一度は再起を目指したが~映画「あんのこと」 [映画時評]
一度は再起を目指したが~映画「あんのこと」
10代から貧困、売春、クスリびたり―といえばビリー・ホリデーを思い出すが、彼女は天賦の才に恵まれジャズ歌手として再起、名を遺した。映画「あんのこと」の香川杏(河合優実)は、寂しい自死を遂げる。貧困、売春、薬物という壮絶な21年の人生を背負って。
杏は覚せい剤で逮捕、取調室で一風変わった警察官・多々羅保(佐藤二朗)と会い、人生が変わる。働き口としてデイ・ケアを、覚せい剤中毒から抜け出すための矯正施設を、それぞれ紹介された。10代から不登校、漢字はろくに読めない。売春は母親に強制され、覚せい剤は身近な組員に勧められた。そうした過去に終止符を打つ日々が始まった。
「コロナ」が足かせになった。デイ・ケア施設は営業不振に陥り、非正規職員を切らざるを得なくなった。杏もその一人だった。もう一つは、多々羅をめぐる事件。覚せい剤事犯で扱った女性に性交渉を迫っていた。多々羅の周辺で日常取材をしていた桐野達樹(稲垣吾郎)に、何者かが垂れ込んだのだ。通話記録など動かぬ証拠をもとに、桐野は記事にした。多々羅は逮捕、杏は再起の精神的支柱を失った。
ある日、母の恵美子(広岡由里子)に見つかってしまい、再び売春を強要される。絶望した杏は再び覚せい剤に手を出した。クスリとの格闘を記録した日記を台所で燃やし、杏はベランダに向かう。
これだけだと、暗く重いストーリーになる。どこかに救いはないか、と思うのが人情。そのためだろうか。監督の入江悠は、後半にエピソードを加えた。隠れ家にしていたマンションの隣人女性(早見あかり)が「1週間預かって」と乳児を渡す。杏は困りながらも奔走しおむつを取り替え、食事を作る。杏の死後、警察から燃え残りの日記を見せられ、女性が感謝する。なぜ唐突に、見知らぬ杏にわが子を預けたか、など奇妙な点はあるが、このエピソードがなければ作品は八方ふさがりに見えるだろう。監督のフィクションらしいが、よかったか悪かったか。言い換えれば「事実は小説より奇なり」ということもある【注1】。
映画の出発点は2020年6月1日付朝日新聞社会面の記事にあるという。事実を裏付ける材料を持たないが、普通に考えれば、記者は2段階で原稿を書いたことになる(念のため言えば、映画は週刊誌記者になっている)。まず、警察官の性加害告発。次に、その記事がもたらした自殺をめぐる記事。2本が一記者の手で書かれたか定かでないが、同じ記者だとすれば、今のメディアも捨てたものではないなと思う【注2】。
2024年製作。
【注1】もともと、事実から出発した映画である以上、構成上の都合からフィクションを入れてしまうことに抵抗感がないわけではない。
【注2】女性の自死を知った記者(桐野)は動揺、拘置所の多々羅(佐藤)と面会し「記事は書くべきではなかったか」と問う。多々羅は「そんなものは分からない」と突き放す。事実を裏付ける証拠があれば、よほどの事情(例えば人権侵害など)がない限り、答えは自明である。そのうえで起きた事柄にどう対処するかは記者自身が考えなければならない。その結果が2番目の記事だったとすれば、記者の誠実さと受け止めることもできる。