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科学と倫理の間の荒野を描く~映画「人魚の眠る家」 [映画時評]

科学と倫理の間の荒野を描く~映画「人魚の眠る家」

 

 新聞報道によると、中国の科学者がゲノム編集によって遺伝子を改変した受精卵の双子を誕生させ、国際団体が批判声明を出したという。いわゆる神と人間の領域の問題は、そこまで来たのである。かつては「天命」とも呼ばれた自然界の大きな力によってきた人間の生と死の行方を、科学の力で恣意的に変えることが、そのつもりになれば可能になった。

 「人魚の眠る家」は、脳死状態になった我が子の死を受け入れられないとすれば究極的にどんな選択があるのかという、科学と倫理の接点に存在する荒野を描いた作品である。

 東京都内のある邸宅。門扉には人魚の模様が描かれていた。下校中の少年が、まぎれこんだボールを追って庭に入ると、そこには少女が眠っていた。

 瑞穂はプールでの事故で脳死に陥ったが、心臓は動いていた。その状態を「死」と受け止められない母・薫子(篠原涼子)は延命治療を決断する。離婚協議中だった夫・和昌(西島秀俊)は医療機器メーカーの2代目社長である。娘の再生を願って最新のテクノロジーを投入する。

 脳に代わって呼吸をつかさどる横隔膜ペースメーカー(AIBS)、脊髄に電気信号を送ることで筋肉を動かす人工神経接続技術(ANC)…。脳さえ蘇えれば瑞穂は再生するのだが、医師からはその可能性はないと伝えられていた。しかし、万に一つの可能性にすがる薫子は、次第に狂気の淵をさまよう。和昌は薫子との距離を感じ始め、会社の創業者である父・太津朗(田中泯)に相談する。父はぽつりと一言「人の道を越えてしまったな」と漏らす…。

 脳死をもって人の死とするかどうかは、むつかしい。特に日本では長く、心停止をもって「人の死」としてきた。一般的には、まず心臓が止まり、血流が停止することで脳も機能停止する。しかし、現代では人工心肺があり、何かの事故で脳への酸素供給が途絶えても、心臓を動かすことは可能である。加えて臓器移植の進展がある。できるだけ新鮮な臓器を得ようとすれば、脳死状態のドナーが必要になる。

  

 科学と倫理、人間の生と死、愛情とエゴ。さまざまな問題が、この映画では語られる。娘の死を受け入れられない薫子のその後の行動は、まぎれもなく愛から出発した。しかし、ANCによって手足を動かし、笑顔を作って見せる行動は、愛ではなくエゴであろう。ただ、そういって簡単に切り捨ててしまえないものを、この作品は含んでいることも確かなのだ。 

 「脳死」の問題といえば、医師と医療行為、ドナーと患者といった社会性の中で語られることが多いが、ここでは「脳死」を家族のど真ん中のテーマに据えたところが説得力、迫真性を持たせることにつながった。原作者の慧眼に敬服する。

  

 愛と狂気を静かに演じた篠原涼子は、特筆すべき成果だろう。原作東野圭吾、監督堤幸彦。同じコンビで映画化された作品に「天空の蜂」がある。


人魚の眠る家.jpg

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手続き法といえど、ほってはおけない~濫読日記 [濫読日記]

手続き法といえど、ほってはおけない~濫読日記

 

「憲法改正とは何だろうか」(高見勝利著)

 

 まずは、「憲法」についての私の基本スタンス。門外漢であり、おそらくはありきたりであることは断るまでもない。

 ――現行憲法について一字一句修正まかりならん、とは思わない。必要であれば変えればよい。ただ、現在世の中に出ている(つまりは議論されている))自民党憲法改正草案、および安倍晋三首相が言う憲法9条改正案には賛成しがたい。したがって、現時点で憲法をいじる必要はないのではないか。

 なお、安倍改憲案についての見解は以下の通り。

 ――自衛隊が違憲でないことを明示する、とのことだが、「戦力不保持」と「自衛のための実力組織」がどのような関係になるのか理解できない。石破茂元自民党幹事長がいうとおり「戦力としての自衛隊」を憲法上認めるということなら筋は通るが…。それが現実的な議論でないというなら、あえて触る必要はない。


 憲法改正の必要性を当面認めないとすれば、憲法改正の手続法についても緊急性がないと思っていた。したがって無関心であった。ところが、なぜか憲法改正のための国民投票法はさっさと出来上がり、施行されている。最初の国民投票法が2010年に、改正法が2014年に施行された。この間、国民的に大した議論があったとは記憶していない。大多数の国民が、私のように無関心であったか、それとも手続法なので似たりよったり、と思ったか。

 とにかく、これではいかん、と思い、一冊の本を手にした。標題にある本である。著者の高見勝利氏は憲法学の専門家で、憲法改正国民投票法にも並々ならぬ関心を持ち続けてきた、とお見受けした。「あとがき」によると、第一次安倍政権で国民投票法が議論された際にこの本を書き始め、政権がとん挫したことでいったんは執筆を中断、近年の安倍首相の改憲熱の高まりの中で再度取り組んだという。

 問題意識の深さを映して、叙述の幅は広い。「憲法を変えるとはどういうことか」に始まり「憲法改正規定はどのようにして作られたか」に議論が移り、ようやく「憲法改正手続法はどのようにして作られたか」に入る。そして「憲法改正手続の何が問題か」「憲法改正にどう向き合うか」へと展開する。著者自身の主張は後半の2章に込められ、基礎知識のある人なら前半の3章は飛ばしても構わない、と思われる。


 というわけで、後半の2章に限って言えば、当然ながら憲法改正のための国民投票法は、公選法とはまるで別個のものである。それはたぶん、憲法と法律との違いによる。法律の上には憲法があるが、憲法の上には何もない。あらゆる権力は憲法によって縛られており、したがって憲法を上回る権力者もいない。では、どのような力によって憲法は変更可能か。主権者たる国民の力の発露によって可能なのだ。この手続きを認めなければ、実力(武力)による革命しか社会を変える手立てがなくなる。

 このことを踏まえれば、さまざまな疑問が浮上する。現行の国民投票法は満18歳以上に投票権があるとするが、これでいいのか。「全国民参加」に近づけるため、もっと引き下げるべきではないのか。公民権停止者の投票権は?(現行法では投票を認めている)。改憲の賛否の主張はどこまで認めるか。そして、最も議論が分かれるところである「最低投票率」は認められるか否か(現行法では最低投票率に言及していない)。最低投票率の規定がなければ、極論すればただ一人が投票し、それが賛成票であったら改憲は成立することになるが…。最低投票率を認めない論拠としては①憲法96条に書いてない②書いてないことを新たなハードルにすれば、違憲の疑いが出る③改憲反対派による「棄権」「投票ボイコット」運動を招きかねない―など。


 国民投票で結果が出た後で無効訴訟が起きた場合、国民投票結果の効力はどの時点で発生するかも、難しい問題だ。仮に憲法9条で集団安全保障への参加を認める、という改憲が成立したとする。そのことを踏まえた政策実施は国民投票結果が確定した時点で可能なのか。その後、無効訴訟が起き、国民投票無効が確定した場合、「集団安全保障への参加は憲法上できない」と国際的に宣言し直すのか。逆に判決確定までは効力が発生しないとすれば、改憲阻止のための訴訟乱発という事態に陥るだろう。


 最後の章「憲法改正にどう向き合うか」では安倍首相の憲法観を批判した。その中で、「権力分立原理の欠如」という指摘はもっともであり、鋭い。

 「手続法」と思っていた問題の、思いのほか深いことに気づかされる一冊。

 岩波新書、820円(税別)。


憲法改正とは何だろうか (岩波新書)

憲法改正とは何だろうか (岩波新書)

  • 作者: 高見 勝利
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/02/22
  • メディア: 新書

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ネットの海に揺らぐレガシー・メディア~濫読日記 [濫読日記]

ネットの海に揺らぐレガシー・メディア~濫読日記

 

「歪んだ波紋」(塩田武士著)

 

 年々、広がりと厚みを増すネット社会。ひたひたと押し寄せるその波に、のみ込まれそうになる新聞、テレビ、出版。それらは批判と皮肉を込めて「レガシー・メディア」と呼ばれる。果たして、ネットという海はこれからの社会の主流になるのか。新聞、テレビは没落するしかないのか。メディアを取り巻く今日的状況を、五つの短編でオムニバス風に取り上げた。

 著者は、ある地方紙記者から作家に転身した。それだけに、メディアの今日的な位置をとらえる目は確かだ。言い換えれば、ピントを外した部分がない。五つの短編にはそれぞれ別個の人物が登場する。それでいて、全体をつなぐ太い鎖のようなテーマがあり、構成上のまとまりを見せる。この辺り、腕の冴えが感じられる。

 では、全体をつなぐテーマとは。「虚報」もしくは「誤報」と呼ばれるものが、いかにして生み出されたか、あるいは、それらがどんな波紋を呼び、被害者を作り出してきたか。これがテーマである。

 ある地方紙で調査報道のプロジェクトチームが組まれる。そこからなぜか、虚報が生まれる▼定年を迎えたある全国紙記者。静かな生活がある日、突然乱される。かつてともに仕事をした記者が自殺をしたという。背後には、ある誤報の存在があった▼事情があって全国紙をやめた女性記者。記者としての夫の行動に疑問を持つが、子供との生活も捨てきれない。ジャーナリズムを貫くことの重さ▼ある地方紙総局デスクに舞いこんだ、韓国人「闇社会の帝王」の動静情報―。そして、提示された謎の全てが、あるウェブサイト編集長にフォーカスを絞った最終章「歪んだ波紋」で回収される。ここから先は読んでのお楽しみだ。

 「語り」のうまさに舌を巻く。ハードボイルドなエンターテインメントに向かわない、著者の文体の確かさ。たとえば「目の前の男がまとう荒んだ雰囲気」といった形容表現が醸す何か。この辺り、同じ地方紙出身で作家に転じた横山秀夫とは違っている。

 「ネット社会とレガシー・メディア」といったテーマ自体は、さんざんノンフィクション、評論、コラムで論じられてきた。その辺に目新しさはないのかもしれないが、そこは著者の文体の品格とうまさに救われていると感じる。

 講談社、1550円(税別)。


歪んだ波紋

歪んだ波紋

  • 作者: 塩田 武士
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/08/09
  • メディア: 単行本

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民主主義の限界と「無邪気なファシズム」の登場~映画「華氏119」 [映画時評]

民主主義の限界と「無邪気なファシズム」の登場

~映画「華氏119

 

 米中間選挙の結果が報じられた11月7日午後、マイケル・ムーア監督の「華氏119」を見た。題名はトランプ大統領が勝利宣言をした2年前の119日から来ている。中間選挙の結果はトランプ政治の是非という観点からみると、微妙なものだった。2年後、トランプ再選はあるのか。ちなみにいえば、ムーア監督がジョージ・W・ブッシュ大統領批判を展開した「華氏911」(いうまでもなく「911」に由来する)にもかかわらず、ブッシュは再選された。

 映画は、ヒラリーが女性初の大統領になるとの見方が圧倒的だった2016年の大統領選の経緯から入った。その中で、マイケル・サンダース候補の選挙結果を改ざんしたのではないか、と指摘した。大統領選がサンダースvsトランプとなっていれば、極めて象徴的な戦いになったことは容易に想像がつく。従来の民主主義の枠からはみ出た、いわば規格外の二人が争うことになっていたからだ。しかし、実際はそうはならず、大方の予想を裏切って「エスタブリッシュメント」を代表するヒラリーが敗れ、例を見ない(異形の、といってもいい)トランプ大統領が誕生した。

 この結果は何を意味するのか、ということをムーア監督はさまざまな映像を使って問いかけた。社会民主主義者サンダースはなぜここまで支持されたか。民主主義の破壊者ともいえるトランプはなぜ大統領になりえたか。ムーア監督はトランプ勝利を予測していたと伝わる。その根拠は「ラストベルト」(ペンシルベニア、オハイオ、ミシガン、ウィスコンシンの4州。これまで民主党の牙城とされた)の遊説をヒラリーが軽視し、トランプが重視したことによる、と指摘する。彼はミシガン州フリントの出身である。挿入されたフリントの水源問題(ヒューロン湖からフリント川に切り替えたため住民に鉛中毒が発生した。シュナイダー・ミシガン州知事の失政)は象徴的である。この問題に関して、オバマ大統領は無力であった。プア・ホワイトは、トランプに救済を求めたのである。映画ではペロシ下院院内総務に、18歳から29歳の若者が社会主義を支持しているがどう見るか、との質問が飛び、困惑顔のペロシが「我々は資本主義を選択している」と答えにならない返答をする場面があった。これらが指摘するのは、民主主義の明らかな限界だ。背後には拝金主義、政治の退廃がある、とムーアは言う。

 映画の後半には、ナチスドイツの映像がかぶさる。トランプが目指すものは、かつてのようなファシズムなのだ、といっているようだった。多くの人がこの映像を見て同じことを思い、戦慄したのではないか。ところが、ムーア監督はこの見方を否定する。トランプがもたらすものは「強制収容所」や「カギ十字」に象徴されるものではなく、テレビ番組に出てくる笑顔が作り出す「笑顔のファシズム」だという(11月8日付朝日)。

 イタリアの作家ウンベルト・エーコは「永遠のファシズム」(岩波書店)で、ファシズムは「構造化された混乱」だとし、複数の要素を持つが一つとして同じ形態はない、といった。そのうえで、こう書いた。

 ――いまの世の中、だれかがひょっこり顔を出して、「アウシュビッツを再開したい、イタリアの広場という広場を、黒シャツ隊が整然と行進するすがたをまた見たい!」とでも言ってくれるのなら、まだ救いはあるかもしれません。ところが人生はそう簡単にはいかないものです。これ以上ないくらい無邪気な装いで原ファシズム【注】がよみがえる可能性は、いまでもあるのです。

 「トランプ現象」の本質を言い当てている。

 

【注】ファシズムはひとつの特徴でくくれるものではなく、いくつかの特徴が非整然と組み合わさったものだと、エーコは言う。そこで、典型的特徴を列挙したうえで、そのいくつかを備えたものを「原ファシズム(Ur-fascismo)」もしくは「永遠のファシズム(fascismo eterno)」と呼んだ。

 

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「戦場体験」を持つ作家が見た「戦争」と「戦後」~濫読日記 [濫読日記]

「戦場体験」を持つ作家が見た「戦争」と「戦後」

~濫読日記

 

「証言その時々」(大岡昇平著)

 

 「野火」や「俘虜記」、そして「レイテ戦記」と、世界的に見ても優れた戦場文学を残した大岡昇平が戦後、折々にメディアに書き残した文章を集めた。時期は1937年、満州事変が起きる前から88年に没する直前の86年まで半世紀。大岡昇平が亡くなった年は昭和でいえば63年、つまり昭和の最後の年に当たる。昭和の戦禍を、身をもって体験した一人の作家が目にした「戦争」と「戦後」が、率直に語られている。

 

 大岡は、では「戦争」をどのように見たか。そこには二つの視点がある。大岡は戦争末期の447月、36歳でフィリピン・ミンドロ島に暗号担当の兵として赴いた。しかし、半年もたたない翌年1月に捕虜となり、レイテ島の捕虜収容所に入れられた。この時の体験が「俘虜記」としてまとめられた。大岡の戦争体験の核となる「戦場体験」であった。

 もう一つの視点は、「戦場」の記憶を内に持ち続けることで見えた戦後社会の虚妄性である。言い換えれば、戦後社会を「はかないもの」と見るニヒリズムといっていい。

 

 「俘虜記」に戻る。大岡が敗戦を知ったのは8月15日ではなく8月10日だったと書いている。歴史的にはその前日9日、長崎に2発目の原爆が投下され、樺太(サハリン)にソ連軍が侵攻した。そのどちらが「終戦」の決断に大きな比重を持ちえたかは別の議論として、少なくともこの二つの事実により、日本政府は連合国軍に「降伏」の意思を伝えた。その時点で大岡は敗戦を知った。このとき、大岡は「静かに涙が溢れて来た」(「俘虜記」)という。

 大岡は戦後、比島に残置された日本軍兵士の存在に一貫して関心を持ち続けたことが、この一冊から分かる。67年にはフィリピン戦跡訪問団に加わり、23年ぶりに比島を訪れてもいる。そして、こんな美しいところでなぜ戦いが行われなければならなかったか、という感慨を記した。横井庄一さんが戦後28年たってグアム島で発見された72年、大岡はある新聞に次のような言葉を寄せた。

 ――「戦後は終わった」との声を聞いてから久しいが、いわばその考えの誤りを正すためかのように(略)ジャングルから元兵士が現れて来たのである。

 72年後半にはルバング島で2人の旧日本軍兵士が現地警察によって射殺された。この時、銃撃戦を逃れた小野田寛郎少尉は74年3月、山を下りて保護された。しかし、横井さんの時とは違って大岡は複雑な心境を吐露した。

 ――死ぬのはいつも兵隊で、将校が生き延びているのにいやな気持がしていた。

 マルコス大統領演出の軍刀返還式にも「芝居じみていて、不愉快だった」と記した。そして、中野学校二俣分校一期生だった小野田元少尉に「残置命令」はあったのか、という考察も付記した。「命令」はなく、長い間に小野田元少尉が「思いこみ」もしくは「勘違い」に至ったと結論付け「すべては旧陸軍の教育の欠陥」だったとした。

 

一方、大岡は「戦後」をどう見たか。以下は63年の文章である。

 ――最近日本ではほんとうの意味の戦争小説が書かれていないことが、文芸評論家によって指摘された。(略)こんどの戦争については18年経っても、信用できる戦史すら書かれていないのである。これはよく考えれば、実に奇妙なこと(略)」

 数年後、大岡は「レイテ戦記」を世に問うた。

 69年には、「権威への不信がよみがえる日」と題した一文で、こう書いた。

 ――大衆社会状況、レジャーブームなど、経済的繁栄の結果生じた市民的幸福のエゴイズムは、風俗の一般的頽廃と、ヒッピー族のような破壊的要素の出現によって脅かされている。(略)今日この上なく確かであると思われることが、いつひっくり返るかわからないという不安、一切の権威への不信がよみがえる常に目醒めていることの必要を思い出す日として、8月15日はあるわけである。

 戦後社会の虚妄性、幻影たることを指摘している。

 
 また74年には、こんな激しい言葉で、戦後社会を批判した。

  ――いつか新聞の投書に、戦没者の霊を国家が独占して、靖国神社へしまい込むことはない。荒ぶる魂として、日本国中を飛び回らせるがよい、という趣旨のものを読んだことがある。公害、インフレ、企業ぐるみ選挙など、醜い日本の現状を見ては、たしかに死者たちは荒びているだろう。(略)気をつけるがいい。

 

 「ゴジラ」は太平洋に沈んだ日本軍兵士たちの亡霊のよみがえりであり、頽廃した戦後社会への警鐘として東京を襲ったのだ、とする川本三郎の論(「今ひとたびの戦後日本映画」)を彷彿とさせる。

 

 71年、大岡は芸術院会員に推薦されたが断った。この背景にも「戦争体験」があった。

 ――(推薦は)この上ない名誉である。それを断らねばならなかったのは、私には別の意地があったからだった。(略)私はこの前の戦争で捕虜になった。死んだ戦友に対して、常にすまない、と思っていた。(略)国から名誉を受け、年金をもらうことはできない、とかねがね思っていた。

 大岡にとって「戦争」とは何だったか。

 ――戦争は勇ましく美しいものとして語られていた。しかしいくら美化されていても、そこには一つの動かすことのできない真実がある。それはどんなに勇壮であっても、人が死ぬということである。(略)将軍や参謀はめったに死なず、死ぬのは大抵名もなき兵士である。

 日露戦争の4年後に生まれた戦無派であり、同時にアジア太平洋戦争の戦中派であった作家の言葉である。

 講談社学術文庫、1050円(税別)。

 

 ※文中、大岡の原文は和数字表記だが、ここでは洋数字表記で統一した。


証言その時々 (講談社学術文庫)

証言その時々 (講談社学術文庫)

  • 作者: 大岡 昇平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/08/12
  • メディア: 文庫

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