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存在の深部問う骨太作品~映画「さがす」 [映画時評]

存在の深部問う骨太作品~映画「さがす」


 大阪の西成。ある日、父親が失踪した。懸命にさがす娘。手がかりは「指名手配の連続殺人犯見たんや。捕まえたら300万もらえるで」という言葉だった。父親はなぜ消えたのか。娘は足跡を追いながら、行動の古層を掘り起こしていった。ある男の存在が浮かび上がった。
 二つの猟奇的事件をベースに、父と娘とある男の葛藤が紡ぎだす人間存在の深部。生きることの尊厳とは、命とは、正義とは。それらが混沌の中で提示される。ドストエフスキーの世界を思わせる骨太の作品である。

 原田智(佐藤二朗)は気のいいオッサンだった。中学生の娘・楓(伊東蒼)はその分、しっかり者だった。ある日、気になる一言を残して智はいなくなった。楓は警察に相談するがらちはあかない。仕方なくひとりで追ううち、ある工事現場で父親と同姓同名の男に出会った。連続殺人犯として報道されていた男にうり二つだった。
 なぜこの男・山内照巳(清水尋也)は、父親の名を名乗ったのか。過去にさかのぼるにつれ、男と父の結びつきが明らかになる。智には結婚して15年の妻がいた。ALSに侵され、苦悩の日々を送っていた。見かねた智は楽にしてやろうとするが…。そこに現れたのが「嘱託殺人請け負います」という男だった。こうして二人は共犯関係になった。
 ナイフのような冷たい視線を持つ男は、殺人に病的な嗜好性を持っていた。ネットを使って自殺願望の若い女性とつながり、凶行を重ねた。智も行動を共にするが、やがて男の行動を許せなくなった。
 連続殺人を犯した男は離島に身を隠し、西成にひそんだ。この辺りは英国人女性を殺害、逃亡した千葉・市川の事件を思わせる。そして嘱託殺人の名のもとに多くの女性を手にかける。このあたりは神奈川・座間の事件をほうふつとさせる。
 父親は最後、娘のもとに帰ってくる。娘はつぶやく。「お父ちゃん、何者か知ってる。やっと見つけた」。そして声にならない声で「人を殺したらあかんで」。遠くでサイレンの音が聞こえる。

 佐藤二朗はコミカルな演技を封印。不器用かつ素朴な人間を演じた。伊東蒼は前作「空白」で冒頭死ぬだけの役回りだったが、今回は全開の感がある。清水尋也は冷血動物のような視線が印象的。この3人が、体温さえ違うのではないかというほど際立った個性を見せる。現在、3カ月前、13カ月前の三つの時間軸で描かれたストーリーは、古層が一枚ずつはがれるように、真相へと迫っていく。
 2022年、片山慎三監督。力技が光る。

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苦難の末にかちとった独立~濫読日記 [濫読日記]

苦難の末にかちとった独立~濫読日記


「物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国」(黒田祐次著)


 ウクライナがロシアの軍事的脅威にさらされている。なぜロシアはウクライナに執着するのか。それは単に地政学上の理由によるものなのか。そんなことを考えるにあたり、我々はウクライナの歴史や文化をあまりに知らないことに気づかされる。
 そこで、参考書をあたった。国内で手に入る著書は意外に少ない。そんな中で「物語 ウクライナの歴史」は手軽であるうえに内容の濃い一冊と思われた。著者は元外交官で、駐ウクライナ大使などを務めた。

 紀元前の遊牧民、スキタイ人の登場から10世紀ごろのキエフ・ルーシの建国に至るまでが前史にあたる。このころは公国と呼ばれた。モスクワ公国がその後、勢いを増し「ルーシ」をラテン語読みした「ロシア」を名乗った。そのため「ルーシ」は紛らわしさを避けるため「キエフ・ルーシ」と表記したという。もともと本家は「ルーシ」にあったのだ。やがてモンゴルの来襲によってキエフ・ルーシは解体の道をたどった。
 その後の歴史を見るとポーランド、ロシア、オーストリアの支配と干渉を受け、大国のはざまのブラックホールのような存在になる。その中で独立不羈の民コサックが草原を駆け巡った。
 ロシア帝国下のウクライナで、革命の進行とともに独立の機運が高まった。つくられたのが「中央ラーダ」だった。ラーダはウクライナ語で「評議会」を意味し、ボリシェビキの「ソヴィエト」にあたる。しかし、ラーダは民族主義的で個人の不可侵などリベラルな思想を持ち、ボリシェビズムと激しく対立した。それでもレーニンの時代には「戦術的柔軟性」の名のもとウクライナ独立は維持された。1917年、ウクライナ国民共和国の創設が宣言された。
 ウクライナをめぐってボリシェビキ軍、ドイツ・オーストリア軍が入り乱れて内戦状態となり、一時はドイツが支配したものの1921年にボリシェビキ軍の完全勝利となった。権力は1927年、スターリンに移行。農業集団化が強制的に進められた。農産物は強権的に徴収され、ウクライナは大飢饉に陥った。1933年にピークを迎えた死者数はウクライナ政府の公式見解で350万人。300万から600万の間とする学者もいるという。スターリンは飢饉の責任をウクライナ共産党にあるとした。
 ソ連全土を襲ったスターリン粛清のあらしはウクライナでも吹き荒れ、ウクライナ共産党員の37%にあたる17万人が犠牲となった。
 1930年代に興味深い動きが見られた。武力で独立を目指したウクライナ民族主義者組織(OUN)が旧満州(中国東北部)で政治、軍事上の接触をしたという。しかし、その後に日本側はロシアの亡命ファシストとの連携を重視、OUNとの連携は中止された。ユーラシア大陸の東西で、一時は反ソ軍事協力が話し合われたのだ。
 ゴルバチョフの進めたグラスノスチ(情報公開)によってスターリン粛清や農業集団化が招いた飢饉の全体像が明らかになり、ウクライナ民族主義の高まりに拍車がかかった。ソ連が崩壊すると、1991年ウクライナは独立した。17世紀、コサックの英雄フメリニツキーがポーランドに戦いを挑んで以来、350年ぶりに実った夢だと著者は書いている。制定された国旗は上が大空を表す青、下が麦畑を表す黄色。ラーダの時代のものを復活させた。ヨーロッパの穀倉と呼ばれるウクライナにふさわしい。
 あらためて独立までの歴史を見れば、四方を海に囲まれた日本に住む我々には想像もつかないほどの苦難に満ちている。
 なお、著者は末尾でウクライナの将来性について述べている。面積はロシアに次ぎヨーロッパ2位、人口はフランスに匹敵する5000万人。世界の黒土地帯の3割を占める農業最適国。鉄鉱石はヨーロッパ最大規模の産地。これに、西欧世界とロシア、アジアを結ぶ交通の要衝。平和のうちに発展させれば「大国」として存在感を発揮する将来性は十分なのだ。しかし、このことを裏返せばロシアが執着する理由にもなる。

 読み終わっての感想を一言。クリミア半島は北東アジアにとっての朝鮮半島、ウクライナはかつての日本にとっての満州にあたる位置にある。あの忌まわしい歴史を繰り返してはならない。日本を含めた世界の、戦禍を避けるための細心の配慮が求められるのではないだろうか。
 中公新書、860円(税別)。


物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

  • 作者: 黒川祐次
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: Kindle版


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問題提起はあるが…~映画「由宇子の天秤」 [映画時評]

問題提起はあるが…~映画「由宇子の天秤」


 あるテレビドキュメンタリー制作者の眼を通した事実と真実。真実の追求に情熱を傾けるが、新たな事実の登場によって裏切られる。それでも真実を追うことは、人々を不幸にするだけかもしれない。そんなとき、真実を追う意味とは。そんなことを考えさせる。意欲的な問題提起はあるが、全体に舌足らずであったり、消化不良であったりするため分かりにくさが付きまとう。

 木下由宇子(瀧内公美)はテレビ局の下請け制作会社のディレクターをしていた。追っているのは、教師と女子高生の自殺事件だった。二人はメディアによって関係が社会にさらされ命を絶った。由宇子は教師が無実との情報を得て二人の遺族にあたり、ドキュメンタリー番組に仕上げようとしていた。
 由宇子の周辺でもう一つ「事件」が持ち上がった。父(光石研)が経営する学習塾の生徒・小畑萌(河合優実)が妊娠した。彼女から「(由宇子の)父の子」と告げられた由宇子は父親を問い詰め、事実だと確信する。このことが社会に知られることの影響の大きさにたじろいだ由宇子は、いったんは事実を隠すことに奔走する。
 ドキュメンタリー制作は大詰めを迎えたが、テレビ局の反応は良くなかった。メディア批判につながるからだ。そうしたとき、自殺した教師の母親が証言を翻した。事件の発端は、教師によるレイプだった。「事実誤認があった」と由宇子は報告、放映は中止された。一方、男友達の証言で、妊娠した萌には売春という裏の顔が明らかになった。
 しかし、二つの新事実は由宇子の胸にしまい込まれ、公にされることはなかった。

 この結末は何を語っているのか。二つの新事実は、明らかに当事者を不幸にする。だから、公表されなかったのか。それなら、由宇子が掲げた「真実の追求」とはなんだったのか。「事件の真相を追う」理由で他人のプライバシーをのぞき込んだドキュメンタリー制作者が身内の「事件」に際し「失うものが大きすぎる」と、いったん公表を渋ったことの功罪は問われないのか。そんなことを考えさせる。
 ただ、決定的に弱いのは、そうした塀の上を歩くような極限の判断を迫られた由宇子の心理的な葛藤がほとんど見えない(描かれない)ことだ。そのためタイトルの「天秤」が重みを持たず、ひとりよがりの印象さえある。
 2020年、監督・脚本・編集は春本雄二郎。


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市井の情を濃やかに~映画「殺すな」 [映画時評]

市井の情を濃やかに~映画「殺すな」


 藤沢周平「橋ものがたり」所収の一編を映像化した。海坂藩を舞台にした作品群とは一味違う「市井もの」である。裏長屋にひっそり暮らす人々の愛憎もようを濃やかに描いた。

 吉蔵(柄本祐)は船宿を営む大店・玉木屋に雇われていたが、若女将のお峯(安藤サクラ)と懇ろになり駆け落ちした。以来、隠れるように暮らしてきた。お峯は退屈な暮らしぶりに虚しさを覚え始め、たまには川向こうに出掛けて買い物でもしたい、と漏らすようになっていた。
 船頭で生計を立てていた吉蔵はこうしたお峯を見て、内職の筆づくりで糊口をしのぐ同じ長屋の浪人、小谷善左エ門(中村梅雀)にお峯が橋を渡らぬよう監視を頼んだ。
 善左エ門には、苦い過去があった。ある日お峯に問われ、妻はいたが私が斬ったのだと答えた。不義密通の噂が立ち、疑念が晴れないままある橋の上で斬ったのだった。
 船頭の仕事にいそしむ吉蔵は、ある日お峯の主人・利兵衛(本田博太郎)と出会った。さんざん責められた吉蔵はそれでも口を割らず、かえってお峯への思いを強くした…。

 一方、お峯はひっそりと、かつての大店に戻ることを決意していた。長屋を出ていったことに気づき後を追う吉蔵と、それを追う善左エ門。善左エ門には、いとしいと思うあまり激高して妻を手にかけた自分の行為を今も悔いていた。そのため、思わず吉蔵の背中に声をかけた。「いとしいと思うなら、殺してはならぬ」
 監督は、この1月に亡くなった井上昭。遺作となった。

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商業主義にまみれた美術界~濫読日記 [濫読日記]

商業主義にまみれた美術界~濫読日記


「最後のダ・ヴィンチの真実」(ベン・ルイス著、上杉隼人訳)

 2017年のクリスティーズの競売でレオナルド・ダ・ヴィンチの作とされる1枚の絵画に4億5000万㌦という空前の落札価格がついた。1500年代初めに描かれたとみられる絵画は、なぜ近年になって注目されたのか。この500年間、誰がどのように保管していたのか。そして最大の謎は、真贋も来歴もあやしいこの絵に、誰が日本円で510億円という巨額の資金を投じたのか。そのへんのミステリー小説をしのぐミステリーに挑んだノンフィクションが「最後のダ・ヴィンチの真実」である。
 見えてくるのは美術界の腐敗ぶりと、背後にうごめくアラブの富豪、ロシアの新興実業家、オフショアネットワークの欲望にまみれた姿だ。

 らせん階段を上るように
 「サルバトール・ムンディ」と題した、キリストの上半身を描いた絵。右手は2本の指が伸ばされ、祈りのかたちをしている。左手は、おそらく地球を表す透明の珠を持っている(これは、地動説に通じる思想である。ガリレオが「それでも地球は動く」と言ったのは17世紀。その点でも興味深い)。金色の帯と青いローブを着用し、表情は穏やかで顔はややぼかされている。「モナ・リザ」と同じスフマート技法である。
 来歴について決定的な証拠はないが、仏国王の依頼で描かれ、王女がイングランド王チャールズ1世に嫁ぐとき持参。以来英国王室が保持していたが、内乱のあおりで行方知れずとなった。ただ、あくまで一つの説である。そして18世紀半ばから1900年までは明らかに消息不明であった。その後、英国や米国の実業家の手に渡ったとされる。
 絵はフランス革命とナポレオンの時代、英国の内戦の時代をくぐってきた。この間、「ダ・ヴィンチ作」と認識されていたかもあやしい。そのため、ひどく傷んでいた。
 2005年、ロバート・サイモンとアレックス・パリッシュというニューヨークの美術商がニューオーリンズの競売でこの絵を手に入れたところから、一つのストーリーが動き出す。1175㌦だった。損傷を隠すため大幅に塗り直されていた。サイモンはダ・ヴィンチ研究で知られたオックスフォード大のマーティン・ケンプに鑑定を依頼。ケンプは見たとたん「ダ・ヴィンチの魔法だ」と感じた。
 彼らは勝負に出た。ロンドンのナショナル・ギャラリーに世界の専門家を集め、鑑定してもらおうと計画した。しかし、明確な見解が出ないままナショナル・ギャラリーのダ・ヴィンチ展で公開。企画したキュレーターはダ・ヴィンチ作と明記した。新しいレオナルドの出現は反響を呼んだ。
 絵はロシアの富豪を経てらせん階段を上るように注目を集め、2017年のクリスティーズの競売の場面に至る。買い手はサウジの皇太子だった。UAEにオープンしたルーヴル・アブダビに展示されることが明らかになり、両者の連携がみてとれた。結局アブダビでは公開されず、提携関係にあったパリのルーヴル美術館の「ダ・ヴィンチ没後500周年大回顧展」での出展も予告されたが、実現しなかった。

 「巨匠の作」にこだわるべきか
 「サルバトール・ムンディ」をめぐる一連の動きについては、ドキュメンタリー映画「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」(フランス、アントワーヌ・ヴィトキーヌ監督)が公開された。ほぼ同じ内容だが、一点だけ新事実が盛り込んであった。ルーヴル美術館が大回顧展の前に科学的な鑑定を行った結果「ダ・ヴィンチが貢献した作品」との結論を得たという。工房で描かれ、ダ・ヴィンチが後から筆を入れたという解釈である。こうした鑑定を行ったこと自体、ルーヴル美術館は公式には認めていないという。鑑定結果が事実であれば、4億5000万㌦も出した現保有者は絵の価値が大幅に下がるリスクを冒してまで出展に応じないのでは、という推測が成り立つ。この点は「最後のダ・ヴィンチの真実」でも触れている(「日本の読者の皆さんへ」)。
 さらにベン・ルイスはこう主張する。

 ――これがもしもレオナルドと工房によるものであれば、工房のもっとも質の高い作品のひとつである。掲げられた手、髪、衣装の刺繍でそうだとわかる。(略)ロバート・サイモンの「サルバトール」には、もっとも広く多くの人に知られているレオナルドの作風がいちばん美しく表現されている。その典型例ではなく、最高例だ。

 著者はこのあと、1500年代に入ってすぐに中世とも現代ともつかないまったく新しいイメージを構築した、と述べている。絵はロックフェラーセンターの競売場で、ルネッサンスの巨匠の作としてではなく、現代アートのカテゴリーで競売にかけられた。ケンプはこの絵に「感じるものがある」と述べている。こうした一種のオーラを感じた人たちは、ほかにもいた。ダ・ヴィンチ作かダ・ヴィンチと工房の作かは、小さなことにも思える。「署名」にこだわることで、法外な値がついたのだ。この現代美術の商業主義ぶりを、ダ・ヴィンチ自身はどう見ているだろうか。
 集英社インターナショナル、3200円(税別)。

最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望 (集英社インターナショナル)

最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望 (集英社インターナショナル)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2021/02/26
  • メディア: Kindle版

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