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画調は豪華絢爛だが~映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」 [映画時評]

画調は豪華絢爛だが~映画「人間失格

 太宰治と3人の女たち」

 

 鎌倉の海でのバーホステスとの入水自殺未遂(女性は死亡、睡眠薬自殺未遂との説もある)に始まる作家・太宰治の女性遍歴を追った。妻・美知子との結婚生活を顧みず、歌人・太田静子、夫の復員を待つ山崎富江との愛におぼれた日々を描く。太宰には小栗旬、美知子に宮沢りえ、冨江に二階堂ふみという配役。小栗の太宰はどう見ればいいのかよく分からないが、3人の女性はいずれも実力派と見た。特に二階堂の演技は熱が入っていた。ただ、全体を通してみればいくつかの違和感があった。大まかに言えば、これは太宰を描いた映画なのか、という疑問。そして、なぜ今、太宰なのかという疑問である。

 センセーショナルな小説を相次いで発表し、売れっ子作家となった太宰は、肺の病にも関わらず、編集者や文壇仲間を引き連れて毎夜飲み歩く。違和感の一は、その際の太宰の立ち居振る舞いだ。酒場で太宰は「乾杯」と力強く杯を上げる。「?」である。果たしてそんな人間だったのか。太宰は文壇でも編集者仲間の間でも、「哀しいピエロ」を演じたのではなかったか。そしてことあるごとに死にたいと漏らす。芥川賞が欲しいと佐藤春夫に懇願する。そう思うと、酒場のシーンは何か違っている。

 3人の女との関係は「芸術と生活」という補助線を引くと見えてくるものがある。美知子は「生活」の分業者だし、「斜陽」の原案を提供した静子は芸術の分業者である。太宰の原稿の聞き書き、清書をした秘書役の富江は生活・芸術の分業者であるようだ。しかし、映画ではそのあたりの描きわけがあいまいで、ただ、人気作家が3人の女を渡り歩いた、という筋立てにしか見えない。

 つまり、週刊誌的なゴシップをいくつかつなぎ合わせ、その隙間、隙間を蜷川実花お得意の花をあしらった絢爛演出で埋めた、としか見えないのである。

 太宰は昭和5年の入水自殺未遂(この時のことは自身最初の短編集「晩年」に書かれている)以来、美知子という伴侶を得たこともあって精神的に安定、「走れメロス」などの「健全」な作品をものにした。日本は戦争に向かい世情には「死」が充満したが、それとは全く逆方向をとったのである。しかし、戦争が終わって人々が「死」から解放された途端、太宰は再び「死」の観念に取り付かれる。傑作といわれる「斜陽」「桜桃」「人間失格」が書かれたのはこのころである。

 左翼運動に挫折し、荒廃した生活の中で心中未遂を起こし、軍靴の足音の中で友情をテーマに「走れメロス」を書き、そして戦後の解放的な気分の中で「人間失格」を書いた稀代の作家に、時代はどう見えていたのだろう。そして、ピエロの仮面をかぶり続けた太宰の素の顔とは。残念ながらそうした手がかりは皆無だった。三島由紀夫(高良健吾)が太宰に絡むシーンも挿入されているが、これもエピソード以上のものにはなっていない。画調の絢爛さとは裏腹に、なんとも消化不良の作品である。

 2019年、日本映画。

 


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