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「道行き」の二人を描く~濫読日記 [濫読日記]

「道行き」の二人を描く~濫読日記

「魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二」(米本浩二著)

 「評伝 石牟礼道子 渚に立つひと」を書いた元毎日新聞記者・米本浩二が、石牟礼道子と、彼女に影のように寄り添った渡辺京二を取り上げた。それは、二人の関係にスポットライトを当て拡大しただけかといえば、少し違う。内面への踏み込み、掘り下げが明らかに違っている。端的に言って「評伝 石牟礼道子」は文字通り「評伝」の域を出ないが「魂の邂逅」は文学論、思想論の色彩を濃くしている。それは、米本がなぜこれを世に問うたか、という動機の部分を明確化することにつながっている。

 渡辺は「逝きし世の面影」「評伝 宮崎滔天」などで知られる文筆家でもある。谷川雁を通じてサークル村にいた石牟礼道子と知り合い、以来彼女の才能を認めて編集者の役割を演じた。孤独癖はあるものの天真爛漫な側面を持つ道子と「抜き身の剣のよう」と評される渡辺はなぜ、死が分かつまで連れ添うことになったか。米本はそこを丹念に掘り下げていく。
 章立ては「道子」「京二」「魂」「闘争」「道行き」「訣別」と、全体の構成は分かりやすい。。
 このうち「道子の章」。森崎和江との出会いによって、道子が文学的手がかりを得たことが書き留められている。森崎は「聞き書き」によって、描く対象に成り代わり一人称で語ることを得意とした。「対象の『私』と作者の『私』が交錯し響き合う」「ノンフィクションに見えてフィクションに限りなく近い」―。これは、後に議論になった道子の水俣ルポの手法そのものである。上野英信との交友では、彼の努力で出版化が進む中、「苦海浄土 わが水俣病」への書名変更の際の道子の心境が、彼女の日記から明らかにされている。もともとは「海と空のあいだに」だったが「意味不明」との声が出た。道子は「ユーウツ。イヤダ イヤダ」と記した。「空=天」「海=命」への思いが強かったのだろう。しかし、新タイトルは上野と道子の夫との間で「五分もかからず」決まったという。
 道子が渡辺と出会ったのは1962年の、ある会合でのことだった。彼はこのころ日本読書新聞の記者となり、吉本隆明や橋川文三と出会った。しかし、4、5年でやめ、熊本に戻り同人誌「熊本風土記」を創刊する。目玉に選んだ書き手が道子だった。「海と空のあいだに」の連載が始まった。

 京二の人生は波乱万丈である。京都で弁士の次男として生まれ(そこから「京二」となった)、戦時中は中国・大連。戦後引き揚げ、母の実家がある熊本に住み、共産党に入党。結核で数年間療養後、六全協での武装路線転換を嫌気して離党した。谷川雁と知り合ったのは離党直前の1954年ごろらしい。舌鋒鋭い論客で「カミソリ京二」「抜き身の剣」と評された。ごく普通の女性と結婚したが、周囲は不思議がったようだ。
 二人の出会いを中心にした「魂の章」に面白いエピソードがある。水俣病患者の支援組織を作る際の証言。毎日新聞、熊本日日新聞記者らが結成へ熱弁を振るった。これに対して渡辺は「わずらわしいことはやりたくない」ので「熊本風土記」に水俣問題の特集号を出すことで「勘弁してもらいたい」。米本は、正論には違いないが、この場でいうべきではなかった、と否定的な見解を示す。
 この時の渡辺の考え、実はとても分かる気がする。運動は運動でやればいいが自分はもっと違う地平で闘いたいのだ、といっている。それが、運動は「わずらわしい」という言葉につながったと思う。ここでの報道関係者らの考えは、患者支援=社会正義という閉じられたサイクルだが、渡辺は少し違っていた、ともいえる。ただ、渡辺はその後、道子に後を押されチッソ正門前座り込みを決行した。多少のブレはあった、ということだろう。

 「熊本風土記」の連載を終えても、道子と京二の関係は終わらなかった。その後の二人の関係を、米本は書簡から読み取っている。
――言葉を交わすうち、道子と京二、共に〝破滅〟することは互いの了解事項になった。あなたとなら、いつほろんでもいいのだ、という京二の声を、道子は、正確に聞き取った。
 こうして、二人は「道行き」の関係になった。魂の邂逅を果たし、道子に憑依して渡辺は激烈な闘争文を書いた。「水俣病を告発する会」の設立趣意書。「公害をなくすように、という文言を入れたほうがいい」とする参加者に、渡辺らはこう答えた。(〝公害防止〟などという建前でなく)「うらみを晴らすということにほかならない」。水俣の闘いの方向性が定まった瞬間であった。
 そのことを、道子は道子の言葉でいう。
――銭は一銭もいらん、そのかわり、会社のえらか衆の上から順々に有機水銀ば呑んでもらおう…」(「復讐法の倫理)。
 道子の死後、渡辺のもとには追悼文の依頼が相次いだ。こう答えたという。
――「追悼文?私は身内ですから。身内が書いたらおかしゅうございます」。「夫ですから」とも。居合わせた熊日の女性記者が「すごい」とつぶやいた。

 熱い魂が伝わってくる、なんとも魅力的な一冊である。
 新潮社、1800円(税別)。

魂の邂逅: 石牟礼道子と渡辺京二

魂の邂逅: 石牟礼道子と渡辺京二

  • 作者: 浩二, 米本
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/10/29
  • メディア: 単行本

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消えた原作のスケール感~映画「騙し絵の牙」 [映画時評]

消えた原作のスケール感~映画「騙し絵の牙」


 原作は地方紙の記者経験がある塩田武士。活字文化の長期低落にあえぐ出版業界を舞台に、その生き残り戦略を描いた。
 しかし、映画では、その骨太のプロットが換骨奪胎された。原作は活字メディアの落ち込みに対抗すべく、活字が産み出したキャラクターを映像化し、パチンコ業界やアニメ業界との連携をもくろむという動き(コンテンツのデジタル化が業界再編につながる)を、一人の編集者を通して描いているのだが、そうした戦略的視野は大幅にカットされた。映画は、ある老舗出版社のお家騒動に終始している。
 そのことを象徴するのが冒頭のシーン。文壇の重鎮、二階堂大作の40周年記念パーティーで始まる原作と違って、映画は薫風社の経営トップの葬儀で始まる。このことが、そのまま後のストーリー展開を暗示する。
 薫風社の経営は、創業家の血を引く伊庭惟高(中村倫也)を米国に遠ざけ、営業畑の東松龍司(佐藤浩市)にいったん委ねられる。彼は合理主義者として知られ、速水輝(大泉洋)率いる雑誌「トリニティ」もリストラ=廃刊をにおわされる。東松のライバル、編集畑の常務・宮藤和生(佐野史郎)は、惟高の後見人として存在感を発揮。権力闘争の中、速水はどう生き残るのか…。
 こうした展開に、新人編集者の高田恵(松岡茉優)や、人気モデルで文才を併せ持つ城島咲(池田イライザ)、新人作家の宮沢氷魚(矢代聖)らが絡む。
 で、終わってみれば、結局は一企業の「コップの中のアラシ」以上のものは出てこない。ただの跡目争いである。
 原作が、塩田の問題意識をベースに活字文化のサバイバル戦略を描いているだけに、スケール感のない物語の書きかえは、もったいない感じがいなめない。「牙」プロジェクトなるものが、ただのダジャレの落ちに終わるのも、何をかいわんや、である。「最後の大逆転」という触れ込みも、原作に比べ期待外れ。
 大泉も、こうした展開の中でははまっているとはいいがたい(原作は、大泉をあてがきしたといわれているが)。松岡や二階堂を演じる國村隼は役柄が似合っている。


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騙し絵の牙 (角川文庫)


騙し絵の牙 (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: Kindle版



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過酷な生活を淡々と描く~映画「ミナリ」 [映画時評]

過酷な生活を淡々と描く~映画「ミナリ」


 1980年代から2000年ごろにかけて「北の国から」というテレビドラマがあった。東京から北海道に移り住んだ一家が、大自然の中で格闘しながら生きていく物語。映画「ミナリ」は、この「北の国から」のアメリカ版を思わせる。

 韓国系アメリカ人のジェイコブ・イー(スティーヴン・ユァン)はカリフォルニアからアーカンソーに移住してきた。平原にトレーラーがあるだけの生活。ここでイーは農業を始める。韓国系の人たちに特化した作物を作ろうという計画だった。しかし、うまくいかない。まず、水が確保できない。作物の販売ルートも確保が難しい。そんな毎日の中で妻のモニカ(ハン・イェリ)は不安を抱き、カリフォルニアに帰ろうといいだす。
 やがてモニカの母スンジャ(ユン・ヨジョン)も生活を共にする。朝鮮戦争で夫を失い、以来ソウルで一人暮らしてきた。家事は何一つできない。モニカの息子デイヴィッド(アラン・キム)に花札を教えるぐらいがせいぜい。そんなスンジャの振る舞いにぎくしゃくし始めた家族を、モニカの娘アン(ノエル・ケイト・チョー)が取りなす。
 スンジャはある日、デイヴィッドをつれて平原の片隅にある小川のほとりを訪れ、韓国から持ってきたセリ(韓国語でミナリ)の種をまいた。
 心筋梗塞によって半身にまひが残るスンジャは一家が町に出ている時にたき火をし、その火をうっかり周囲の枯れ草に移らせてしまう。やがて作業小屋を延焼させ、収穫した作物までも台無しにしてしまう(「北の国から」にもこんなシーンがあった)。
 町から帰ったイーは落胆の中でデイヴィッドとともにあの水辺に向かう。そこでは、スンジャが種をまいたセリが立派に育っていた…。

 過酷な生活を、悲壮ぶることなく淡々と描く。未来が見えない中で、空中分解寸前の家族をつなぎとめる何か。良くも悪くも、これもアメリカの断面ということだろう。この映画はそれを、セリ(ミナリ)に託して描こうとしている。リー・アイザック・チョン監督の実体験に基づくという。2020年、アメリカ。


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軽やかで強靭な女性がいた~濫読日記 [濫読日記]

軽やかで強靭な女性がいた~濫読日記

「評伝 石牟礼道子 渚に立つひと」(米本浩二著)

 タイトルに「渚に立つひと」とある。「渚」は何の比喩であろう。道子が育った家庭は、水俣で石工集団を率いた。一時は隆盛したが、職人的なこだわりを持つ父親によって家業は傾き、一家は水俣川の川べりに移り住んだ。道子8歳。掘っ立て小屋は文字通り渚にあった。第一義的にはこのときの体験=記憶から来ているとしても、もちろん含意はそこにとどまらない。
 「苦海浄土」を著した道子が見ていたもの、それが「渚」であった。チッソ(旧名・日本窒素肥料)水俣工場の有機水銀垂れ流しによって現出した地獄絵図は前近代と近代のぶつかり合いであり、近代文明による自然と人間の圧殺でもあった。目撃者であった道子は、生と死を同時に見すえる(あるいは行き交う)文体によって、この「苦海浄土」を書き切ることができた。すべてが「渚」で起きた事柄だった。魚や貝、カニ、海藻に恵まれたかつての「渚」は姿を変えたのである。道子は次のように語っている。

――人類というより生類という言葉で表現したいのです。海から上がってきた生類が最初の姿をまだ保っている海。それが渚です。海の若者たちが上がるとき、〝ここが陸地だ〟と思うでしょう。陸地から海へ行くときは〝ここからが海だ〟と思ったでしょう。海と陸を行き来する。文明と非文明、生と死までも行き来する。人間が最初に境界というものを意識した、その原点が渚です。

 蘊蓄のある、さまざまに読み替えが可能な言葉である。
 道子の文学的同伴者渡辺京二からなんとはなし評伝を書かないかと誘われた米本は「決死の覚悟」で道子に「書かせていただけないか」と頼み込んだ。それほど、この時の道子は巨人だった。世を旅立つ4年前、2014年のことである。
 こうして米本の筆による道子の軌跡が立ち上がっていく。そこには、いつも「尋常でないもの」が付きまとう。道子の祖母は狂気にとらわれていたし、街の若い女郎が中学生に刺殺される事件も起きた。一家の没落に始まる彼女の軌跡には、不穏な影があった。
 そんな中で代用教員としての生活、結婚、ある歌人との交友と自死をへて「サークル村」と出会う。谷川雁、上野英信、森崎和江らがいた。道子の思想的なバックボーンが形成された。上野は同人誌「熊本風土記」に掲載された道子の作品を中央の出版社に持ち込み、社会的に日の当たる場所に出した功労者である。終生の文学的同伴者となった渡辺とは、彼が創刊した「熊本風土記」への「海と空のあいだに」(後の「苦海浄土 わが水俣病」)掲載を通じて行動を共にするようになった。
 その渡辺を発信源とする面白いエピソードが紹介されている。

 1970年、「苦海浄土」の大宅壮一賞受賞が決まった時のこと。道子は水俣病患者のことを書いてこんな賞をもらっては苦しんでいる人たちに申し訳ない、と断ったが、渡辺は別の視点でこの賞はそぐわない、とした。「苦海浄土」はノンフィクションではなく私小説だと断言したのである。ここで書かれた患者の苦しみは、あくまで道子の体を通してのもの、ということらしい。
 言うまでもないが、純粋に第三者的、客観的に書かれたノンフィクションなど存在しない。どこかで書き手の心情を通した情景がまじりあっている。ひと頃ほどでないにしても、取材対象の内面に入り込むニュージャーナリズムとかノンフィクションノベルといったものは今も存在する。ノンフィクションと小説の垣根が限りなく低くなったいま、「苦海浄土」はこの範疇に属するのかもしれない。

 道子は3月11日に生まれた。88歳の誕生日を迎えた時、東日本大震災が起きた。これもまた、渚で起きた。大津波が街を襲い、福島原発をブラックアウトさせた。すべてが利潤に置き換えられた結果、近代合理主義が人と自然をのみこんだ。池澤夏樹も「昔、チッソ。今、東京電力」と2013年の講演で語った。二つの出来事は何かが共通している。

 前近代の共同体において道子は「異端の人」であった。一方で先駆的に「近代」に足を踏み入れた人でもあった。水俣病患者の間を歩き回り、その時のメモに基づいて何やら書く道子を地域は眉をひそめて見ていた。そんな彼女が共感した人物が高群逸枝で、評伝「最後の人 詩人高群逸枝」に結実した。高群は家事の一切を橋本憲三に任せ、女性史の研究にいそしんだ。その関係は道子と渡辺に似ていた。

 「女性蔑視」がニュースのキーワードになる時代である。しかし、かつてこんなに軽やかで強靭な、宇宙に届く言葉を持っていた女性がいた。そのことを確かめるためにも、ぜひ読みたい一冊である。
 新潮文庫、750円(税別)。


評伝 石牟礼道子―渚に立つひと―(新潮文庫)

評伝 石牟礼道子―渚に立つひと―(新潮文庫)

  • 作者: 米本浩二
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/06/05
  • メディア: Kindle版

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戦後史を考える格好の一冊~濫読日記 [濫読日記]

戦後史を考える格好の一冊~濫読日記


「戦後民主主義 現代日本を創った思想と文化」(山本昭宏著)

 著者の山本昭宏は「核エネルギー言説の戦後史」「核と日本人」「大江健三郎とその時代」を相次いで問うてきた。この「戦後民主主義」も、その延長線上にあるといっていい。あえていえば、少し違っているのは次の一点である。
 これまで「核エネルギー言説」や「日本人の核意識」「大江健三郎」といったスコープで戦後史をとらえてきたが、視野を少し広げて「戦後民主主義」という「総論」に近いもので戦後史をとらえようとした。
 では「戦後民主主義」とは何か。
 著者は「はじめに」で簡潔、的確に答えを出している。憲法に基づいた民主主義▽戦争放棄による平和主義▽法の下の平等の徹底―であり「『戦後日本』に支配的だった制度と価値のシステムの総称」と定義づける。このうち「民主主義」については終章であらためて触れ「直接的民主主義への志向性」と踏み込んでいる。
 こうした認識に立ち、対象期間を「敗戦時から現代まで」とした。著者も触れているとおり「戦後民主主義」をテーマとして現代まで通時的に追った著作は見かけない。そのうえで期間の区切りを見ると、第1章は敗戦から占領期にかけて、第2章は講和条約から安保闘争にかけて、第3章が安保から全共闘運動の衰退まで、第4章が昭和の終わりと湾岸戦争―PKO協力法案の時代、第5章が自民党下野―55年体制の終了から現代まで。なぜここまで詳しく紹介したかといえば、著者が戦後史の曲がり角となるエポックを、それぞれどうとらえているかが透けて見えるからである。
 そのうえで大まかな感想を言えば、「戦後民主主義」が少なくとも社会的に有効性を持ちえたのは昭和の時代までだった、ということである。この書ではあまり触れられていないが、昭和の終わりは冷戦の終わりと、ほぼ時期的に重なる。もちろん、偶然にではあるが。戦後民主主義という「システム」が成立しえたのは「冷戦」と表裏一体の思想だったから、ともいえる。言い換えれば、戦後民主主義の光と影―憲法による一国平和主義や、日米安保を黙認、前提とした非核思想―は、冷戦の事実に目を閉ざした結果であるともいえる。ここに小選挙区導入という政治改革がかぶさった。その中で、戦後一貫して平和思想の担い手だった社会党は消滅の事態を迎えた。
 戦後日本を支えたシステムの変遷を、政治思想だけでなく小説、映画など大衆思想にまで立ち入ってとらえようとした興味深い一冊である。そのうえで著者に期待を込めてなお求めるとすれば、山田洋次監督の「男はつらいよ」48作は、戦後民主主義とどうかかわるのだろうか、あるいは石牟礼道子の「苦海浄土」はどのような位置関係にあったのだろうか、彼女とかかわりのあった谷川雁の「原点が存在する」の「原点」は、どのような位置関係になるのか、などが知りたいと思う。
 そのうえで、加藤典洋が「敗戦後論」で問うた憲法の選び直しの問題とアジアを見すえた戦争責任が掘り下げられたら、なおよかったように思う。
 戦後史を考えるうえで、目配りの利いた労作であることは間違いない。
 中公新書、920円(税別)。


 戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化 (中公新書 2627)


戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化 (中公新書 2627)

  • 作者: 山本 昭宏
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2021/01/18
  • メディア: 新書


 


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