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世界観を賭けた戦争の実像 [濫読日記]

世界観を賭けた戦争の実像~濫読日記

 

「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著)

 

 第二次大戦中、ドイツとソ連の間で展開された戦争は、日本が米英と戦った戦争とはスケールが違っていた。それは犠牲者数を見ても明らかである。「独ソ戦」でも両国の死者数に触れているが、それによるとソ連側の死者(非戦闘員含む)は2700万人、ドイツ側は600万~800万人と推計されている。ソ連側の数字は長らく2000万人と我々にはインプットされてきたが、ソ連崩壊後に上方修正されたという。日本のそれは厚生省調査で310万人(非戦闘員含む)とされ、これだけでも規模の違いが分かる。

 なぜ、これほどの大戦争になったのか。「独ソ戦」の著者大木毅は、互いの世界観を賭けた戦いであり、相手を絶滅しなければ自国の生存はかなわないと思ったからだという。加えて、両国がヒットラー、スターリンという独裁者を権力の頂点に置いていたことも大きい。

 戦争が終わった直後、ヒットラーとナチス思想は全面否定された。その結果、戦争責任もヒットラーが全的に負う構図になった。しかし今日では、そのことで見逃されたことがあるはず、という見直し論も起きた(例えば佐藤卓己「ファシスト的公共性 総力戦体制のメディア学」もその収穫)。一方でソ連崩壊後、社会主義を正義とする歴史観から解放された議論も進んだ。この二つの今日的財産を取り込んだのが「独ソ戦」であり、そこに今この著作が世に出ることの意味がある。

 ドイツ軍によるソ連への侵攻、いわゆる「バルバロッサ作戦」の構築にあたって、ドイツ国防軍の果たした役割が大きかったと著者はいう。一般的には独裁者ヒットラーの大号令によってソ連との戦争は企図されたと思われがちだが、数々の歴史資料によってその固定観念を打ち砕いていく。軍部の発想の背後にあるのは、英仏と対峙する際の後方懸念をなくすというものだが、ヒットラーのそれは人種的優越とそれに基づく収奪を思想の底に置いており、それが結果として人類史上空前絶後の惨禍につながったといえる。著作全体を通した印象でいえば、ヒットラーは伝えられるほど軍事の天才ではなく数々の錯誤を犯している。

 ヒットラーは一貫してモスクワと南北両翼への3方向進撃を主張した。特に南方にはこだわった。油田地帯があったからである。しかし、これほどの大展開をすれば兵站は容易ではない。それが分かっていながら実行したのはソ連軍に対する過小評価以外の何物でもなかった。

 装甲と兵力においては明らかにドイツ軍の方が上だった。したがって当初は、破竹の勢いで進む。1941年6月22日のことである。戦線はバルト海から黒海まで3000㌔に及んだ。スターリンが、ドイツ侵攻情報を欺瞞だとして信じなかったことも、ソ連軍の立ち上がりの遅さにつながった。

 ヒットラーの世界観に基づく絶滅政策が最も顕著に表れたのがレニングラード包囲戦だった。ソ連側の補給路を断った後、実に900日にわたって兵糧攻めにした。多くの市民が飢えで亡くなった。100万人以上といわれるが正確な数はいまだに不明である。人肉食も横行したが、NKVD(内務人民委員部)による報告が明らかになったのは2004年になってからだ。

 両国の命運を分けたのは、スターリングラードの戦いだった。ヒットラーは「スターリンの街」という都市名にこだわり、完全占拠を命令した。ちょうど194112月から翌年1月にかけて、酷寒の冬が襲った。しかし、総反攻をもくろんだスターリンの作戦も戦地の疲弊を顧みなかったため決定打とはならなかった。ヒットラーは死守命令を出し、そのことがドイツ軍壊滅へとつながった。44年夏にはソ連軍による最後の大反攻「バグラチオン作戦」が展開される。

 人種的優越性を唱え、ナチズム対ユダヤ的ボリシェヴィズムの戦いだとしたヒットラー、祖国を守る戦いが社会主義を守る戦いにつながるとしたスターリン。互いの世界観を賭けた戦いだけに、後のない戦争だった。そして、それぞれの戦史は、生き残った者たちによって都合よく書き換えられた。

 皮肉なことだが、兵器の格段の進歩によって、もはや現代ではこれほどの大戦争は起こらないだろう。というより、これほどの規模の戦争が起きれば間違いなく地球は破滅する。しかし、人類がこれほどの残酷な戦争をかつて行ったという正確な実像を知ることは意味のないことではない。

 岩波新書、860円(税別)。

 


独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

  • 作者: 大木 毅
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 新書

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