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戦後ゼロ年生まれが書いた戦後史~濫読日記 [濫読日記]

戦後ゼロ年生まれが書いた戦後史~濫読日記


「ものがたり戦後史 『歴史総合』入門講義」(富田武著)


 著者は1945年生まれ。東大法学部、大学院を経て予備校教師、成蹊大教授などを勤めた。著書に「歴史としての東大闘争―ぼくたちが闘ったわけ」やスターリニズム研究の延長として「シベリア抑留」を著した。当時の学生運動が「反帝反スタ」を掲げたことから、この著作の道筋は理解できる。同時に彼は終戦の年(戦後ゼロ年)の生まれでもある。こうした二つの人生の偶然を足掛かりに、大学最終講義として行ったのが表題の内容である。

 「歴史総合」とあるように、日本の戦後史と世界の歴史を組み合わせた。著者自身も書いているように、世界の近代史は大航海時代と共に始まった。そこにあるのは、米欧の思想的バックボーンである資本主義とキリスト教の世界化の歴史であった。内外の近現代史を語るとき、この限界をどう乗り越えるかが大きな課題となる。日本の戦後史で、占領時代、講和条約、安保闘争、ベトナム戦争などの主要なトピックで米国の存在は触れざるをえない。そんな中で中ソの存在をどのように描くのかは興味深かった。
 日本の敗戦過程で、ソ連はどう動いたか。ヤルタ密約―ソ連参戦を詳しく追った。中国については、共産革命から朝鮮戦争への道筋を詳述した。
 戦後史としての朝鮮戦争を描くとき、例えば「新たな全体主義の台頭」に警鐘を鳴らしたトルーマンドクトリンや、中国革命と朝鮮戦争の関係について詳しく触れたことは、歴史の相貌に立体感をもたらした。
 チリのアジェンデ政権の成立とクーデタによる崩壊のインパクトは、70年代のユーロコミュニズムの動静に大きく影響した。日本共産党が路線をめぐって揺れたのもこの時代であった。1980年代後半から始まったペレストロイカ―ソ連崩壊と冷戦終結、ドイツ統一も適切なスペースで触れられたように思う。

 「おわりに」で著者が書いているように、アフリカ、南アジア、ラテンアメリカが年表程度にしか触れられなかったことが悔やまれる。しかし「百科事典」的なものでなく「グローバル・ヒストリーが書ける時代」(ワールド・ヒストリーでなく)にふさわしいものを、という著者の意図はよく分かる。
 著者は同時代の伴走者として「戦後」をとらえており、ほぼ同じ肌感覚を持つ者として共感する部分は多い。
 ちくま新書、940円(税別)。


ものがたり戦後史 ――「歴史総合」入門講義 (ちくま新書)

ものがたり戦後史 ――「歴史総合」入門講義 (ちくま新書)

  • 作者: 富田 武
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2022/02/09
  • メディア: 新書


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心理サスペンスに軸足~映画「マヤの秘密」 [映画時評]

心理サスペンスに軸足~映画「マヤの秘密」


 第二次大戦中、ナチスの兵士に強姦された女性が15年後に復讐を果たす。一言でいえばそんな物語だが、観おわって心にしこりが残る。これは何だろう。
 最終的に元兵士は命を奪われる。かつての戦争犯罪がそうさせた、と単純に読み切れないものがある。「ナチ」とレッテルを張れば私刑も可能なのか。いま、ネオナチと呼ぶことで他国への侵略を正当化するプーチンのやり口と、それほど違わないことにならないか。収容所への冷酷な運搬人だったアイヒマンでさえ、裁判を経て処刑された。

 米国、おそらく南部と思われる街の郊外。マヤ(ノオミ・ラパス)は医師の夫ルイス(クリス・メッシーナ)と暮らしていた。自宅近くの芝生で息子パトリックと過ごしていて、ある男(ジョエル・キナマン)の犬を呼ぶ指笛に記憶を呼び覚ます。男の顔には見覚えがあった。後を追ったが見失ってしまった。
 男が、ある工場で働いていることを突き止めたマヤは待ち伏せし、すきを見てハンマーで殴りつけトランクに押し込んだ。人目につかない場所で殺害するつもりだったが、命乞いされ決断できなかった。
 男を車に乗せたまま自宅に戻ったマヤは、ルイスに自分の過去を明かした…。
 彼女の一家はロマ民族【注】で、ナチの絶滅収容所に入れられていた。妹と脱走を図ったがナチの兵士に見つかり、強姦の末、妹を含む仲間たちは射殺された。マヤは死体と誤認され、生きのびた。

 自宅地下に監禁した男をめぐり、マヤとルイスの葛藤が始まった。男はスイスで暮らしていたといい、戦争の経験はないという。ルイスは男の言葉を信じるが、マヤは男の顔を忘れるはずはない、という。真実はどこにあるのか。最後に男は本当のことをしゃべるのか。

 こうしてみると、ドラマの軸足は心理サスペンスにあり、ナチの戦争責任の話は舞台装置にすぎない。そうした見方をしないと、出口がなくなりそうだ。
 2020年、アメリカ。監督ユヴァル・アドラー。

【注】アウシュビッツ収容所には一枚のプレートがある。“We Must Free The German Nation of PolesRussiansJews and Gypsiez”。書いたのはナチスドイツで法相を務めたOTTO THIERACKGypsiez(ジプシー)は差別的言語とされ、現在ではロマ民族を使う。この作品でも、監禁された男にマヤが「(あの時のように)ツィゴイネル・フォッツェ(ジプシーの売女)と言ってみろ」というシーンがある。ツィゴイネル(Zigeuner)はジプシーのドイツ語。


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物語の落としどころはそこなのか~映画「流浪の月」 [映画時評]

物語の落としどころはそこなのか~映画「流浪の月」


 物語は、二つの糸からできている。一本は、予期しないまま犯罪の当事者とされ、刑期を終えた後もSNSで好奇の視線にさらされ続けている、原作の言葉でいえば「デジタル・タトゥー」の問題。もう一本は、犯罪者とされた男の、肉体上の問題。社会的(公的)問題と個人的(私的)問題と言い換えることができる。二つの要因は折り重なって、物語の主人公である男女を社会的に疎外していく、つまり「流浪の月」を眺めることになる-そんなお話である。

 家内更紗(広瀬すず)はファミレスで働きながら中瀬亮(横浜流星)と暮らしていた。同僚の女性に誘われ、飲み会の帰りにあるカフェに立ち寄った。物静かで細身のマスターがいた。更紗には、それがだれかすぐにわかった。
 15年前。更紗は少女期に父の病死、母の出奔という家庭崩壊を経て伯父と叔母に引き取られたが、その息子から性的虐待を受け、孤独な日々を送った。ある日、雨の公園のベンチに座っていると、いつも見かける大学生らしい男・佐伯文(松坂桃李)に傘をさしかけられた。それまで会話らしきものはなかったが、通じるものを感じて更紗は文のアパートに向かった。
 二人は数日(数カ月?)をアパートの一室で過ごした後、たまたま外出した先で文は逮捕、更紗は保護された。少女不明事件として捜査が行われていた。二人の間には犯罪を構成する要素はなかったが、世間はそうは見なかった。ロリコン大学生による誘拐事件。これが、二人に押した烙印だった。刑期を終えた後も、好奇心に満ちた事件の続報がSNSで流れた。
 文とのつながり(性的な意味でなく)を忘れられない更紗は、たびたびカフェに通った。微妙な変化に気づいた亮は、カフェと文の存在を突き止めた。亮は更紗との結婚を望んだが、更紗は後戻りできなかった。更紗と文、亮、文を慕う女性・谷あゆみ(多部未華子)の間で、葛藤が始まる。亮とあゆみは去り、文と更紗だけが残った。そして文は、自分の肉体上の問題について告白をする。

 ラストに近いこのシーン(原作にはない)が、作品の評価を分けるのではないか。原作では、個人的な問題を公的レベルで回収するという作業が多少行われているが、映画ではあくまで個人の肉体上の問題はそのレベルの問題、という処理がされている。原作にある「赤い糸より存在のきずなが優先する」ことが、映画では明確でない。物語の落としどころはそこなの? という違和感である。抑制のきいた、緩急をわきまえたオーソドックスなつくりだけに、その感がする。
 少し言い方を変えてみる。
 文の問題は、自身で超えられない問題として映画では描かれるが、本当にそうだろうか。超えるべき問題として道筋を描かなければ、新たな普遍(多様性の認識)にたどり着くことはできないのではないか。そうでないと、この映画(原作も含め)で描かれたことは、所詮は個人の問題に収斂することになりはしないか。

 話は飛ぶが、昨今の映画では、かつての松本清張(「砂の器」)や水上勉(「飢餓海峡」)のような「大きな物語」がなくなり「小さな物語」が横行しているように思う。「流浪の月」も、SNSの問題を取り上げながら最終着地点が大きな物語に回収されていない、といううらみがある。原作、映画とも惜しい一作。
 2022年、監督・李相日、原作・凪良ゆう。


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流浪の月 (創元文芸文庫)

流浪の月 (創元文芸文庫)

  • 作者: 凪良 ゆう
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2022/02/26
  • メディア: Kindle版



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連続殺人の男が放つ闇~映画「死刑にいたる病」 [映画時評]

連続殺人の男が放つ闇~映画「死刑にいたる病」


 連続殺人で死刑判決を受けた男が、拘置所から発する不思議なメッセージ。深い沼のような世界が広がる。アンソニー・ホプキンスとジョディ・フォスターの「羊たちの沈黙」を思わせるサイコスリラーだ。

 祖母の葬儀で帰郷した筧井雅也(岡田健史)は三流大の法学部の学生だ。教育熱心な父親を持ち進学校に入ったが、大学受験は失敗した。彼に一通の手紙が届いていた。子供のころ通ったベーカリーの店主・榛村大和(阿部サダヲ)からだった。残忍な手口で24人を殺害したとされ、死刑判決を受けていた。頼みたいことがあるという。
 雅也は拘置所の榛村を訪ねた。「冤罪をはらしてほしい」という。世間で報道された24件のうち、立件されたのは9件。ほかは証拠不十分で不起訴となった。9件のうち1件は自分ではないという。
 雅也は裁判を担当した弁護士事務所を訪れ、公判資料を見た。確かに9件のうち1件は明らかに違っていた。8件は被害者が10代後半で手足の爪がはぎとられるという特異性を持っていたが、この1件は24歳の女性で爪はすべてそろっていた。被害者は根津かおる(佐藤玲)といった。
 有罪の決め手となったのは、金山一輝(岩田剛典)の目撃証言だった。公判記録では、証言は遮蔽措置が取られたうえでなされていた。証人と被告のあいだに心理的なトラブルがあったことを物語っていた。
 祖母の遺品を整理するうち、古い写真が出てきた。母の衿子(中山美穂)が写っていた。ある人権活動家のボランティア集団らしかった。そこには榛村もいた。当時を知る人から、事情が分かってきた。榛村と衿子は両親の虐待にさらされ、引き取られていたのだ。そのころ衿子には妊娠の事実があったことも。父親は? 榛村だとすると、彼は自分の父親ということになる。雅也の心は揺れた。

 心に闇を持つ榛村はこのころ、いじめの対象を子供たちに向けていた。それが金山と彼の弟だった。公園に連れて行き、互いを傷つける「イタイ遊び」を強いていた。それが金山のトラウマとなっていた。榛村はそのことを利用し、偶然を装って金山にイタイ遊びの標的として根津を指名させたのだった。
 雅也は中学時代の同級生・加納灯里(宮崎優)と学内で出会い、深い仲になるが、そのとき灯里は謎めいた言葉を発する。「好きな人の一部を持っていたい気持ち、雅也も分かるよね」と。その直前、雅也は榛村と対話するが、そこで象徴的なシーンがある。面会室に現れた榛村の姿がガラスに映り、雅也の姿とかぶさった。榛村が雅也に憑依したかのように。榛村の発した闇、あるいは「死刑にいたる病」は、雅也と灯里のどちらに(あるいは二人に)乗り移ったのだろうか。

 2022年製作。監督・白石和彌、原作櫛木理宇。阿部サダヲは知能の高い殺人鬼の心理のアヤに踏み込み、いつもながら怪演。


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日常の「怖さ」を描いて身につまされる~映画「英雄の証明」 [映画時評]

日常の「怖さ」を描いて身につまされる
~映画「英雄の証明」


  身につまされる話である。マスコミとSNSによって「善行」が世に広まり、いったんは英雄に祭り上げられるが、長くは続かない。「フェイクでは」との疑念が広まり、地獄へ叩き落される。私たちの身近で起こりそうな「怖い」話を映像にしたのは、イランの名匠アスガー・ファルハディ監督。

 ラヒム・ソルタニ(アミル・ジャルディ)は借りた金を返せず、刑務所にいる(説明はないが、おそらく詐欺罪)。休暇(刑期中に休暇があるとは。イラン独自の制度だろうか)で、借金返済の手立てを考えようとしていた。そんな折り、婚約者のファルコンデ(サハル・ゴルデュースト)が、バス停で金貨入りのカバンを拾ったという。質屋で鑑定してもらうと7000万トマン(日本円で210万円)ほどだという。いったんは借金(総額1億5000万トマン、日本円で450万円)の一部に充てようとするが、思い直してカバンの落とし主を探すことにした。
 カバンを拾ったあたりに張り紙をして連絡先は刑務所にした。女性から電話があり、カバンの中身などを確かめたうえで姉のリタに仲介してもらい、カバンは女性に戻った。
 連絡先を刑務所にしていたことでこの話は刑務所側の知るところとなり、イメージアップにと「美談」はマスコミに伝えられた。ストーリーをシンプルにするため拾い主はソルタニ自身とされた。莫大な借金を抱えていながら金貨をネコババせず、持ち主に返した正直者。伝え聞いたチャリティ協会がソルタニのため寄付を募り、就職先を斡旋するものまで現れた。寄付金で一部返済し、残りは働いて返すという計画を借主に示せば示談の道も開けるのではないか。そうなれば刑期を短縮できる…。

 ここから話は暗転する。就職先を訪れたソルタニは、人事担当者から金貨を返済したという証明を求められる。しかし、その女性と直接会ってはいない。かかってきた電話も本人のものではなく、露店の電話だった。SNSでは、借金を帳消しにするためのでっちあげでは、とするコメントが溢れた。ファルコンデをカバンの落とし主に仕立てて窮地を脱しようとするが、嘘はすぐばれてしまった。そうなると、すべてが信用されない事態になった。噂の出どころは別れた妻ではないかと疑ったソルタニは元妻のところへ向かう。そこにはカネの貸主である元妻の兄もいた。ののしり合いの末、つかみ合いのケンカとなり、その模様は動画に記録されSNSで流された。万事休すである。

 刑務所へ戻っていくソルタニ。入れ替わりに出ていく男がいた。表では出迎えの女性が一人。開け放しのドアの向こう、長方形のフレームの中の二人の動きが喜びを伝えていた。塀の内側、薄暗い片隅でうなだれるソルタニ。明暗が、ドラマの意味を余すところなく伝える。全編、緻密なせりふ回して作られた秀作。
 2021年、イラン・フランス合作。

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思考を理解するための「六つのペルソナ」~濫読日記 [濫読日記]

思考を理解するための「六つのペルソナ」~濫読日記


「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」(フィオナ・ヒル、クリフォード・G・ガディ著)


 「プーチンの戦争」が止まらない。そもそも、なぜ戦争を始めたのかも明確ではない。安全保障上の理由ともいい、ロシア民族の統一国家を目指すともいう。あるときは軍事戦略家であり、あるときは超保守的な民族主義者である。複数の仮面を持ち、西側世界とは交わることがないように見える世界はどこから来てどこへ向かうのか。その問いの答えの一つともいえるのが「プーチンの世界 『皇帝』になった工作員」である。著者の二人は、米国のリベラル系シンクタンク、ブルッキングス研究所のスタッフである。

 二つの章からなる。第1章は、ソ連崩壊から大統領就任までの足取りと、その間に築いた独自のシステム。その二つから見えるプーチンの特徴的な六つのキャラクターを取り上げた。第2章は、描かれたプーチンの思想的なアウトラインに基づいたケーススタディ。大まかに言えばこうした構成である。
 内容を細かくは取り上げないが、印象に残ったことをいくつか。ロシア史を見る時、我々は近代の帝政時代、革命以後のソ連、ソ連崩壊後のロシアをそれぞれ別の国としてとらえるが、プーチンは三つを串刺しにして「ロシア」とみる。ソ連もまた「ロシア」なのである。では「ロシア」とは何か。ロシア史、ロシア語、ロシア正教の三つからなる共同体を指し、ルースキーミール(ロシア世界、322P)と呼ぶ。そこに国境はない。ロシア語の話者を保護する目的で軍事行動を起こすプーチンの行動の論理が見えてくる。
 ベルリンの壁崩壊時に、プーチンが東独ドレスデンにKGB要員として駐在していたことは知られている。大衆の反乱を目撃し、後々まで心理的脅威となった。そうした体験に立脚して何を求めるか、といえば答えは単純ではない。ソ連時代のイデオロギーには無関心だが、東欧諸国を従えた権威には関心がありそうだ。KGB時代の最大の標的はNATOと米国だった。ソ連崩壊後に権力の頂点に立ったプーチンの標的もまたNATOと米国である。
 本書では、プーチンのキャラクターを「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「ケース・オフィサー(工作員)」の六つのペルソナとして紹介する。前半の三つはロシア国民に共通するものとして、後半の三つは個人に属するものとして。
 プーチン自身はロシアの変化を外部から見た。ベルリンの壁からソ連崩壊に至る過程をソ連内部からではなく、東独の人口50万、第三の都市ドレスデンから傍観者として見ていた。そのため、プーチンはゴルバチョフの政策に批判的な立場に立つ。これを「アウトサイダー」の原点とした。「工作者」については、説明の要はないだろう。国内世論へのプロパガンダ、組織内の裏切りに対する容赦ない対応、チェチェンの学校占拠事件にみられる強硬措置。工作者の手法である。
 1999年、大統領になる前年にプーチンはミレニアム・メッセージを発表した。マニフェストである。国家の再建がうたわれた。ソ連崩壊時の屈辱的な体験を踏まえた「大国の復活」が含意である。国家主義者としての顔がある。
 第二次大戦の独ソ戦さ中、レニングラード包囲戦で900日に及ぶ攻防の末、住民150万人が死亡した(多くは餓死)が、プーチンの両親、兄もその中にいた。両親は生きのび兄は亡くなった。「サバイバリスト」としてのペルソナには、そうした体験が含まれる。そのためであろう、プーチンの安全保障システムには必ず戦略的備蓄という概念が含まれる。
 プーチンお気に入りのジョークが紹介されている。人類に愛想をつかした神が、洪水によって全滅させようとした。キリスト教の司祭とイスラム教のイマームは、最期ぐらいはどんちゃん騒ぎをしようと言ったがユダヤ教のラビはこう言ったという。「水中で暮らす術を編み出そう」(393P)―。今のロシアに通じる話である。
 1517世紀、初期のロシア国家は外の世界と限定的な交流を行った。裏付けとなったのがロシア正教会で、西のヨーロッパ人を異端者ととらえた。皇帝は正教会と政治的、精神的な結びつきを持った。

 本書では、プーチンは西側の考え方を「危険なほど」知らないとする(455P)。西側の常識でこう考えるだろう、と想定した思考法をプーチンはとらないというのだ。かつてのロシア正教会がとった限定的交流と西側=異端という思考法が、プーチンの脳内にはあるのだろうか。だとすれば、西側の、ではなくプーチンの論理ではどうなるかを考えて初めてプーチンへの向き合い方が見えてくる。理不尽な侵攻の時点でそこには一片の正義もないが、こうした思考もあながち無駄ではないだろう。
 新潮社、3200円。

プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―


プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/01/27
  • メディア: Kindle版


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