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終わりなき闘い~映画「水俣曼荼羅」 [映画時評]

終わりなき闘い~映画「水俣曼荼羅」


 1950年代、熊本・水俣湾で原因不明の奇病が発生。59年に熊本大医学部が新日窒(現チッソ)排出の有機水銀中毒とする説を発表した。政府が公害病と認定するまで10年を要した。日本の高度経済成長の負の部分を象徴する水俣病である。
 住民と患者の闘いを「苦海浄土」として世に遺した石牟礼道子は<銭は一銭もいらん、そのかわり会社のえらか衆の上から順々に有機水銀ば呑んでもらおう>と同態復讐を説き、「怨」の旗がチッソを囲んだ。
 補償や患者認定をめぐって国・県・チッソを相手取り各地で訴訟が行われたが、和解の動きが強まり関西訴訟のみが継続された。95年には「水俣病問題は解決済み」と村山富市首相談話が出された。大阪高裁は認定基準を末梢神経でなく大脳皮質損傷説を取り入れるなど患者勝訴の判決を出し2004年、最高裁も支持した。水俣病をめぐる闘いは終わった…かに見えた。

 闘いは終わってはいなかった。ここから原一男監督の「水俣曼荼羅」(372分)は始まる。
 水俣病が大脳皮質損傷によると認定されたことで、患者の病理が体系的に説明可能になった。後頭葉の機能が失われた場合、見る・聞く・理解するなどの能力が低下する。コミュニケーション機能がなくなるのである。患者は外部と遮断される感覚に陥る。イライラ感を募らせる。外部から見れば怒りっぽくなる。水俣病患者が自立が難しい、とされるのはこうしたことからだ。
 患者認定や行政の救済策は、患者がいる限り、続くのである。

 第1部「病像論を糾す」▽第2部「時の堆積」▽第3部「悶え神」から成る。法廷闘争、行政との対決のほか、坂本しのぶさんら3人の患者が登場する。いずれも自立への夢を語るが、かなわない。第3部では石牟礼道子が「『怨』の闘いは終わってもいい」と語り「それでも恨みを持つものは救われるのか」という原監督の問いに「悶え神が見守っている」と答える。
 2020年、原監督が「20年かけた」ドキュメンタリーの大長編。「苦海浄土」といい6時間余のこの作品といい、水俣病をめぐる記録は通常の時間軸では描けない何かがあるのだろうか…。


水俣曼荼羅.jpg


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