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戦場でジャーナリズムに何ができるか~映画「プライベート・ウォー」 [映画時評]

戦場でジャーナリズムに何ができるか

~映画「プライベート・ウォー」

 

 伝説の戦場記者メリー・コルヴィンを描いた準ドキュメンタリー。メリーを演じるのは「ゴーン・ガール」で注目され、最近、相次いで主役作品が封切られているロザムンド・パイク。監督は「ラッカは静かに虐殺されている」のマシュー・ハイネマン。

 「ラッカは…」はIS(イスラム国)支配下のラッカから、非人道的な支配ぶりを世界に伝えたRBSSの活動を描いた。RBSSは一連の報道で、ISから「処刑宣告」を受けた。この映画で問われたのは、ジャーナリズムは戦場で何ができるか、だった。

 ハイネマンは同じテーマを、メリー・コルヴィン記者の生き様を通して問うた。

 英国紙サンデー・タイムスの米国人記者メリーは特派員として戦場を飛び回っていた。2001年、彼女はスリランカに向かい、タミル・イーラム解放のトラと行動を共にする。戦闘で銃弾の破片を浴び、片目を失ったが帰国後、英国プレス賞の外国人記者賞に輝いた。2003年にはイラク・フセイン政権によってクウェート人が虐殺され多数埋められた、との情報を得てバグダッドに飛び「墓場」を暴き出した。

 彼女が見たものは戦争の残虐さと、巻き込まれて涙する一般市民の哀しみだった。PTSDに苦しみながらも「あなたは戦場を見すぎている」という上司の忠告に耳を貸さず「私が見ているのは、限界を越えて耐えている民間人の勇気だ」「戦争報道で現状を変えられるか」という自問自答の中で、再び戦場へと向かう。

 2009年のアフガンに続いて2011年にはリビアに向かい、カダフィ大佐に容赦ない質問を浴びせる。そして2012年、シリア。激戦地ホムスから民間人2万8000人が包囲されているという「現実」を発信。アサド大統領の「嘘」を暴き、シリア軍の標的にされる。撤退命令を出す上司を無視し、ついにシリア軍機の爆撃によって命を落とす…。

 題名の「プライベート・ウォー」は、なかなかに深い。直接的にはメリー・コルヴィン記者の内面の葛藤=ジャーナリズムに何ができるか=を指していると思うが、広く考えれば、民間人を犠牲にして顧みないオフィシャルな戦争などあるのか、戦争はすべて「私戦」ではないのか、と問うているようだ。

 2019年、英米合作。


RBSS Raqqa is Being Slaughtered Silently(ラッカは静かに虐殺されている)。ラッカの現状を伝えるため、現地の市民らを中心につくられた運動体。情報発信にスマホの動画などが使われた。詳しくは「ラッカは静かに虐殺されている」の項参照。


プライベート・ウォー.jpg

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二人の巨人へのコンパクトなガイダンス~濫読日記 [濫読日記]

二人の巨人へのコンパクトなガイダンス~濫読日記

 

「戦後思想の到達点 柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る」(インタビュー・編 大澤真幸)

 

 柄谷行人と見田宗介。ともに現代思想の巨人であることは間違いない。しかし、そのすそ野の広さゆえに、なかなか頂上を目指す気になれない。柄谷の「世界史の構造」は気になっているがまだ読んでいないし、彼の漱石論も、いまだ手に取っていない。わずかに「坂口安吾論」と「遊動論」を読んだ。前者は文学論としてなんとか読み終えたが、後者は理解が追い付かず、ついに読み切れなかった。見田の「まなざしの地獄」は、社会学者の範疇を超えた仕事だと思う。が、そのほかについては、いまだ未開の地である。

 そうした私にとって、柄谷と見田が、大澤のインタビューによって自己解剖をしたこの書は、格好の、そしてコンパクトな針路図になるに違いない。そんな思いに駆られて手に取った。

 二人へのインタビューの前に、それぞれ「イントロダクション」が付いている。柄谷には「世界史の構造」への、見田には、「価値論」の神髄部分と、近代を総体としてとらえた「気流の鳴る音」へのガイダンスである。これが大変にありがたかった。ともに、ぼんやりとは理解しているのだがなかなか実体としてとらえ切れていなかったものが、より身近に感じられたのだ。

 見えるものは、二人がどのようにマルクスを超えようと格闘したか、である。柄谷は生産様式の変遷ではなく、交換様式の変遷を軸に世界史を構造化したし、見田は近代における価値論を、経済的なそれではなく、質の問題としてとらえた。そこにそれぞれの「マルクスを超える」観点があった。

 柄谷は、「世界史の構造」で、①互酬交換②服従と保護③商品交換―の次に、新しい交歓様式の時代が来るという。それは、①の互酬交換を基礎としながら、さらに②と③をくぐり、止揚したものであるという。つまり、①と④の共通概念は「遊動性」であり、④は①の高度な回帰だという。柄谷はここで、カントのいう「世界共和国」の理念を念頭に置いているようだ。

 見田へのインタビューでは、当然ながら「まなざしの地獄」にも触れている。連続射殺事件を起こした永山則夫を取り上げたが、従来、永山は貧困、差別、疎外、階級的視点というサイクルの中でとらえられてきた。見田はこれに対して「人生のひしめき」としての社会、という概念を持ち込み永山という人間を描き直した、という。見田は「価値の四象限」(価値意識の理論)を考察する中で、美・真・幸福・善を究極の価値としたが、その反転として永山事件を考察、社会における実存とは何か、を追究したのである。

 このほか、この書には広大な知的フィールドの広がりが感じられる。行ってみる価値はありそうだ。このおぼつかない足取りではどこまで行けるか、分からないが。

 NHK出版、1300円(税別)。


戦後思想の到達点: 柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る (シリーズ・戦後思想のエッセンス)

戦後思想の到達点: 柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る (シリーズ・戦後思想のエッセンス)

  • 作者: 柄谷 行人
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2019/11/25
  • メディア: 単行本

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