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「アジア」を今日的にとらえ返す契機に~濫読日記 [濫読日記]

「アジア」を今日的にとらえ返す契機に~濫読日記

 

「論点別 昭和史 戦争への道」(井上寿一著)

 

 昭和の冒頭の20年間を10のテーマに分けて論じた。この時代、日本は政党政治に幕を下ろし、ひたすら戦争へと向かった。なぜなのか。それは回避可能だったのか。

 「昭和史」をめぐる著作は書店の店頭にあふれている。著者の言葉を借りれば「玉石混交」で「なかには『歴史戦』を戦う『武器』の供給や陰謀史観による自己充足を目的とした本」もある。こうした現状に一石を投じたこの書の狙いを「おわりに」で以下のように書いている。

 ――専門研究と非専門研究に架橋する。架橋の方法の一つとして、エピソード記述を織り交ぜる。

 一定の政治的意図や「面白味」を狙い、昭和史はことさらに単純化されたり、単色に彩られたりしがちである。「戦争への道」となると特にその色彩が濃い。それを、今日の知見に照らし合わせ学問的正統性に耐えうるものに、というのが著者の狙いである。しかし、学問的知見に忠実な歴史を書こうとすれば得てして中間色になり、分かりにくく、面白味を欠くものになる懸念がある。そこで、著者はエピソードを盛り込むことを心がける。

 

 位置づけの話はここまでにして、では著者が選んだ10の論点とは。

 天皇▽女性▽メディア▽経済▽格差▽政党▽官僚▽外交▽日米開戦▽アジア―である。「戦争への道」をサブタイトルに据えている以上、軍部というテーマは欠かせないが、各分野を横断する潜在的テーマと位置づけられている。このうち「女性」「メディア」は類書との違いを際立たせるため、あえて挑戦したテーマであると断っている。10の中から、いくつか記憶に残ったものをピックアップしよう。

 <天皇>日米開戦を回避する決断はできなかったか。あるいは、終戦の「聖断」はもっと早くできなかったか。明治以降の日本の政治体制は立憲君主制だった。天皇も、その上で行動するしかなかった。開戦においても終戦においても、独裁体制でない以上「聖断」は必ずしもそのまま国家意思とはならなかった、という見立てである。

<メディア>加害者か、被害者か。こうした問題の立て方に対して「投書階級」の存在を指摘する。エリートでも大衆でもない「亜インテリ」(丸山真男)が、世論形成に影響力を発揮した。流行歌や西洋クラシックは堕落として排斥された。佐藤卓己著「言論統制」なども挙げ、軍=強者が一方的に世論を押さえつけたのではない、という構図を提示する。

<外交>軍部=悪、外務省=善という色分けがある。これに貢献したのは、広田弘毅を悲劇の文民宰相として描いた城山三郎の「落日燃ゆ」だろう。果たして広田外交は戦争回避を目指し、軍部が待ったをかけたのか。これに対して幣原喜重郎による外交(幣原外交)を取り上げ、広田外交には限界があった、とする。

<アジア>あの戦争は侵略か解放か。これは今でも論争があるところだ。1980年代以降、戦争が民族運動を加速させたとする「触媒」説、アジアの戦争協力体制の強化を目指した大東亜会議の再評価(「解放を目指したアジア・サミット」)が出てきたことに着目、この問題が一筋縄でいかないことを示した。しかし、決定的なことは「日本政府は、民族解放や植民地支配の是非を争点に戦争に突入したのではなかった」。真の戦争目的は「大東亜」地域の国防資源の確保と経済支配だった―という事実だった。さらに「大東亜」圏の国と対等な関係を結ぼうとするなら朝鮮、台湾との関係も避けては通れない。

 結局、脱植民地化という化学反応を通さない限り日本の「大東亜」外交の意味はなかった、という結論に至る。そしてこの問題の締めくくりとして竹内好の言葉を引き、今日的な課題としてアジアを自立的に考える、アジアに水平的な協調関係を築く、アジアの統合原理を考える―という三つの契機として「大東亜」戦時外交をとらえるべきである、と問題提起している。

 講談社現代新書、900円(税別)。


論点別 昭和史 戦争への道 (講談社現代新書)

論点別 昭和史 戦争への道 (講談社現代新書)

  • 作者: 井上 寿一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/11/13
  • メディア: 新書

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