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少女が書いた神に背く物語~映画「メアリーの総て」 [映画時評]

少女が書いた神に背く物語~映画「メアリーの総て」

 

 細部はともかく、フランケンシュタインの話は知っていた。科学者フランケンシュタインが狂気じみた研究の末、人造人間を作り出す(フランケンシュタインは人造人間でなく、彼を生み出した科学者の名前)。頭脳明晰、優れた肉体的能力も併せ持つ理想の「人間」のはずだったが、作り出されたのは醜い姿かたちをしていた。それゆえ、人間社会から拒絶され…という話だったと思う。たびたびB級映画の題材にもなった。我々が知っているのは、こうした映画のおかげである。

 この「フランケンシュタイン」を書いたのは誰か、にまで思いを巡らせたことはなかった。書かれたのは19世紀初頭、ナポレオンの時代が終わるころ、書いたのは18歳の少女、となるとびっくりである。単なる怪奇小説にとどまらないこのお話、中国のゲノム編集の話題に先立つこと2世紀、神をも恐れぬ行為が、絶望の結末とともに一冊の本に盛り込まれた。では作者はどんな女性でどんな思想の持ち主だったか。そこに焦点を当てたのが映画「メアリーの総て」である。

 女性解放の思想を持ち自殺した母の墓の前で本を読むのが好きだったメアリー(エル・ファニング)。作家である父ウィリアム・ゴドウィン(スティーブン・ディレイン)とロンドンで暮らしていたが、継母との折り合いが悪く、スコットランドの父の友人のもとに一時避難した。ある日の読書会で、気鋭の詩人パーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会う。やがて父のもとに帰ったメアリーは、再びシェリーと出会うことになる。父への弟子入りを志願してきたのだ。

 恋仲になったメアリーは、シェリーを追って駆け落ち同然に家を出た。父は「お前の人生だ。覚悟して生きろ」と送り出す。シェリーには妻子があった。しかも自由恋愛を唱えるシェリーにメアリーの心はずたずたにされる。やがて子供を産むが、借金の取り立てを逃れるため夜の雨中を歩き、子供を死なせてしまう。

 バイロン卿の別荘に身を寄せた二人だが、そこで「一人ずつ怪奇譚を書こう」と持ち掛けられ、失意のメアリーはフランケンシュタインの物語を書く。内容があまりに暗いため、どこの出版社も取り合ってはくれず、やっと小さな出版社が匿名で、序文をシェリーが書くことで500部請け負った…。

 これが、今日まで延々と語り継がれてきた「フランケンシュタイン」の物語の始まりだった。原題には「あるいは現代のプロメテウス」と副題がついた。プロメテウスはギリシャの神で人類に火を与えたとされ、人間の創造者ともいわれる。「フランケンシュタイン」は神に背く物語であったのだ。「神は死んだ」とニーチェが叫んだ時より半世紀も前のことである。ヨーロッパの近代は神と科学の相克の時代というが、そのことを彷彿とさせる。異端の詩人シェリーの振る舞いも近代的自我の萌芽を思わせる。予想より内容が濃く面白かった。

 2017年、イギリス、ルクセンブルグ、アメリカ合作。


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正統と異端を考える~映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」 [映画時評]

正統と異端を考える~
映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」

 

 タンゴに格別の素養があるわけではないが「リベルタンゴ」は知っている。あの現代的で煽情的な旋律を作曲したアストル・ピアソラ(1921-92)のドキュメンタリーと聞いて、観に行った。

 ブエノスアイレスの避暑地マル・デル・プラタで理髪店を営み、マフィアとも付き合いがあったという父ビセンテ(愛称ノニーノ)。やがて一家はニューヨークに移住する。極貧の中、中古のバンドネオンを与えられたアストル・ピアソラは8歳のころからタンゴに親しむ。アルゼンチンに帰ったピアソラはあるコンクールでの作曲賞受賞がきっかけでフランスに留学。クラシックにのめりこむが、作曲家ナディア・ブーランジェからタンゴの道に進むべきだと助言される。

 ニューヨークで聞いたジャズやフランスで学んだクラシックの要素も取り入れたタンゴは革新的だったが、踊るタンゴではなく聴くタンゴだった。そこで、これはタンゴではないとする非難の声が沸き上がった。そのころ父を亡くしたピアソラは「アディオス・ノニーノ」を世に出す。悲嘆の中、わずか30分で書き上げたという。

 観終わって、正統と異端ということを思った。ピアソラのタンゴは当初、異端と受け止められたのだろう。しかし今や、彼のタンゴこそ正統ではないか。正統とは単に伝統を墨守することではない。「生き残るためには変わらなければならない」という言葉もある【注】。まさしくタンゴを生きのびさせるためにタンゴを変えた、一人の作曲家の生きざまが見えるようだ。

 監督はドキュメンタリーの達人ダニエル・ローゼンフェルド。作品はピアソラの息子ダニエルや娘ディアナ(故人、ピアソラの自伝を書いた)の証言や古い映像、写真を組み合わせた。サメ釣りを趣味としたピアソラの「タンゴ演奏もサメ釣りも同じだ。どちらも背筋が必要だ」というコメントが面白い。ピアソラがフランスに留学した1954年ごろはアルゼンチンのペロン政権末期にあたり(反ペロンの軍事クーデターは55年)、そうした世情不安もこのころのピアソラに影響していたのかもしれない。それにしてもブエノスアイレスの街角の、なんと郷愁に満ちて美しいことか。

 

【注】「山猫」(トマージ・デイ・ランペドーサ著、岩波文庫)。「すべて現状のままであって欲しいからこそ、すべてが変る必要があるのです」(小林惺訳)

 


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本当はこの後が知りたい~映画「寝ても覚めても」 [映画時評]

本当はこの後が知りたい~映画「寝ても覚めても」

 

 外見上はそっくりな二人の男が現れる。しかし生き方、感性は全く違っていた。二人の間で揺れ動く一人の女性。

 朝子(唐田えりか)は大阪に住んでいたころ、麦(東出昌大)と出会い一瞬にして恋に落ちた。しかし、麦はある日、ふっと姿を消した。2年後、東京の喫茶店でアルバイトをしていた朝子の前に麦と見間違うほどそっくりな亮平(東出昌大)が現れた。二人は互いの友人を交え、平穏な日々を過ごしていた。そんな折り、かつての友人春代(伊藤沙莉)と偶然出会う。春代は、外国を放浪した後モデルとして売り出し中の麦の消息を告げた。

 麦は大阪時代の知人を通じて朝子の居場所を知り、彼女の前に表れる。「必ず帰ってくるから」という約束を守るため、と。一方、大阪へ転勤が決まった亮平は、朝子との結婚を申し入れる。いったんは承諾した朝子だが、麦が再び現れ心が揺れる…。

 ざっとこんな話だが、率直な感想を言えば女は男の何に惚れるのだろうか、という疑問である。麦と亮平は二役だから当然そっくりなのだが、外見がウリ二つならその間で心が揺れる、という心理が分からない。映画でも描かれたように、二人の男は全く別の感性を持ち、思想を持っている(ということになっていた)。当然ながら生き方も人生設計も違っている。亮平はいろいろあるにしてもサラリーマン人生に納得しているし、麦は一発勝負の人生、出たとこ勝負の世界に魅力を感じている。それなら、どちらの人生にわが身を重ねるかは、おのずと結論が出るはずである。

 外見上そっくりな男が現れたら、あなたはどうする?という幾何学的なテーマの立て方は、いささかメルヘン的な志向を感じないでもない。そんなところで人生設計の大事な部分を判断しないでしょ、ということだ。もちろん麦にかけるか亮平にかけるか、人生いろいろあるにしても。

 むしろ興味があるのは、亮平と朝子の今後の人生だ(こう書いてしまうとネタバレになるが)。つまり、この映画で着地点とした位置から物語を始めたほうが文句なくリアリティーのある作品に仕上がるだろう。過去に訳ありの朝子とサラリーマン亮平はとりあえず平穏な暮らしに身を落ち着けたが、表面上はともかく心のわだかまりが消えたわけではなかった。そして10年後…。こんなドラマを見たい気がする。

 ふわっとしているが思いこんだら命がけ、という朝子を演じた唐田えりかは、はまり役だった。監督は気鋭の若手、濱口竜介。2018年、日仏合作。

 


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破滅へと向かう時代を外側から見る~映画「菊とギロチン」 [映画時評]

破滅へと向かう時代を外側から見る

~映画「菊とギロチン」

 

 18世紀に始まり、1960年ごろまで各地で興行した「女相撲」を描きながら、大正末期にアナーキズム運動へとのめりこんだ若者群像にスポットをあてた。

 こう書くと、テオ・アンゲロプロスの大作「旅芸人の記録」そのものでは、との思いに駆られた。ギリシャ各地を巡業する旅芸人の目を通して、第二次大戦から内戦を経て1952年のパパゴス政権誕生までを描いた。社会から疎外された集団の目を通して歴史を見るという構成が「菊とギロチン」に重なる。ただ、歴史のスケールは違っている。「旅芸人…」が描いたのが動乱の10年余であるのに比べ「菊と…」はわずか2年である。

 関東大震災直後の1923(大正12)年。日本は日清、日露戦争、第一次大戦という成功体験を経て大逆事件(1910)、朝鮮併合(1911)により帝国主義への地歩を固めた。それから10年余りたったころである。大杉栄が検挙され、震災の混乱の中で虐殺された。彼の思想を引き継ごうとする「ギロチン社」リーダー中濱鐵(東出昌大)と古田大次郎(寛一郎)は資金を稼ぐため銀行員襲撃や経済団体恐喝を繰り返す。そんな中で中濱は逮捕され、獄中で詩集「黒パン」を編む。古田らは爆弾製造に手を着け、メンバーの和田久太郎(山中崇)は福田雅太郎陸相狙撃に失敗、逮捕。古田らも逮捕される―。

 震災直後の東京近郊に女相撲「玉岩興業」の一座がやってきた。朝鮮出身の元遊女、十勝川(韓英恵)や夫の暴力に耐えかねて家を出た花菊(木竜麻生)ら「力士」はいずれも訳アリだ。そのうえ「風紀紊乱あれば即時中止」と警察当局にも目を付けられていた。日露戦争を体験した兵士らによる自警団・在郷軍人分会も目を光らせる中、ギロチン社のメンバーも取り組みを見に現れる。

 社会に疎外され反権力にならざるを得ない二つの集団はいつしか共感を覚える。花菊はやがて夫に見つかり、強引に連れ戻されるのだが…。十勝川もまたかつての女郎へといったんは身を落とすが…。

 満州国建国という、日本が奈落へと向かった時代はここから10年足らず後である。そんな時代を、時代の内側からではなく外側から見ようという映画の作り手の心意気はうかがえた。

 2018年、日本。監督は4時間半の超長編「ヘヴンズストーリー」の瀬々敬久。「菊とギロチン」も3時間を超す長編である。タイトルの「菊」は主人公の頭文字であるとともに、当時重圧を強めていった天皇制の暗喩であろう。


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伝説的歌手の愛と孤独~映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」 [映画時評]

伝説的歌手の愛と孤独~

映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」

 

 「バルバラ」を演じる一人の女優とその映画を撮る監督。それはつまり、入れ子構造の…と書こうとして思いとどまった。先日の「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」は入れ子構造のつくりであった。二つの時代を行き来することで、つまりは「時間」が二つの物語の明確な境界線として存在した。しかし、この映画では「バルバラ」と女優、監督の間には明確な境界線がない。1950年代にシャンソンの女王として君臨したバルバラは女優の背後に霊のごとく立ち上り、監督を迷わす。それをキャメラが凝視している。「アンナ・カレーニナ」と違って、キャメラが覚醒した視線を投げかけている。

 「ナントに雨が降る」や「黒いワシ」で国民的な人気を得たバルバラ。彼女の人生を描く映画に取り組むブリジット(ジャンヌ・バリバール)とイヴ(マチュー・アマルリック)は、バルバラの表情の細部まで再現しようと情熱を燃やす。口角の上げ方や歌う時の何気ない動作。そしてそれは、バルバラの人生の細部に分け入る動作につながっていく。愛を求めて愛に泣き、孤高を貫いて歌に人生を捧げた一人の女性。いつしかブリジットは、自分とバルバラの境界線を見失っていく…。

 「バルバラ」は明確な存在としては、映像の上で立ち現われてはいない。いるのは、ブリジットとイヴの向こうに亡霊のように漂う「バルバラ」である。しかし、だからこそ「バルバラ」は、確かな存在として現れる。

 いま、「ボヘミアン・ラプソディー」が人気を博している。フレディー・マーキュリーを演じるラミ・マレックがそっくりだとか、ラストのウェンブリー・スタジアムの21分がすごいとか…。この評価に違和感を持つのは私だけだろうか。フレディーの「そっくり」を見たいのなら実写映像を見ればいい。ウェンブリー・スタジアムも同じことが言える。いや、フレディーの内面のドラマがあるから価値があるのだ、という。しかし、フレディーの内面のドラマとして観た時、どれだけの深さと厚みがあるというのだろう。結局は、ハリウッドの商魂の勝利という思いがする。

 その点、この「バルバラ」のさりげないつくりの中の、圧倒的な「バルバラ」の存在感。リアルタイムでは知らなかった彼女の孤独が伝わる。生涯、自分の家を持たなかった彼女が「ステージは私の船」と語った孤独が。

 マチュー・アマルリックは監督、脚本も。2017年、フランス。

 

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運命は大河のようにやってくるのか~映画「運命は踊る」 [映画時評]

運命は大河のようにやってくるのか

~映画「運命は踊る」

 

 テルアビブに住む老夫婦のもとに、息子ヨナタン(ヨナタン・シライ)が戦死したとの知らせが届いた。妻のダフナ(サラ・アドラー)はショックのあまり倒れる。夫のミハイル(リオル・アシュケナージ)も正気ではいられない。しかし、すぐに誤報だと知らされる。軍の対応にいらだつミハイルは、息子を返してくれるよう求めた。

 戦場での日々は退屈そのものだった。なぜ戦うのかもわからぬまま、待機のためのコンテナの傾き具合が気になった。ある日、通行車両の検問中に車から転がり落ちた缶コーヒーを手榴弾と勘違いしたヨナタンは機関銃を乱射、4人を射殺する。報告を受けた軍上層部は、なかったことにすると告げた。

 父親の願いが聞き入れられたか、ヨナタンは召喚される。しかし、その帰途…。

 ストーリーはシンプルである。しかし、散りばめられたパーツはそれぞれに複雑な意味が込められているようだ。検問所のヨナタンが踊るフォックストロットのステップ。彼が幼いころに書いた車とブルドーザーの絵。傾いていくコンテナ。これらは何を意味するのか。運命は大河のように我々を包み、いったん流れが動き始めると逃れることはできないと言っているようである。一方で、こうした「運命論」にそのまま同意できないのはなぜか。

 監督は「レバノン」でベネチア金獅子賞のサミュエル・マオス。2017年、イスラエル、ドイツ、フランス、スイス合作。いずれも一神教の国である。運命=神の意思とすんなり理解できる国と多神教の国の感性の違いを感じる。原題は「Foxtrot」。観たままを理解すればいい作品ではなさそうだ。頭の中でパズルの再構成がいる。

 

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入れ子構造の理由が今一つ不明~映画「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」 [映画時評]

入れ子構造の理由が今一つ不明~

映画「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」

 

 物語は二つの時代を行き来する。一つは1870年代のロシア。もう一つは1904年の満州。トルストイの名作「アンナ・カレーニナ」の舞台とその30年後が入れ子構造になっている。

 満州の野戦病院。軍医として派遣されたセルゲイ・カレーニンのもとへ、重要人物とされる負傷将校が送られる。「アレクセイ・ヴロンスキー」という名前を見てセルゲイは愕然とする。忘れもしない、母を死へと追いやった人物だった。平静を保ちながらセルゲイは、母の最期の様子を尋ねた。そこから二人の記憶は30年前にさかのぼっていった…。

 冬のモスクワ駅で偶然、アンナを見かけたヴロンスキーはただならぬものを感じた。そこから二人は恋に落ちていく。舞踏会での二人の舞、馬術大会で落馬したヴロンスキーを見て取り乱すアンナ。夫のカレーニンもさすがに不審を持ち始める。心中を隠そうとしないアンナの奔放な振る舞いに、ロシア社交界も白眼視し始めていた。

 この辺りは、「アンナ・カレーニナ」そのままであろう。半世紀以上も前に読んだのだから細部は憶えていない。封建的な社会の中で一人の女性が至上の愛を貫き、悲劇的な死を遂げるという物語だった。

 記憶が30年の時を行き来するうち、日本軍が迫ってきた。セルゲイらは退却の準備を進める。ヴロンスキーにも同行を求めるが、将校として踏みとどまり、敵を迎えるという。別れ際、セルゲイに「アンナは生きているかもしれない。私が見たのは人違いだったかもしれない」と言い残す。

 もちろん、そんなわけはないのだが、アンナを失ったヴロンスキーは既に生きる気力を失っていたかのようだ。戦場でも、進んでわが身を敵の砲弾にさらす素振りさえ見せる。しかし、アンナの子であるセルゲイ(ヴロンスキーではなく夫カレーニンとの子)には生きてほしいと願っている。その心根が別れ際のセリフになったのではないか。

 「アンナ・カレーニナ」自体は何度も映画化された。グレタ・ガルボの主演作は特に名作といわれた。「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーも演じた。それをもう一度、というのは目新しさがないと思ったのだろうか。それにしても「入れ子構造」にした動機が今一つ明らかでない。ヴロンスキーから見た別のアンナ・カレーニナがスクリーンに立っているのなら理解できるのだが。しかし、トルストイの原作に挑戦というのは少し無謀な試みではあろうが。その辺が気になる作品ではあった。

 2017年、ロシア。製作国が本家、つまりロシア語の「アンナ・カレーニナ」であるところが最大の見どころか。

 

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一人の女性の美しい人生~映画「私は、マリア・カラス」 [映画時評]

一人の女性の美しい人生~映画「私は、マリア・カラス」

 

 邦題の「私は」の後に「、」が付く。一種の「ため」である。意図したものは何か。「私はマリア・カラス」と一気に言ってしまえない何か。一瞬立ち止まってしまう何か。原題は「Maria by Callas」。この「by」も、一種の「ため」である。この「ため」は何かを追ったドキュメンタリーである。使われたのはカラス本人のインタビュー、ステージの映像、プライベートの映像、そして未発表とされる自叙伝のナレーション。

 13歳から才能を見出され、トレーニングに励んだカラスはやがて世紀のプリマドンナと絶賛された。だが、一方で名声と内面の乖離に悩み始める。「カラス」の存在が重くなってくるのだ。30代に入り揺るぎない地位を得たカラス。しかし、1958年のローマ歌劇場でのどを壊し、第一幕でステージを降りると、順風は瞬時に逆風に変わった。「傲慢」「わがまま」の非難が飛び交った。そんな折り、出会ったのがギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスだった。妻の名声という美酒におぼれ、セレブ気取りだった夫バティスタ・メネギーニに嫌気がさしていたカラスは恋に落ち、離婚を宣言。しかし夫は応じず、泥沼の関係に。オナシスとは奔放な関係を貫こうとする。

 9年間続いたオナシスとの関係は突然破局を迎えた。ジャクリーンとの結婚が1968年に発表されたのだ。しかもそのことを直にではなく新聞で知ったカラスは深い悲しみに陥る。

 自らを「単純で陽気だけど内気」というカラスは、愛と芸術にまっすぐに向き合い、それが周囲には自由奔放と映ったようだ。しかし、彼女は後悔してはいないだろう。だからこそ70年にNYで受けたインタビューでも「今まで正直に生きてきたわ」と語っている。

 77年に53歳で息を引き取るまでの毀誉褒貶を文字で記述しても、肝心なことはほとんど伝わらない。彼女の真実はステージでの振る舞い、肉声、演技、そして私生活での奔放な表情を通してしか伝わらないのかもしれない。そこにこのドキュメンタリーの意味がある。

 監督はトム・ヴォルフ。ロシア生まれフランス育ち。2017年、フランス。美しい映画である。それはマリア・カラスという女性の生き方の美しさによっている。

 

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天皇主義者と反・天皇主義者~濫読日記 [濫読日記]

天皇主義者と反・天皇主義者~濫読日記

 

「三島由紀夫と天皇」(菅孝行著)

 

 「待っていたのはあなたじゃない」―。冒頭、著者・菅は太宰治の戯曲のセリフを引く。19466月に発表された。「あなた」とは。占領国アメリカ、媚びる自国の権力者、敗戦で荒廃した大衆…。では、三島由紀夫にとっての「あなた」とは誰だったか。自己の神格を否定、人間宣言をした天皇ではなかったか。こうして三島の戦後が始まる。25年後、この作家は「自刃」という異様な最期を遂げた。「三島」の25年間を読み解いたのが、この一冊である。

 菅は、思想的に三島と全く逆の位相にいる。1939年生まれ。吉本隆明論や鶴見俊輔論、竹内好論を書いてきた。天皇制にも触れたが、タイトルは「天皇制―解体の論理」である。反・天皇制に立つ批評家が、神格天皇の復活を激しく願った三島とどう交わったか。

 いうまでもなく天皇は、「神」であることで多くの兵士を特攻機に乗せ、戦地へと送り出した。その本人が「実は人間でした」と言い、戦後を生き延びた。ここに三島は欺瞞を感じた。決定的な不信は戦後社会への不信でもあった。しかし、生じる怒りと反発は、他の戦後作家とは遠くかけ離れていた。逆に言えば、こうした内的断層を抱えたため、三島は作家でありえた。菅は一つの仮説を立てる。以下、要約。

 ――三島の創作のモチーフは、ほぼことごとく理念としての天皇への愛と生身の天皇への憎悪に引き裂かれた自身の葛藤・軋轢を起源としている。その葛藤を作品内部で解決できなくなった結果が、自衛隊での割腹死である。

 三島の作品を追い、この仮説が緻密に展開される。しかし、「作品内で解決できなくなった結果としての割腹死」という部分は複雑だ。菅は226事件の磯部浅一「獄中手記」に思いを飛ばす。蹶起の志を聞き入れなかった天皇を怒り、この上は自らが神となるとした手記である。菅は、割腹死は単なる諌死ではなく、天皇になり替わる―天皇霊の略取の目目論見ではなかったかと大胆に迫る。

 しかし、精神世界の亀裂を自らの肉体にまで降ろしていくのは並みの思考ではない。ここはもちろん、緻密な作業が必要になる。

 三島の「英霊の声」は、天皇の命で死地に向かった兵士たちの呪詛の声を小説にした。兄神は2・26事件の蹶起将校を思わせ、弟神は特攻兵士を思わせた。恨みの強さに、霊媒は死ぬ。顔は何者かのあいまいな表情に変わる。作家の瀬戸内晴美(当時)は、天皇ではないかと悟る。怒りの声は、天皇自身に届くことはなく、霊媒の死にとどまる。弑逆(しいぎゃく、王殺し)などありえない。そこが天皇主義者の所以なのである。

 60年安保そのものに、三島はさほど関心を抱かなかったという。作品と自己との間には画然と線引きがなされていたと思える。ただ、山口二矢の浅沼稲次郎暗殺事件には心を動かされたに違いない、と菅も推測する。この事件に関心を示した作家がもう一人いた。大江健三郎である。ただ、二人の視角は全く違った。

 60年代に入ると、三島の関心は行動に移った。そして三島にとっての大事件が起きた。68年の新左翼「暴動」である。抑えきれなかった機動隊に代わり自衛隊の出動は必至とみて、左翼勢力鎮圧のため三島は「民兵」として加わる覚悟をする。しかし、翌年は機動隊に抑え込まれた。出番がなくなった自衛隊は、憲法改正による「米国の傭兵」からの脱却の機会を失ったとして、三島は70年、市ヶ谷で蹶起する。

 これは自刃か諌死か。さまざまな説がある中で菅は「それ以上のものを目指した」として「天皇霊の略取」説を取った。藤田進は「天皇制国家の支配原理」で戦後天皇制を「買弁天皇制」と名付けたが、三島はそこから天皇霊のわが身への降臨=救済をもくろんだというのである。

 20168月、平成天皇は生前退位を暗に求めるメッセージを発した。菅はこれを三島の行動と、現行天皇制への批判という点で通じるという。ともに、戦後における天皇の霊性を信じた行動であるというのである。もちろん、菅はこのことを認めているわけではなく、国家の霊性の排除と共和社会実現のため、人間と人間の信任こそが社会にとって重要だといっている。

 94P、「1948年、三島は法務省を退職して作家生活に入り」は、よく知られているように大蔵省(現・財務省)の誤り。労作だけに惜しい。

 平凡社新書、900円(税別)。

 

三島由紀夫と天皇 (平凡社新書)

三島由紀夫と天皇 (平凡社新書)

  • 作者: 菅 孝行
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2018/11/17
  • メディア: 新書

 


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