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韓国の民衆が勝ちとったもの~映画「1987、ある闘いの真実」 [映画時評]

韓国の民衆が勝ちとったもの~

映画「1987、ある闘いの真実」

 

 1987年、日本と韓国の社会は対照的な表情を見せていた。日本は平成バブル景気へと突入したが、軍事独裁政権下の韓国は重苦しい空気が漂っていた。1980年の光州事件で民主化を求めた地方の反乱は徹底的に抑え込まれ、辣腕を振るった全斗煥はその後、大統領に就任。統一主体国民会議2525人中2524人が支持するという官製選挙だった。憲法は改正され、大統領は選挙人による間接選挙となった。

 全斗煥は、15年間大統領の地位にいた朴正熙に並ぶ独裁体制を築いた。一方で、光州事件は韓国の民衆にひそかに語り継がれ、国内には非妥協的な二つの思想潮流が太く流れるに至った。民主化闘争は学生たちが先頭に立った。「1987―」は、こうした時代をドキュメンタリー風に描いた(映画の冒頭、一部はフィクションと断っている)。

 871月、南営洞・対共分室(韓国民主化運動を取り締まるための機関。全斗煥が設置した)での取り調べ中に一人のソウル大生が死亡する。当初は心臓麻痺と発表されたが、疑問を持ったソウル地検公安部長のチェ検事は対共分室の隠ぺい工作に抵抗する。その動きを察知した中央日報記者が事件をスクープ。真相究明を求めて世論が沸騰する事態に発展した。さらに東亜日報記者が、検死に立ち会った医師から死亡時の状況を聞きだし、水攻めによる拷問致死であるとの確証をつかんで東亜日報は「拷問根絶」キャンペーンを開始した。無数の市民が立ち上がり、街頭闘争は熾烈を極め、政権は窮地に陥った。この闘争の最中、延世大の学生が命を落とした。これも、映画の中で描かれている。

 こうして、ソウル大生拷問致死事件の真相を問う国民運動は民主的な憲法(直接選挙による大統領選出)を求める運動へと発展し87629日、政権は憲法改正、拘束者釈放、言論の自由の保障、大学の自律化を認める宣言を出した。

 87年暮れには大統領直接選挙が行われ、死刑囚から復帰した金大中、自宅軟禁を解かれた金泳三、全斗煥の流れをくむ盧泰愚の3人で争われたが、「2人の金」の戦線統一がならなかったことが響き、盧泰愚大統領が誕生した。

 高度経済成長を独裁のエネルギーにした朴正熙と違って、もはや高度経済成長を望めない時代に権力を握った全斗煥は、言論統制に力を入れたという。その点が希薄なのが物足りないが、「政権打倒」へと向かう世論の盛り上がりはスクリーンで熱く語られている。民衆が尊い血を流さなければ、社会は前には進まないのだ、ということがよくわかる。

 

参考文献:「韓国現代史」(文京沫著、岩波新書)


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