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苦難の末にかちとった独立~濫読日記 [濫読日記]

苦難の末にかちとった独立~濫読日記


「物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国」(黒田祐次著)


 ウクライナがロシアの軍事的脅威にさらされている。なぜロシアはウクライナに執着するのか。それは単に地政学上の理由によるものなのか。そんなことを考えるにあたり、我々はウクライナの歴史や文化をあまりに知らないことに気づかされる。
 そこで、参考書をあたった。国内で手に入る著書は意外に少ない。そんな中で「物語 ウクライナの歴史」は手軽であるうえに内容の濃い一冊と思われた。著者は元外交官で、駐ウクライナ大使などを務めた。

 紀元前の遊牧民、スキタイ人の登場から10世紀ごろのキエフ・ルーシの建国に至るまでが前史にあたる。このころは公国と呼ばれた。モスクワ公国がその後、勢いを増し「ルーシ」をラテン語読みした「ロシア」を名乗った。そのため「ルーシ」は紛らわしさを避けるため「キエフ・ルーシ」と表記したという。もともと本家は「ルーシ」にあったのだ。やがてモンゴルの来襲によってキエフ・ルーシは解体の道をたどった。
 その後の歴史を見るとポーランド、ロシア、オーストリアの支配と干渉を受け、大国のはざまのブラックホールのような存在になる。その中で独立不羈の民コサックが草原を駆け巡った。
 ロシア帝国下のウクライナで、革命の進行とともに独立の機運が高まった。つくられたのが「中央ラーダ」だった。ラーダはウクライナ語で「評議会」を意味し、ボリシェビキの「ソヴィエト」にあたる。しかし、ラーダは民族主義的で個人の不可侵などリベラルな思想を持ち、ボリシェビズムと激しく対立した。それでもレーニンの時代には「戦術的柔軟性」の名のもとウクライナ独立は維持された。1917年、ウクライナ国民共和国の創設が宣言された。
 ウクライナをめぐってボリシェビキ軍、ドイツ・オーストリア軍が入り乱れて内戦状態となり、一時はドイツが支配したものの1921年にボリシェビキ軍の完全勝利となった。権力は1927年、スターリンに移行。農業集団化が強制的に進められた。農産物は強権的に徴収され、ウクライナは大飢饉に陥った。1933年にピークを迎えた死者数はウクライナ政府の公式見解で350万人。300万から600万の間とする学者もいるという。スターリンは飢饉の責任をウクライナ共産党にあるとした。
 ソ連全土を襲ったスターリン粛清のあらしはウクライナでも吹き荒れ、ウクライナ共産党員の37%にあたる17万人が犠牲となった。
 1930年代に興味深い動きが見られた。武力で独立を目指したウクライナ民族主義者組織(OUN)が旧満州(中国東北部)で政治、軍事上の接触をしたという。しかし、その後に日本側はロシアの亡命ファシストとの連携を重視、OUNとの連携は中止された。ユーラシア大陸の東西で、一時は反ソ軍事協力が話し合われたのだ。
 ゴルバチョフの進めたグラスノスチ(情報公開)によってスターリン粛清や農業集団化が招いた飢饉の全体像が明らかになり、ウクライナ民族主義の高まりに拍車がかかった。ソ連が崩壊すると、1991年ウクライナは独立した。17世紀、コサックの英雄フメリニツキーがポーランドに戦いを挑んで以来、350年ぶりに実った夢だと著者は書いている。制定された国旗は上が大空を表す青、下が麦畑を表す黄色。ラーダの時代のものを復活させた。ヨーロッパの穀倉と呼ばれるウクライナにふさわしい。
 あらためて独立までの歴史を見れば、四方を海に囲まれた日本に住む我々には想像もつかないほどの苦難に満ちている。
 なお、著者は末尾でウクライナの将来性について述べている。面積はロシアに次ぎヨーロッパ2位、人口はフランスに匹敵する5000万人。世界の黒土地帯の3割を占める農業最適国。鉄鉱石はヨーロッパ最大規模の産地。これに、西欧世界とロシア、アジアを結ぶ交通の要衝。平和のうちに発展させれば「大国」として存在感を発揮する将来性は十分なのだ。しかし、このことを裏返せばロシアが執着する理由にもなる。

 読み終わっての感想を一言。クリミア半島は北東アジアにとっての朝鮮半島、ウクライナはかつての日本にとっての満州にあたる位置にある。あの忌まわしい歴史を繰り返してはならない。日本を含めた世界の、戦禍を避けるための細心の配慮が求められるのではないだろうか。
 中公新書、860円(税別)。


物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

  • 作者: 黒川祐次
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: Kindle版


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