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重いテーマを軽やかに~映画「天国でまた会おう」 [映画時評]

重いテーマを軽やかに~映画「天国でまた会おう」

 

 第一次世界大戦(191418年)は、歴史上初めて機械化された戦争として知られる。19世紀の英国産業革命による内燃機関の発達から戦車、航空機が兵器として登場、空中窒素固定法(ハーバー・ボッシュ法)によって爆薬の大量生産が可能になった。この結果、戦線は長大化し、砲撃が苛烈を極めた。対する戦術は塹壕を掘り、突撃を繰り返すだけだった。兵士の肉体を防御するものは何もなく、戦場は惨状を極めた。ここからレマルクの「西部戦線異状なし」が生まれた。

 第一次世界大戦の、生死が紙一重という地獄の体験に基づく映画が「天国でまた会おう」である。テーマはとても重いが、フランス映画らしい洒脱なストーリーのはこびで、一面では娯楽性のあるものになっている。

 モロッコの憲兵隊にとらえられたアルベール(アルベール・デュポンテル)は、友人のエドゥアール(ナウエル・ペレ―)との詐欺事件について語り始めた。それはドイツとの戦線での出来事が発端だった。

 砲撃にさらされた塹壕で恐怖に耐えるアルベールとエドゥアール。前線の指揮官プラデル中尉(ローラン・ラフィット)は、別の二人の兵士に偵察を命じた。しかし、塹壕を出たとたん、狙撃され倒れる。突撃を命じられたアルベールは兵士の死体を見て、銃創が背後からであることを知る。プラデルに撃たれたのだ。おそらく、ドイツへの敵愾心を煽るためであろう。

 その後、アルベールは穴に落ち、生き埋めになりかかる。間一髪、助けたのはエドゥアールだった。しかし、救出作業中のエドゥアールを至近弾が襲い、顔面の下半分は吹き飛ばされる。病院のベッドで無残な我が顔を見たエドゥアールは、絶望の淵に追いやられる…。

 戦争が終わり、固い絆に結ばれた二人。生きる意欲をなくしたエドゥアールは戦死を装い、痛み止めのモルヒネを打ちながら戦場で観たものを絵に描いていた。才能には目を見張るものがあったが、平凡な図柄ばかり。いぶかしむアルベールに、詐欺の企てを話し始めた。

 兵士追悼の記念碑計画を持ち掛け、資金だけをもって逃走する。そのためには芸術的な絵より一般受けする方がいい。ある資産家が標的に選ばれた。まんまと架空の慰霊碑建立計画をでっち上げ、15万フランを手にした。逃亡先はモロッコだ。

 顔面に醜い傷を残すエドゥアールは、いつも仮面をかぶっていた。美しいもの、ユーモラスなもの、さまざまである。もちろん、仮面のデザインはストーリー展開と密接に絡んでいる。

 そしてここから、人間関係の謎が解き明かされる中でストーリーは結末へ向かう。資金をだまし取られた大富豪はエドゥアールの父マルセル(ニエル・アレストリュブ)だった。彼は慰霊碑計画のために送られてきたデッサンと、エドゥアールの戦死を告げられた際に手渡された絵の共通性を見抜き、ひそかに潜伏先を探していた。捜索役は、娘婿であるプラデル、あの戦場での中尉だった…。

 これ以上書くとネタバレになってしまう。冒頭に書いたように、重くなりがちなテーマを切れ味のある演出と、エドゥアールの洒落た仮面で軽やかな味付けにした。どんでん返しの結末も、救われる思いがする。監督は、アルベールを演じたアルベール・デュポンテル。2017年、フランス。米国や日本ではこんな風には作れないだろう、と思える作品である。

 

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