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スターリンの闇に挑んだ記者~映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」 [映画時評]

スターリンの闇に挑んだ記者~

映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」

 

 1930年代初め、世界恐慌の中で飢餓が各国を襲った。しかし唯一、経済的に快進撃を続ける国があった。革命後、数次のか年計画を推進したソ連である。なぜなのか。ヒトラーとのインタビューに成功した英国のジャーナリスト、ガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)が疑問を解くためモスクワに向かった。スターリンに真相を聞くのが目的だった。

 

革命後、スターリンは生産力向上のため工業化を強引に進めた。足りない労働力は地方から吸い上げ、農地を国有化し、農業集団化を進めた。この影響を正面から受けたのがウクライナだった。穀物の収穫量は激減したが、政府の調達量は変わらなかった。この結果、多くの餓死者が出た。しかしスターリンは事実をひた隠しにしたため、どれだけの死者が出たかいまだに確定していない。ウクライナの歴史を紹介したある著書【注1】は300万~500万人という推計を取り上げ、人為的に起きた飢餓であり「ジェノサイド」だと主張する学者もいる、とした。ジョーンズのウクライナ・ルポを引用した別の書【注】は、250万から390万人の間としている≫

 

 モスクワ入りしたジョーンズを待っていたのは、ソ連当局の言い分をそのまま西側に流す一群だった。ピュリツアー賞受賞者のウォルター・デュランテイ(ピーター・サースガード)もその中にいた。ジョーンズは一計を案じ、ロイド・ジョージの外交顧問と偽って政府高官にコンタクトし、ウクライナの開発ぶりを視察するツアーを組むことに成功した。現地に到着後、監視の目をくぐって列車を下りた彼の目に映ったのは酷寒の中、飢餓にあえぐ住民の姿だった。中には人肉食に手を出すものさえいた【注3】。

 

 モスクワに駐在していたエンジニアたちが突然拘束された。ジョーンズを口止めするためだった。ソ連当局の言う通りの記事を書けば、彼らは解放される。帰国後、悩んだジョーンズはジョージ・オーウェル(ジョゼフ・マウル)らに背中を押され、ニューヨークタイムズ紙に自分が見た通りのことを書いた。人はまもなく解放された。何も変わらなかった。デュランティのピュリツアー賞もはく奪されることはなかった…。

 

≪興味深いのは、エンディングで流れた一つの事実である。ジョーンズは1935月、満州でソ連秘密警察につながるとみられるグループに射殺される。なぜ満洲なのか。実はこのころ、日本とウクライナは反ソ連の機運が高まっており、ウクライナ独立と満洲独立の地下活動が連携して行われていたフシがある。つまり、二つの地域を結ぶキーワードは「反ソ連」だったのだ。その地でジョーンズは暗殺された。闇は深い≫

 

 監督は「ソハの地下水道」のアグニエシュカ・ホランド。2019年、ポーランド・ウクライナ・英国合作。

 

【注1】「物語 ウクライナの歴史」(黒川祐次著)

【注2】「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)

【注3】前掲書では193233年にウクライナで2505人がカニバリズムで有罪判決を受けたが、「実際の件数は、これをはるかに超えていたはず」としている。



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