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天才の知られざる横顔を軽妙に~映画「グッバイ・ゴダール!」 [映画時評]

天才の知られざる横顔を軽妙に
~映画「グッバイ・ゴダール!」

 

 ヌーベルバーグの旗手として映画を変えたといわれるジャン=リュック・ゴダールへのオマージュとパリ五月革命(カルチェ・ラタン)へのメモリアルに満ちた作品かと思ったら、違った。ゴダールの二人目の妻アンヌ・ビアゼムスキー(ステイシー・マーティン)が、ゴダール(ルイ・ガレル)との共同生活を振り返った自伝的小説に基づく、ゴシップテイストのややドタバタ調のドラマだった。

 「勝手にしやがれ」や「軽蔑」で名声を得たゴダールはアンヌを主演に抜擢した「中国女」を世に問う。自らマオイズムに傾倒したという新作はしかし、一部を除いてかんばしい評価を得なかった(当時、私も見たが正直よくわからなかった。そんな感想を漏らすと、頭で理解しようとするから駄目なんだ、映像をそのまま感性で受け止めるべきなんだ、とよくわからないアドバイスをもらったものだ)。

 アンヌはモーリアックを祖父に持つ、ゴダール流の用語に従えばブルジョワ階級に属する女性。パリの大学で哲学を学ぶ19歳だった。1968年(もう半世紀前だ)、激しさを増すパリの街頭闘争や学生たちとの討論会にアンヌとともに参加したゴダールは「革命の側から撮るか、権力の側から撮るか」と議論を吹っ掛けるが、時に言い負かされてしまう。そんな時、ゴダールは「若者のまっすぐな言葉には勝てない」と漏らす。

 しかし、ゴダールのそうした過激で刺激的で変化に満ちた生きざまに、アンヌはついていけないものも感じ始める。

 ゴダールはついに、映画製作に「自主管理」という手法を取り入れ、スタッフ全員の討論によって映画の方向を決めるという手法取り入れる。しかし、予想されることだが、すぐに暗礁に乗り上げる。その間、ゴダールの自殺未遂という事件もあり、アンヌはついに離婚を決意する―。

 2017年、フランス。監督は「アーティスト」のミシェル・アザナビシウス。原題が面白い。「Le Redoutable」(恐るべき、畏敬すべき)…。うーむ。これは、ゴダールのことかアンヌのことか。半世紀前の時代を振り返るとか、むつかしいことは考えず天才ゴダールにもこんな顔があったんだよというつもりで見れば、結構楽しい。


ゴダール.jpg

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