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国連史上最悪の汚職を描く~映画「バグダッド・スキャンダル」 [映画時評]

国連史上最悪の汚職を描く~

映画「バグダッド・スキャンダル」

 

 人道援助の名のもとで醜悪な汚職が行われ、消えた額は200億㌦ともいわれた―。

 クウェート侵攻で経済制裁を受けたイラク。国民は貧困と混乱にあえいでいた。彼らに食糧と医薬品を届けるため、国連安保理決議に基づき1996年から石油・食糧交換プログラム(Oil-for-food program)が始まった。2003年終了まで総額640億㌦(73600億円)にのぼる巨額プロジェクトである。管理したのは国連事務次長ベノン・セヴァン(映画ではコスタ・パサリス=愛称パーシャ=ベン・キングズレー)。彼の手に渡った額は少なくとも18億㌦とされるが、国連がその後の調査を拒んでいるため全容は明らかになっていない。

 外交官の父をベイルートの爆弾テロで失ったマイケル・サリバン(テオ・ジェームズ)は遺志を継ぐため国連職員に応募する。採用が決まり、初任務は事務次長の補佐だった。そのままバグダッドに飛ぶ。前任者は謎の事故死を遂げていた。現地の所長やクルド人の通訳と接触するうち、石油・食糧交換プログラムに疑惑があることが分かってきた。食糧、医薬品はクルド人自治区に薄く、フセイン大統領の出身地ティクリートに厚く配給されていた。フィクサーらしき男が現れ、カネを置いていこうとする。

 疑惑のリストを手に入れたマイケルはパーシャに直接、疑惑をぶつけるが、相手にされない。それどころか、情報源であるクルド人通訳ナシーム・フセイニ(ベルシム・ビルギン)を女スパイだという。2003年にはブッシュ大統領によってイラク侵攻が始まった。疑惑が闇に葬られることを恐れたマイケルはついに、リストの裏どりをしたうえでウォールストリート・ジャーナルに持ち込む。疑惑は明るみに出てパーシャは故郷のキプロスに逃亡。マイケルも外交官の夢を断たれる。

 映画は、マイケル(本名マイケル・スーサン)が体験に基づいて書いた小説が原作。淡々としているが緊迫感あふれる展開で、フセイン大統領も巻き込み国連史上最悪といわれたスキャンダルを描いた。

 2018年、アメリカ、デンマーク、カナダ合作。


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「日本とアジア」を考える契機~濫読日記 [濫読日記]

「日本とアジア」を考える契機~濫読日記

 

「日中戦争 前線と銃後」(井上寿一著)

 

 日本は明治以降の近代化を推し進める中、盧溝橋事件を経て日中戦争という泥沼へとはまり込み、さらに米英との戦争を始めるに至って破滅へと突き進んだ。歴史に「IF」は禁物だが、もし日中戦争を回避できていたら日本の現在は違っていただろう。なぜ日本は中国との戦争を避けることができなかったか。

 井上寿一著「日中戦争」は、副題に「前線と銃後」とあるように軍、政の権力者の側だけでなく、庶民や下級兵士の戦争観も織り交ぜた歴史書である。昨今見られる社会システムの変遷を追うことで、歴史の根幹を見るという手法が見て取れる。そのために「兵隊」(前線の兵士らの投稿による雑誌。一切検問はなかったという)での証言が多く用いられた。こうした中、軍部が戦争拡大に消極的だったこと、労働者・農民の党である無産政党が戦争に協力的だったことを指摘した。国民は戦争の被害者であり加害者でもあった。

 1920年代を境に日本の社会システムは転換する。自由主義から全体主義へ、国際主義から地域主義へ。このタイミングで起きたのが満州事変でありノモンハン事件だった(私見だが、ノモンハン事件は日本の戦争史の中で過小評価されている)。こうした中、日本はシステムの変換を迫られた。二大政党制から大政翼賛会体制への転換である。井上はここで、大政翼賛会はただのファシズム体制ではなく、政党政治を超えたデモクラシー体制を目指したとする。「目からウロコ」ではあるが、理解はなかなか難しい。

 以上が日中戦争のデッサンである。この構図に従って、各論が展開される。

 1930年の世界恐慌から立ち直った日本は、国際的覇権を求めてさらなる経済成長を目指す。労働者、農民、一般大衆、そして財界が日中戦争を「歓迎」した背景はこの辺りにある。面白いエピソードが紹介されていた。戦線へ送る「慰問袋」が金さえ出せば百貨店から直送できたという。これに対して前線の兵士から「せめて宛名書きは自筆で」と苦情の投稿が「兵隊」に掲載された。

 前線で戦った兵士が帰国すると、日本国内は軍需景気に沸いている。百貨店は売り上げ「戦争」に余念がない。兵士は違和感を抱き「日本」の革新を求める。日本主義の台頭である。帰還した兵士は、過去の平和への復帰ではなく、手あかのついていない新秩序、新しい「東亜」への期待を持つようになった。背景として火野葦平らの文筆活動も大きかった。

 目的意識を持たないまま始まった日中戦争は、開戦後1年余りを経て戦争の再定義が行われた。昭和13年の近衛文麿首相による「東亜新秩序」声明である。戦争は軍事にとどまらず文化工作の側面を持つ。「東亜協同体」論と「国民再組織」論が結合する。国民精神総動員運動(精動運動)が始まり、政党政治との兼ね合いが議論される。当初、井上は政党政治の期待の上に精動運動はあったという。

 しかし、戦局は悪化する。「今の日本は共産主義と紙一重」という言葉を、山田風太郎の著書から引用している。大政翼賛会による政治一元化は、戦争による国民の窮乏化=下方平準化=「社会主義」化だった。敗戦による「神の国」の滅亡とともに日本主義は空疎化し、大衆が抱いた「社会主義」への志向は戦後社会に持ち越された。

 井上は、敗戦とともに日本は1920年代、大正デモクラシーの時代に回帰したとみる。ただ回帰したのではなく戦争による社会変動を内包した「回帰」だった。この中で、戦後日本が学ぶべきことは何か。「近代の超克」の京都学派と晩年の廣松渉をあげているのが印象的だ。

 そして今、日中戦争を問う意味は何か。戦争責任を問うとともに、冷戦後の日本とアジアの位置関係を考える契機、という意味合いがあるだろう。

 講談社学術文庫、1010円。

 

日中戦争 前線と銃後 (講談社学術文庫)

日中戦争 前線と銃後 (講談社学術文庫)

  • 作者: 井上 寿一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/07/12
  • メディア: 文庫



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それでもあなたは安倍政権?~社会時評 [社会時評]

それでもあなたは安倍政権?~社会時評

 

 民主党政権は悪夢?

A 2月10日の自民党大会で安倍晋三首相(党総裁)が、民主党政権時代を「悪夢」と語り「あの時代に戻させてはいけない」としたことで、民主党政権の幹部だった岡田克也衆院議員が12日の予算委で「取り消しなさい」と要求、首相は「取り消さない」と答えた。

B 子供のケンカのようなやり取りだが、直後に岡田氏が語っているように「ちっちゃな首相」という印象だけが残った。6日夜には首相公邸で、石破派を除く党内6会派の事務総長らが極秘で会合を開いたというし…。子供がよくやる「仲間はずれ」というやつだ。

C 6日の会合は昨年の総裁選の祝勝会らしい。

B それにしても、とっくに総裁選はすんだのだから。石破派もいれて再スターとか、やりようはあるだろう。そうすれば秘密裏にやることもなかった。

A やはり、今の政治は狭量といわざるを得ない。そういえば、会見での東京新聞記者の質問攻めに菅義偉官房長官が不快感を示し、内閣記者会に「事実に基づかない質問はやめろ」と申し入れたらしい。

B 事実に基づかない報道ならともかく、事実に基づかない質問をするなとは…。事実かどうかを確かめるのが質問だろう。安倍政権全体がもはや狭量で不寛容といわざるを得ない。こんな人たちが日本のかじ取りをしていると思うと、恐怖感さえ覚える。

 

 五輪担当相の配慮欠く発言

A 12日には、来年の東京五輪で活躍が期待された池江璃花子選手が白血病であることを明らかにして、列島に衝撃が走った。あろうことか、この事態に桜田義孝五輪担当相は「がっかりした」と発言。13日の衆院予算委で野党の追及を受け、発言撤回に追い込まれた。18歳の女性が人生の新しいステージに立った、そのことを一人の大人として見守り、応援するとなぜ思い至らないのか。こんな人を大臣に据える安倍政権の緊張感のなさ…。

C テレビの報道などを見ていると、白血病治療もここ2030年で随分前進したようだ。そうした医学の進歩に立ち、池江さんがこの先、元気な姿を見せれば、国民は安堵し喜ぶだろう。それを思えば東京五輪など小さなことだ。

 

 厚労省の統計不正

A 統計不正問題で厚労省に激震が走っている。

B 毎月勤労統計の東京都内分が全数調査と法律で定められているのに抽出調査をしていた。そのほかにも、訪問調査をすべきなのに郵送にしていたとか、問題が明るみに出ている。不正を明らかにする調査も、外部がやるべきところを内部の職員で済ましていたとか、事後の対応も問題が指摘された。

C 厚労省自体の仕事が増えすぎて担当する職員の対応が追い付いていないようにも見える。言われているように、日本社会は高齢化が進んで経済成長型から福祉型社会へと変貌している。しかし、行政がそうしたトレンドに合うように転換しきれていない。毎年の予算を見れば分かるが、厚労省関係は30兆円を超している。全体の3分の1だ。しかも、そのほとんどは年金、医療関係。高齢化社会を象徴している。

B そうした中で、職員は増えるどころか減らされている。それが、この統計不正にも表れているとみるべきだ。

C もう一つの背景として安倍政権の官邸一極集中もある。かつては霞が関を動かすのは官邸と自民党本部だったが、今や官邸に集中している。官僚たちも、官邸さえ見ていればいいという時代になった。勢い、官邸への忖度ばかりが働き、自民党本部の政調のグリップがきかなくなった。

 

 外交の安倍?

A 「外交の安倍」という言葉を聞くが、本当にそうか。

B 政権にいる人たちだけが言っているのではないか。

C そう思う。今月下旬にはベトナムで米朝首脳会談が開かれる。韓国の文在寅大統領も呼ばれて朝鮮戦争終結が宣言されるとの観測もあるが、この朝鮮半島「雪解け」の潮流の中で日本は完全に蚊帳の外だ。

B 日本は米国の「ポチ」だから、米国さえ相手にしていればいいと、北朝鮮も韓国も思っているのでは。

C 韓国の国会議長が、天皇が慰安婦に直接謝罪すれば慰安婦問題は解決する、と発言。安倍首相は「甚だしく不適切」と反発した。

B 慰安婦問題や強制連行問題がいまだに尾を引いているのは、植民地時代を日本がきちんと総括していないからだ。韓国要人の一連の発言は、結局そこに行きつく。そこにけじめをつけなければ韓国の批判は収まらず、結局は日本軽視につながるだろう。

A 日露首脳会談の直前に「2島返還で決着へ」の記事が一斉に出たが、あれは何だったのだろう。第一、あの記事のソースはどこだったのか。

B 官邸か外務省の高官あたりが、世論の動向を探ったのだろう。しかし、ロシアの対応がその上を行った。

C ロシアのラブロフ外相は第2次大戦の結果を認めるのが前提、といっている。日本政府は固有の領土だの不法占拠だのというが、ロシアにすれば馬耳東風だ。ヤルタの密約によって不可侵条約を破棄し参戦した。そして約束通り領土を手に入れた。パワーポリティックこそ正義、といいたいだろう。

B それに対して、なんと安倍外交のひ弱なことか。プーチンとの「友情」などひとたまりもない。

 

 それでも安倍政権?

A 今夏には参院選がある。ひ弱な外交、統計不正で根拠が揺らぐアベノミクス、官僚を掌握しきれない官邸、いまだ解決しないモリカケ問題、とマイナス要因ばかりだが、それでも国民は安倍政権を選ぶのか。

B 小選挙区の問題が大きい。なんとかならないか。

C とにかく、死に票が多すぎる。無効とされた大量の意思の上に安倍政権が成り立っている。これを打開する道は、何が何でも野党を結束させることだ。

B それには、共産党というネックがある。今の時代、共産主義社会を目指すというのは違う。少なくとも、世論の支持を得る思想ではない。ここと組むというのは、抵抗があるのも仕方がない。

C 逆に、自民党を分裂させるというのはどうか。かつて「剛腕」といわれた小沢一郎のような存在は出てこないか。

B 本当は、その方が手っ取り早いのだが。しかし、自民党自体が政権を担うことの「味」を求めて集まった人たちばかりだ。民主党で大臣まで務め二階派入りした細野豪志衆院議員の言っていることを聞いてもよくわかる。所詮は与党でなければ妙味はない。よほどの緊張感がない限り、自民党を割るのはむつかしいだろう。

A 今夏ダブル選の予想さえある。その末に安倍自民党が大勝でもすれば、いよいよ日本の政治は危うい。



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「静かな沈滞」をよしとする思想~濫読日記 [濫読日記]

「静かな沈滞」をよしとする思想~濫読日記

 

「いま、松下竜一を読む やさしさは強靭な抵抗力となりうるか」(下鴨哲朗著)

 

 この書の発行は2015年3月である。したがって、表題の「いま」は、2011年の3.11を体験した「いま」である。著者は松下竜一の思想を、ポスト3.11を考えるうえでの重要な示唆として、この書を上梓したのであろう。

 竜一は九州・中津の豆腐屋の長男として生まれた。高校での成績はよく、東京大の文学部を目指すほどであったというが、そのころ母を亡くした。貧しい豆腐屋のやりくりが肩にのしかかった。大学進学をあきらめ、父と豆腐作りに励む。貧困の中、鬱積する思いを短歌に託して新聞に投稿、注目を浴びる。日常の喜怒哀楽をつづった「豆腐屋の四季」を出版した。

 やがて豊前海岸の火発建設反対闘争に取り組む。環境権を掲げ、住民運動にのめりこんだ。ここからは無人の野を行くがごとき、である。筑後川のダム建設反対を唱え、異様な城塞「蜂の巣城」を築いた室原知幸の闘いを描いた「砦に拠る」、大杉栄と伊藤野枝の遺児の自立を追った「ルイズ――父に貰いし名は」…。甲山事件や東アジア反日武装戦線にも迫った。一見して、それは無軌道とさえ思える。

 しかし、そこには確かな「水脈」があった。それが、標題にある「やさしさは強靭な抵抗力となりうるか」だった。幼い竜一が母から教えられた言葉という。体が弱かった竜一に母は「強くなれ」とは言わず、ただ「優しくあれ」と言った。こうして育った竜一は貧困に続いて豊前海岸埋め立てという強大な力を目前にする。「やさしさ」を拠点として抵抗の砦は築けないか。これが終生のテーマになった。

 体が弱かった竜一は「本の虫」になった。図書館よりも貸本屋の講談全集を乱読した。こうして身に着けた語彙や語りの調子が、その後のノンフィクションに生かされた。

 著者(下鴨)が、竜一との初対面の印象を書いている。

 ―-なんと淋しげだ。そしてなんと哀しげだ。けれどもああ、なんとやさしく語りかけてくる眼差しだろうか。(第4章 本好きにする本)

 しかし、竜一はけっして貧しさを恥じてはいないことは全編からにじみ出ている。ある集会で、自身の出生地・中津についてこう書いている。

-(豆腐屋が淘汰されずに生き残ったこの町は)変化にうとい、住みよい、安定した静かな沈滞が象徴されている。(第2章 暗闇の思想)

 「静かな沈滞」は恥ずべきことではなく、私たちに住みやすさをもたらすものだと言っている。彼が亡くなって7年後に福島原発事故は起きた。そしていま、「海を殺すのか」と叫んだ豊前海岸の火発反対闘争は、沖縄・辺野古の埋め立て反対闘争に重なる。不安定でひたすら消費を強いられる時代に「やさしさ」と「静かな沈滞」を叫ぶことの重要性を、松下竜一の思想は教えてくれる。

 岩波書店、2300円。

 


いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

  • 作者: 下嶋 哲朗
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/03/20
  • メディア: 単行本

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三島の虚無の深さをみる~濫読日記 [濫読日記]

三島の虚無の深さをみる~濫読日記

 

「三島由紀夫 ふたつの謎」(大澤真幸著)

 

 三島由紀夫は19701125日、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面隊総監部で建軍の本義に戻れと自衛隊員の蹶起を促し、激しいヤジを浴びた末に割腹自殺を遂げた。三島の長編小説「豊饒の海」の擱筆の日でもあった。

 社会学者・大澤真幸はこの時、小学6年生であったという。当然ながら事件の本質を受け止められず「何かただならぬこと」が起きたと感じたと述べている。三島の代表作「金閣寺」を読んだのは、16歳の時だった。

 「三島由紀夫 ふたつの謎」の「まえがき」で大澤は「哲学的な知性」「芸術的な感性」という二つの側面で三島は「近代日本の精神史の中で最も卓越した創造者の一人」との見方を示している。そのうえで三島の割腹自殺に疑問を呈する。なぜあれほど稚拙な演説を行い、愚行ともいえる自裁の方法をとったのか。もう一つは、長編小説「豊饒の海」第4部「天人五衰」を、あれほどまでに全編を激しく否定するほどの終わらせ方にしたのか。

 標題の「ふたつの謎」とは、このふたつである。70年のこの日、三島がのぞかせた心の闇を、全編ミステリーのようなタッチで大澤は追う。大澤は社会学者である。決して文学者としての三島を分析してはいない。プラトンやカントを援用し、あるときは「三島の哲学~唯識論」を、あるときは「美」に対する想念を丹念に解析していく。

 菅孝行の「三島由紀夫と天皇」が三島の天皇論を基軸において作品と行動を意味づけしたのに比べ、アプローチが込み入っていることは間違いない。

 「豊饒の海」は輪廻転生の物語であるが「天人五衰」は最後に、転生ではない偽物の主人公が出てくる。そのことを発端に、前3巻の物語までが否定される。これでは、大澤の言葉を借りれば「詐欺」になる。菅は、転生の物語の主人公を天皇になぞらえ「豊饒の海」の最後に描かれたのは戦後の人間天皇への幻滅だったとしたが、大澤はその立場をとらない。

 三島はこの結末を、いつの時点で想定したのか。最初から、ということは、おそらくなかっただろう(最初から想定されていたという批評も、大澤は紹介しているが)。第4巻で「偽物」を登場させるにしても、そこから再び「本物」へと転換し結末に至る、という筋書きは当初あったのではないか。しかし、書き進むうち、三島は深い虚無の世界に陥った。そこから逃れるすべを持たない深い虚無の世界に。大澤はそうみた。

 三島は、一貫して「虚無」を抱えた作家であったと大澤はみた。虚無の深さが、一連の三島作品を支えてきた。その中で「金閣寺」の、僧が放火に至る心理過程にこそ、701125日の蹶起への萌芽があったとする。美の象徴である金閣寺を、火を放つことで崇高な理念としての美にする。同じことを「天人五衰」のラストでも展開した。そして市ヶ谷では、自ら鍛え上げた肉体を自刃によって滅びさせた。大澤の言葉によれば「有意味な死」がそこにあった。しかし、大澤によれば二つのことは、現象としてはつながっていない。前者は絶対的な静謐の世界であり、後者は無意味な騒々しさであった。ただ「豊饒の海」は実は不毛の海であり、背後にあったのは深い虚無だった。これが大澤のたどり着いた地平であった。

 集英社新書、940円。

 

三島由紀夫 ふたつの謎 (集英社新書)

三島由紀夫 ふたつの謎 (集英社新書)

  • 作者: 大澤 真幸
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2018/11/16
  • メディア: 新書


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政治とスキャンダルの相関関係~映画「フロントランナー」 [映画時評]

政治とスキャンダルの相関関係~映画「フロントランナー」

 

 1984年の大統領選で驚異の追い上げを見せたゲイリー・ハート(ヒュー・ジャックマン)は、88年の大統領選では民主党の最有力候補(フロント・ランナー)として注目を浴びた。コロラド選出の上院議員で外見もスマート。議員としての実績も申し分なかった。

 弱点なしと見られたハートだが、意外な落とし穴があった。結婚しているが別居中のハートと選挙スタッフの不倫が、あるタレこみによって発覚したのだ。情報を得たマイアミヘラルド紙は疑惑の場所に張り込み、女性とハートが同じ部屋に入るのを確認する。しかし、裏口の存在を知らなかった取材者は最終的な確証のないまま、記事にした…。

 むろん、不倫(と思われる行為)がこれほど注目されたのは、当事者が次期大統領に最も近い男、と目されていたためだった。

 フロリダの地方紙が記事にしたことで、ワシントンポスト紙までが動かざるを得なくなった。醜聞がハートの実績を否定するものでないとしても、全米の有権者には知らせる義務がある。その後のことは有権者が決めることだ。編集局内の議論はそうした結論に落ち着いた。

 こうして全米に広がった「ゴシップ騒ぎ」に対して、ハートのマスコミ対応は稚拙だった。会見で記者から質問が出ると、その問いは不適切だ、とはねつけてしまった。

 取材合戦は日に日に激しさを増し、別居中の妻子のもとに及んだ。ハートは決断する。家族を守るためには撤退しかない、と。こうしてわずか3週間でハートは大統領レースを降りた。

 映画の中に出てくる、ケネディも不倫をしたが記者は黙認していたというエピソードが面白い。20年以上たって、明らかに時代は変わったのだ。ポストのハート番記者は高い志を持った記者らしく、ゴシップより実績、実力を評価すべきだと力説する。しかし、前述のような女性記者の意見に押し切られる。マイアミヘラルドの現場記者と編集局幹部のやり取りとともに、このあたりの議論の経過が面白い。ポストの会議にはベン・ブラッドリーやボブ・ウッドワードら「大統領の陰謀」でおなじみの顔ぶれも。大統領選をドキュメンタリー風に描く中、スキャンダルがメディアという回路でどう仕立てられていくかを追った。2018年、アメリカ。

 

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「過去の克服」の物語~映画「家へ帰ろう」 [映画時評]

「過去の克服」の物語~映画「家へ帰ろう」

 

 いい映画だったなあ。エンドロールを見ながら、そう思えることが年に1、2回ある。この「家へ帰ろう」はそんな作品だった。

 ブエノスアイレスに住む仕立て屋、88歳のブルスティン・アブラハム(ミゲル・アンヘラ・ソラ)は娘たちから老人ホームに入ることを勧められ、しぶしぶそれに従おうとする。財産も譲与した。家の中を片付ける中で、1着のスーツが目に留まった。自身が最後に仕立てたそれは70年以上も前に命を救ってくれた友人のためのものだった。そのスーツを渡すため、彼は二度と足を踏み入れることはないと思っていた地へと旅立った。

 長い旅路の中で、彼の右足は悲鳴を上げ続ける。ポーランドでナチスドイツのユダヤ人狩りに会い、「死の行進」を逃れて戦後、アルゼンチンに渡った。その時、アブラハムを救ったのが同い年の親友だった。彼のもとへこのスーツを届けなければ。

 しかし、ナチの手を逃れる際に痛めた右足は、記憶の中で何かを拒絶する、その肉体的な証のようでもあった。空路マドリッドに渡り、鉄路向かったパリで乗り換える。そこでアブラハムは、ドイツを通らずポーランドに向かう方法はないか、駅のホームで尋ねた。ユダヤ人である自分が、かつて何事もなかったようにドイツを通ることはできない、と訴えた。周囲が笑いながら「そんな方法はない」という中で一人の女性が手を差し伸べた。大学でイディッシュ語【注1】を学んだというドイツ人の文化人類学者イングリッド(ユリア・ベアホルト)は「ドイツは変わった。戦争を知らない世代も、過去の責任を全員が負おうとしている」と声をかけた。

 彼女の真摯な姿勢に老人は記憶の中の氷を溶かしていく。こうしてドイツ国内を通る列車に乗り込んだが、当然ながら周囲はドイツ人、ドイツ語ばかりである。再び拒絶がよみがえり、右足も最悪の状態になって車内で倒れこむ。

 一転、ワルシャワの病院。辛うじて右足切断をまぬかれたアブラハムは、退院後に記憶の地ウッチへと連れて行ってくれないかと看護の女性に頼みこむ。そして…。

 アブラハムは旅の途中で大事に抱えてきた青いスーツを、命の恩人であるかつての親友―生死さえも分からない―に渡すことができるのか。

 一種のロードムービーである。70年前の苦く重い記憶を抱えた旅。無愛想で不器用な老人に手を差し伸べる数人の女性。彼女たちはいずれも、奇跡的といっていいほど善意の持ち主である。現実はそうはならないだろう。旅したスペイン、フランス、ドイツではいま、保護主義と極右思想が吹き荒れている。むしろそうした事実を踏まえたほうが、現実に近いものになっただろう。しかし、観るほうはそんなものを求めてはいまい。旅する老人とともに過去の歴史を克服する【注2】、そんな姿が見たいのである。そうした観客の欲求にこたえたからこそ「いい映画を観たなあ」という思いにもさせられる。

 そして、老人の記憶から「ポーランド」という言葉を遠ざけてきたものはなんだったか。忘れることのできない体験の地を記憶の底に沈めさせたものはなんだったか。思いを巡らせたとき、この映画は重みを増す。

 2017年、スペイン、アルゼンチン合作。監督、脚本パブロ・ソラルス。原題「El ultimo traje」は「最後のスーツ」の意味らしい。原題、邦題ともにいい。監督はユダヤ系アルゼンチン人。祖父の話にヒントを得たという。

 

【注1】ドイツ語の一方言とされる。ドイツや旧東欧圏に住むユダヤ系の人々が使った言語。

【注2】加藤周一はこう書いている。

過去は清算できないが、克服することはできる、―-あるいは少なくとも克服しようと努力することはできる(「言葉と戦車を見すえて」)。

 しかし、当然ながらその道のりは遠く困難である。加害の側にも被害の側にも。この映画は、そのことを私たちに考えさせる。


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