SSブログ

現代と大戦中を重ね合わせ~映画「未来を乗り換えた男」 [映画時評]

現代と大戦中を重ね合わせ~映画「未来を乗り換えた男」

 

 てっきり第二次大戦中のフランスが舞台と思いきや、時代背景は現代だった。つまり大戦中の欧州と現代の難民問題を組み合わせた架空の物語。タイトルはサスペンスフルで思わせぶりだが、原作及び映画の原題は「Transit」。訳せば通過点、もしくは「寄港(地)」あたりか。こちらの方が内容を端的に表している。

 マルセイユ。ドイツにファシズムが再び台頭し、フランス占領が近かった。そんな折り、ドイツから逃亡したゲオルグ(フランツ・ロゴフスキ)が、この港町に現れる。偶然、宿泊のホテルで亡命作家ヴァイデルの自殺現場に遭遇、託された手紙を家族のもとに届けようとするうち、その作家と間違えられ、身分証と乗船券を手に入れる。さらに偶然は続き、出会わせた黒いコートの女はヴァイデルの妻マリー(パウラ・ベーア)だった。ドイツ軍に追いつめられながら自由を求めて渡航を目指す難民。その中にヴァイデルとマリーもいた…。

 難民とファシズムというテーマは過去のものではなく、まさしく現代のテーマなのだと訴えている。監督は「東ベルリンから来た女」のクリスチャン・ペッツォルト。「東ベルリンから―」と同様に端正で重厚な作りである。原作者アンナ・ゼーガースは1900年生まれのドイツ人。第二次大戦中にパリからマルセイユへ、さらにメキシコへと逃れた体験を持つ。主演のフランツ・ロゴフスキはミヒャエル・ハネケ監督「ハッピーエンド」(2018年)で観たばかり。

 タイトルの話に戻るが、作品はマルセイユを舞台に人間と人間の出会いと交錯、そこから生まれる心理的なドラマが描かれ、背景の難民、ファシズム(保護主義)の問題が提示されている。このことを考えると、邦題「未来を乗り換えた男」は観衆をミスリードする恐れがある。

 2018年、ドイツ・フランス合作。


未来を乗り換えた.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

鶴見俊輔という人間万華鏡~濫読日記 [濫読日記]

鶴見俊輔という人間万華鏡~濫読日記

 

「鶴見俊輔伝」(黒川創著)

 

 鶴見俊輔、と聞いて何を思い浮かべるか。哲学者。思想家。べ平連をつくった市民運動家。「思想の科学」を発刊し続けた編集者。とっさにつづってもこれだけある。そして、後藤新平を母方の祖父に持つ家系。父も保守系の衆院議員であったが、遠縁には獄中転向で知られた佐野学もいた。姉の和子は米国留学が長い社会学者であった。自身も米国ハーバード大に学んだ。

 一筋縄ではとらえきれない人生である。したがって、どこかに軸足を置かざるを得ない。

 祖父や父との葛藤。そこからくる10代の不良時代。若くして女性を知り、複数の中学を放校処分となり、日本での学歴は小学校卒という。一念発起して米国にわたり、ハーバードで猛勉強。しかし、日米間で戦争が起き、やむなく日米交換船で帰国。「日本は負ける。その時に日本にいたほうがいいと思った」と、鶴見は書き残しているが、この書でも、その言葉は記されている。

 米国留学中に日米間で戦争が起きた。日本に戻るか、米国に残るか。葛藤の末に帰国した鶴見の体験は、自身の戦後思想に深く濃い影を落とした。一時は戦場に赴いたものの、どちらかといえば「戦争」を外側から見つめていた、といえる(この時の戦場体験が「殺すな」という思想を生んだ。大義のない戦争で人を殺すことができるのか、という問題である)。

 こうした万華鏡のような人生を追う中で印象に残るのは、10代の不良時代の心情は比較的薄めに叙述されていること。日米交換船の体験は厚めに書かれていること。そして「思想の科学」をめぐる編集者としての活動ぶりと思考も、かなり多角的に書かれていること、であろうか。なお、書の中で「私事にわたるが」と断って著者が明かしたところでは、著者・黒川は京都ベ平連の事務局長の息子であり(したがって小さいころデモにも参加経験を持つ)、「思想の科学」編集部にも出入りしていた。なお、鶴見自身が人生を振り返ったものとして、上野千鶴子、小熊英二との鼎談(インタビュー?)による「戦争が遺したもの」(新曜社)がある。読み比べると興味深い。

 後藤新平を頂点とする家系に言及するくだりで特徴的なのは、当時の時代状況の中で鶴見家がどんな存在であったか、という視点が貫かれていることだろう。1909年、ハルビン駅での伊藤博文暗殺事件まで登場する。後藤新平がセットした日ロ首脳会談に出席するため、伊藤がハルビンに出向いた際の出来事だったからだ。なお「俊輔」は伊藤の幼時の名前で、政治家として大成するように、と父が願いを込めたとされる(そのことが、俊輔には心情的な圧力となった)。

 俊輔は1922年、祐輔と愛子のもとで生まれた。愛子は後藤新平の娘、祐輔は女婿であった。24年に祐輔は若手官僚から転身、衆院選に出馬するが、この時は落選した。こうした政治一家で俊輔は育った。しかしこうした環境は、必ずしも直線的な政治志向を生まず、むしろ屈折を俊輔の心中に育てた。

 鶴見は米国留学中、当局の審問に「アナキスト」と答えた。帰国して戦後は「プラグマチスト」を名乗った。こうした精神的土壌、「戦争」にずっぽりとはまらなかった人生の軌跡も、「思想の科学」に濃密に影を落とした。創刊したころ、民主主義科学者協会(民科)などの共産党系との軋轢、マルクス主義者ではあるが共産党には所属しなかった武谷三男の「思想の科学」擁護論が興味深い。

 1946年に発刊した「思想の科学」は1996年終刊となった。事務所を転々とし、出版社を変え、数次にわたって休刊、再刊を繰り返した。採算を度外視した硬派の雑誌が半世紀続いた。「思想の科学」の歴史の追い方に比べ、「声なき声の会」の発会の経緯、べ平連誕生のいきさつ、脱走米兵をかくまい、国外逃亡させたことなどの記述、つまり市民運動家としての鶴見俊輔の肖像画は、若干薄目である。しかし、500㌻を超す大部を前に、そうした不満を述べることは適当ではなかろう。2015年、93歳で没した人間の多様さを盛り込めたという一点だけで、「黒川創よ、ご苦労さん」といいたい。

 新潮社、2900円(税別)。


鶴見俊輔伝

鶴見俊輔伝

  • 作者: 黒川 創
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/11/30
  • メディア: 単行本

nice!(0)  コメント(0) 

重いけれども温かい~映画「運び屋」 [映画時評]

重いけれども温かい~映画「運び屋」

 

 C・イーストウッドといえば、最近は「アメリカン・スナイパー」だの「1517分、パリ行き」だのと、内面のドラマが希薄で平面的な監督作品が目立っていた(「ハドソン川の奇跡」はまあまあだったが)。おいおい、あの「グラン・トリノ」のイーストウッドはどこへ行ったんだ、と嘆きの一つも入れたい気分だった。そんな折り、この「運び屋」を観た。まぎれもなく「グラン・トリノ」のイーストウッドがいた。

 主演・監督ともイーストウッド。これも「グラン・トリノ」以来である。

 1992年、米コネチカット州。家庭を顧みずデイ・リリーの栽培に情熱を燃やすアール・ストーン(C・イーストウッド)は娘の結婚式も出ずじまいだった。それから10年余り。別れた妻ら家族のもとに現れたアールは、借金の抵当に入れた自宅を追い出され、住むところもなかった。家族との小さないさかい。そこへ見知らぬ男が仕事を持ち込んできた。指定したルートをドライブするだけでカネになるという。アールは半信半疑で話に乗った。

 運転席のダッシュボードには、望外なカネが封筒に入れられ、置かれていた。ボロ車を新調し、自宅も取り戻せた。仕事はコカインの運搬だったが、アールには知らされなかった。運ぶ量も増え、200㌔から300㌔に。毎日、シカゴへ大量のコカインが持ち込まれている、とDEA(米麻薬取締局)も動き出した。しかし、「運び屋捜査」の網に90歳の白人はなかなかかからなかった。

 朝鮮戦争の帰還兵であるアールは、強者としての矜持をデイ・リリーに託していた。このあたりは、フォードの名車に朝鮮戦争から帰還した白人労働者の矜持を託した「グラン・トリノ」に似ている。しかし、そうした強者の矜持は家族には到底理解されなかった。そんな中でアールは麻薬シンジケートとの関係を深めていき、抜き差しならなくなる。そんな強さと弱さが交錯する中で、老境のイーストウッドならではのセリフ回しと演技が展開される。

 「なんでも買える時代なのに、時間だけは買えなかった…」。捜査官に連行されるアールがつぶやいた言葉である。あるいは、死を間近にした妻にささやく「100歳まで生きたいと思うのは99歳の人間だけだ」。人間はつい、もう少し生きていたいと思うが、どっちみちいつかは死ぬんだ、という思いを語っている。どちらも、90歳のイーストウッドがつぶやくからサマになっている。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンク。

 人間はいくつになっても強くはなれないし、正しさだけを追って生きているわけでもない。道を踏み外すことだってある。だからどうなんだ、といっている。重いけれども温かい、そんな印象が残った。NYタイムズ紙の「90歳の運び屋」が原案だという。

 2018年、アメリカ。原題は「The Mule」。そのまま訳せば「運び屋」だが、もともとはラバを指し、そこから「頑固者」という意味がある。そこまで含めてタイトルがつけられたなら、味わいがある。


運び屋.jpg

nice!(1)  コメント(0) 

夫を支える妻のモヤモヤ感~映画「天才作家の妻 40年目の真実」 [映画時評]

夫を支える妻のモヤモヤ感~

映画「天才作家の妻 40年目の真実」

 

 偉大な作家の影に妻がいた。この話は、深田久弥の場合が記憶に残る。改造社編集部にいた深田は、ある女性の懸賞小説に目を奪われた。当選作にはならなかったが、やがてその女性との共同生活が始まる。深田の作風は一変し、純文学の新星と目される…。(田澤拓也著「百名山の人 深田久田伝」)

 米コネチカット州。現代文学の巨匠ジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)に国際電話がかかる。受話器はノーベル文学賞受賞を伝えた。妻のジョーン(グレン・クローズ)と喜びに浸った。

 駆け出し作家の息子デビッド(マックス・アイアンズ)を連れ、スウェーデンの授賞式に向かう機内、一人の男が近づいてきた。ジョゼフの伝記執筆を狙うライターのナサニエル・ボーン(クリスチャン・スレーター)。彼はジョゼフの作品と経歴を調べ上げていた。妻子がいたジョゼフをジョーンが略奪するように結婚したこと。ジョゼフの初期の作品より、若き日のジョーンの作品が数段すぐれていたこと。結婚後のジョゼフの作品が劇的に変わったこと…。

 ジョーンこそ本当の筆者ではないかと疑っていた。背景には、女性の進出を喜ばない出版界の「常識」があった。スウェーデンのホテルのロビーでこの疑問をジョーンにぶつけたが、軽くあしらわれる。しかし、ジョーンの心中は穏やかではなかった。授賞式のあわただしさの中、それがジョゼフにも波及し心身を乱していく…。

 映画では、二人が小説を合作する様子がちらりとのぞく。プロットはジョゼフが書いたのかもしれない。しかし、交わされるセリフは何ともリアリティーがなかった。そこでジョゼフが手を入れていく。そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。あるいは、初めからジョーンが書いたのかもしれない。

 この場合、初めから夫婦の合作と公表していれば問題なかったかもしれない。しかし、そうはいかないところが、夫婦の妙というものだろう。偉大な作家を支える妻に人知れず積み重なるモヤモヤ感。

 原題はずばり「The Wife」。原作にはなかった「ノーベル賞」を映画で追加した。監督はスウェーデン生まれのビヨルン・ルンゲ。グレン・クローズが心理サスペンスで存在感を示した。2017年、スウェーデン、アメリカ、イギリス合作。


天才作家.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

二大政党制を再び考えるために~濫読日記 [濫読日記]

二大政党制を再び考えるために~濫読日記

 

「国権と民権 人物で読み解く平成『自民党』30年史」(佐高信・早野透 対談)

 

 2、3年前のこと。佐高信の講演を聞いた。直前の参院選で野党が東北の改選6議席中5議席をとったことに触れ、分析には戊辰戦争まで振り返る必要がある、と力説していて驚いた。賊軍とされた奥羽越列藩同盟の怨念が背景にある、という話である。失礼ながら、ずいぶん執念深い話だな、と思った。

 同じころ、佐高は岸井成格(故人、元毎日新聞主筆、テレビキャスター)と対談、「偽りの保守・安倍晋三の正体」という本を出した。佐高は、担当した「はじめに」で、現在の政界地図のデッサンを描くために「国権派と民権派」という概念を出していた。これも、明治の自由民権運動から類推された言葉である。

 そして、佐高と早野透による対談本「国権と民権」である。明治以来の近代化を見つつ、現代の政治を批評しようという佐高の試みが実ったというべきか。

 先の岸井と佐高は同じ慶応大法学部だが、岸井が1歳年上。佐高と早野は同じ1945年生まれである。即ち、戦後と自らの人生が同じ年数である。ただし、在野の評論家で「東北」にこだわる佐高と違い、早野は神奈川県生まれ、東京大法学部から朝日新聞政治部一筋。肌合いの違いはいかんともしがたいが、そこが面白さでもある。

 さて、対談の内容である。平成の政治家を、大まかに言えば国の側に立つのか民の側に立つのか、という色分けをしたうえで論じた。二人の思想のありようからして、当然ながら「民権」に軸足がある。

 そこで民権思想に立つ政治家として、加藤紘一がまず登場する。佐高と同じ山形出身であることも大きい。自民党内では際立ったリベラル思想の持ち主であるにもかかわらず世渡りベタが響いて政権がとれなかったことも、佐高の共感を呼んでいるようだ。早野はその点「インテリゲンチャとしての弱さ」「ギリギリのところで本能的に権力を回避する政治家」と見た。対話を通じて明かされた、加藤が魯迅を原文で読んでいた、というエピソードも面白い。

 次に田中秀征が上がる。55年体制が崩壊したころ、自民党を割って「さきがけ」を作った一人。その後の自社さ政権の影のディレクターであった。田中は、国権と民権というより官権と民権の構図で考えていたと佐高はいう。さらに田中の思想を解く中で、宇都宮徳馬の言葉を引き、自民党には自由民権運動以来の野党精神と、自由民権運動は反国家的だという二つの流れがあったと指摘する。それは、自民党が長期にわたって政権を維持したエネルギーの根幹にも思える。佐高によると、田中は石橋湛山の孫弟子を自認していた。

 国権派とはだれか。二人が一致するのは岸信介、福田赳夫、小泉純一郎、安倍晋三の流れである。中曽根康弘は民権的なものを取り込んだ国権、ということになる。田中角栄は民権であるが、弟子である小沢一郎は国権に重心があった。しかし、晩年は民権に軸足を移した。

 なぜ今、このような自民党論が必要なのか。永田町の現状を見れば答えが出る。安倍一強時代といわれ、政権は上から目線で野党を批判する。つれて官僚も忖度と倫理的腐敗を進行させた。現状を打破するには、権力が腐敗すればいつでも政権交代はある、という政治状況を作らねばならない。もともと、小沢が経世会を割ったのも、そうした目論見があったからだった。野党の現状を見ると、もう一度、二大政党を目指すには、自民党を再び割るしかない。それを考える時、国権と民権は重要なキータームになると思える。

 集英社新書、820円(税別)。


国権と民権: 人物で読み解く 平成「自民党」30年史 (集英社新書)

国権と民権: 人物で読み解く 平成「自民党」30年史 (集英社新書)

  • 作者: 佐高 信
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2018/09/14
  • メディア: 新書

nice!(1)  コメント(0) 

システムで見たメディアと大衆の共振作用~濫読日記 [濫読日記]

システムで見たメディアと大衆の共振作用~濫読日記

 

「近現代日本史との対話【幕末・維新―戦前編】」(成田龍一著)

 

 日本史、もしくは日本の近現代史という場合、多くはそのカテゴリーにはまる歴史的事実を抽出、編纂し叙述するという手法をとった。これに対して唯物史観(階級史観)が現れた。階級闘争の連続性と、その結果としての「体制」の遷移によって歴史を見る手法は分かりやすい反面、人民・大衆がマスとしてしか見えてこない弱点はいかんともしがたかった。

 成田龍一の「近現代日本史との対話」は、帯にあるように「システム」の概念を通じて歴史を理解する試みである。そういえば井上寿一著「日中戦争」もシステム論を通じた戦争体制の分析であった。

 システムとは何か。いわゆる「体制」ほどスタティスティックでもマクロ的でもない。「日中戦争」の副題に「前線と銃後」とあるように、権力者が構築した制度的フレームにとどまらず、当時の風俗、社会思潮、大衆の言動、つまり動的な人間関係にまで目配りした歴史分析の手法といえる。米ソ冷戦終結から30年、体制の変遷だけで歴史を語ることが難しい今、どうやらこの手法が歴史分野での最先端であるようだ。

 成田は、日本の近現代史を2分冊で語ろうとしている。前半は1853年のペリー来航から1930年代の満州移民開始まで。これは、歴史のメジャーとしては坂野潤治「日本近代史」が取り上げた18571937年の80年間にほぼ合致する。違いは「ペリー来航」を入れるかどうか。この前半部分が【幕末・維新―戦前編】に収められた。ペリー来航の1853年から福島原発事故までの150年余を大きく3分類し、それぞれをⅠ、Ⅱ型と分けた。つまり六つのシステム類型で日本の近現代史を語るというのが、本書の試みである。著者自身による「システム」の説明を引用すれば以下のようになる。

 ――システムは、ある出来事をきっかけに始動して方向性をつくり出し、大きなうねりとなって人々を巻き込み、社会を編成します。(略)一つのシステムはおおよそ二五年の期間持続します。同時に、社会は編成されたその瞬間にさらなる変化を始めています。

 システムとは、人間社会に登場した一種の「うねり」と理解できる。それが「制度」として固定化された時、次のシステムへのうねりが社会に内在する。こうして社会の編成―再編成が繰り返される。六つの類型のうち、【幕末・維新―戦前編】に収められたのはシステムAⅠとAⅡ、そしてBⅠの始まるまで。即ち、ペリー来航を一つの衝撃として開国から国民国家形成に至り、帝国主義的国家の建設、国家総動員体制の確立までである。

 例えばペリー来航を歴史的にどうとらえるか。成田は、この事件を武士階級にとどまらず国家社会を議論する契機―即ち公共的空間の創出ととらえ、それが幕藩体制から国民国家への移行につながったとみる。この辺りがシステム論的な歴史の語り口であろう。

 日本が国民国家から帝国主義国家へと向かう契機になったのは1894年の日清戦争、1900年の義和団事件での出兵、その後の日露戦争であった。一連の戦争の中で日本は台湾、樺太南部に植民地を得た。この中で国民の間に文明、野蛮、異界という認識が出来上がった。1910年には大逆事件と韓国併合があった。内外共に帝国主義が確立した。

 1925年には普通選挙法が実施された。しかし、二つの問題があった。一つは男性のみに適用され女性は準国民の扱いだったこと。もう一つは同じ年に治安維持法が施行されたこと。つまり普選=治安維持法体制はセットであった。このことは、その後の国家総動員体制確立に有効に働いた。普選=治安維持法体制に昭和恐慌が加わり、事変=戦争がかぶさる。思想、行動ではみ出したものは「非国民」とされた。この時代を成田は、大衆とメディアの共振と表現している。言いえて妙である。戦争は一部勢力が遂行したものではなく、国民自身、そしてメディアが鼓舞したものだった。この辺りの目配りはシステム論的歴史論の妙であろう。恐慌によって旧来の共同体が解体し、それによって国民が再定義され、影響力を発揮した。そこにはメディアが介在した。思想や感情までも制御する国家総動員体制が出来上がった。排外主義の高まりの中、満州事変が起きた。

 歴史を振り返るとき、権力や群衆といった「マス」の動きを見るのも重要である。しかし、個人の生活の営みもまた、社会に大きな影響を与える。その両方を見ようというのがシステム論的歴史観であろう。ともすれば味気なさが漂う歴史を物語のように動的に甦らせ、面白く読ませる一冊である。

 集英社新書、1300円。

近現代日本史との対話【幕末・維新─戦前編】: 【幕末・維新─戦前編】 (集英社新書)

近現代日本史との対話【幕末・維新─戦前編】: 【幕末・維新─戦前編】 (集英社新書)

  • 作者: 成田 龍一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/01/17
  • メディア: 新書



nice!(1)  コメント(0) 

「差別」を取り上げた甘口の作品~映画「グリーンブック」 [映画時評]

「差別」を取り上げた甘口の作品~

映画「グリーンブック」

 

 白人よりも白人的な教育を受けてきた黒人と、黒人と変わらぬ環境で育った白人がタッグを組み、過酷な人種差別が残る米国南部を旅する物語。「グリーンブック」は人種差別地域を旅するための手引き。黒人が宿泊できる施設が紹介してある。

 1960年代、ニューヨークのクラブ「コパカバーナ」。面倒な客がいれば力で追い出すトニー・〝リップ〟・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)は用心棒的役割を担っていた。クラブは改装のため一時休業となり、トニーは失業する。生活に困っていたところ、ふとしたことで「ドクター」がドライバーを捜しているとの情報を得る。指定の住所は、なんとカーネギーホールだった。その上階に住むのは、ドクター(医者)ではなく、音楽家の黒人だった。差別主義者でもあったトニーだが背に腹は代えられず、仕事の提案を受け入れる。南部6州を演奏旅行しながら回るという。

 こうして、黒人ジャズピアニストのドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と雇われ運転手トニー・リップは、ジム・クロウ法【注】があったころの南部を旅する。シャーリーは、ステージ上ではそれなりの扱いをされるが、ステージを下りれば過酷な差別が待っていた。

 深夜に車で移動していると、黒人は夜間外出禁止だと警官にとがめられ、差別的な発言に怒ったトニーとともに留置場に放り込まれた。シャーリーはロバート・ケネディ司法長官とツテがあったことから事なきを得たが、差別はなくならなかった。旅の最終日には、演奏会場のレストランでの食事さえ拒否された。たまりかねて演奏を拒否、食事をした街中の居酒屋でピアノ演奏を披露、居合わせた客から喝さいを浴びた。

 フロリダ生まれのシャーリーは幼いころから音楽の才能を認められ、一時はクラシックを志す。ところが指導者から黒人はクラシックでの成功は難しいと諭され、ジャズへと転身した。このあたり、「リベルタンゴ」のアストル・ピアソラと似ている。こうしてシャーリーはクラシックをベースにしたジャズの演奏家となった。一方、トニーはイタリア系の移民。ブロンクスで貧困家庭に育った。全く環境の違う二人に、なぜか友情が芽生える。

 1960年代の米国南部での人種差別というシリアスな問題を取り上げながら、全体の味付けは「甘口」である。これをどうとらえるかで作品の評価は変わるだろう。ただ、観たのが平日だったにもかかわらず満席だったのには驚いた。

製作・共同脚本のニック・バレロンガはトニー・リップの息子。監督・製作・共同脚本ピーター・ファレリ。2018年、アメリカ。

 

【注】1876年から1964年にかけ、南部11州で施行された黒人取締法。


グリーンブック.jpg


nice!(0)  コメント(0)