「原爆」めぐり揺れるアメリカ~映画「リッチランド」 [映画時評]
「原爆」めぐり揺れるアメリカ~映画「リッチランド」
広島、長崎への原爆投下が第二次大戦の終わりを早め、戦死者の増大を防いだ。こんな神話が、長く米国世論に支持された。手元に資料がなく記憶に頼るしかないが、1950年代の世論調査で神話の支持者は7~8割に達していたとある新聞が報じていた。さすがに現在は5割を切るという。20年ほど前にワシントンのスミソニアン博物館で、広島への原爆投下に使われたB29爆撃機「エノラ・ゲイ」を見た。磨き上げられ輝くジュラルミンの機体が展示場の中央に置かれ、歴史資料というより米国の誇りを象徴する存在に見えた。
長崎で被爆した永井隆は、直後に敵機が撒いたビラを見て率直な感想を残した。
――あっ、原子爆弾!(略)原子爆弾の完成!日本は敗れた!(略)ついにこの困難な研究を完成したのであったか。科学の勝利、祖国の敗北。物理学者の歓喜、日本人の悲嘆。(略)=「長崎の鐘」(アルバ文庫、71P)
原子爆弾の開発は科学力の競争の結果であり、先を越された日本は敗北必至だ、そういっている。これを米国の側から見れば、科学が生んだ新しいエネルギーは戦争の形を変え、作戦に使われた爆撃機も、国の新しい誇りである―となる。
しかし、時が過ぎて狂熱が冷めると、きのこ雲の下で亡くなった人たち(多くは非戦闘員)は、科学の進歩のための礎というだけで済まされるのか、という疑念がわいてくる。
こうした時代の流れに翻弄されてきた米国の小さな町がある。ワシントン州南部、リッチランド。マンハッタン計画に沿ってネイティブアメリカンの土地を収奪、核物質生産のための施設ハンフォード・サイト建設(1942年)に伴い、そこで働く人々のために砂漠地帯に出現した。最も多い時で人口6万人。サイトで生産されたプルトニウムが長崎原爆に使用された。現在は国立歴史公園になっている。
住民は、高齢者ほど冒頭に挙げた核神話をいまだに信じている。高校の校章はきのこ雲、フットボールチームのトレードマークにはB29が加わり、名前は「リッチランド・ボマーズ」。
この地を広島出身の被爆3世、アーチスト川野ゆきよが訪れ、対話を試みたのを機に製作されたのがこのドキュメンタリーである。対話はなかなか進まない。この時、川野が漏らしたのは、この場で有色人種は私だけ、という違和感だった。ネイティブもアジア系もアフリカ系もいない。いるのは白人だけ。この小さな違和感は、原爆の開発と使われ方の根底を成す思想につながっているように思えた。
高校生たちの輪で、町のありようが議論された。若者には、きのこ雲やB29が象徴的に使われることに、ひっかかるものがある。しかし、変えていくことは容易でないことも分かっている。それでもコツコツ説得していくしかないか、というところで議論は終わる。
「核兵器は悪である」と言い切ってしまうのは、ある意味で簡単だ。自明の理だからだ。しかし、このリッチランドでは年代や職業によって自明が自明でなくなる。重層的な視点の必要性を気づかせてくれるドキュメンタリーである。メインビジュアルで使われた「(折りたたむ)ファットマン」は川野ゆきよが、祖母の着物をほどいた布を自らの髪で縫い合わせつくったという。日常空間にあるものを使って核兵器をかたどる、そのことである種のおぞましさが立ち上ってくる。
2023年、米国。監督アイリーン・ルスティック。