水によって全滅させようとした。キリスト教の司祭とイスラム教のイマームは、最期ぐらいはどんちゃん騒ぎをしようと言ったがユダヤ教のラビはこう言ったという。「水中で暮らす術を編み出そう」(393P)―。今のロシアに通じる話である。
 1517世紀、初期のロシア国家は外の世界と限定的な交流を行った。裏付けとなったのがロシア正教会で、西のヨーロッパ人を異端者ととらえた。皇帝は正教会と政治的、精神的な結びつきを持った。

 本書では、プーチンは西側の考え方を「危険なほど」知らないとする(455P)。西側の常識でこう考えるだろう、と想定した思考法をプーチンはとらないというのだ。かつてのロシア正教会がとった限定的交流と西側=異端という思考法が、プーチンの脳内にはあるのだろうか。だとすれば、西側の、ではなくプーチンの論理ではどうなるかを考えて初めてプーチンへの向き合い方が見えてくる。理不尽な侵攻の時点でそこには一片の正義もないが、こうした思考もあながち無駄ではないだろう。
 新潮社、3200円。

プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―


プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/01/27
  • メディア: Kindle版


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